城攻
早朝、私は出撃可能な全兵力である百八十人の兵で、菊田館から有岡氏の根拠地である伊丹城へと向かった。尚、この百八十人の内の七十四人は、昨日の合戦で動員が間に合わなかった兵である。
伊丹城は菊田館からおおよそ二里の場所にあり、馬で半刻、徒歩で一刻もかからない距離である。菊田ヶ原を抜け、出発から半刻が過ぎた頃、有岡定政率いる二百六十人の兵が姿を現した。両軍は、一町ほどの距離を挟んで睨み合った。
私は、全軍に待機を命じた。どうやら、相手も同じ選択をしたらしい。
やむなく私は、挑発で敵の陣容を崩すことにした。
「やあやあ、どうやら有岡勢に真の武士は一人も居ない様だな。」
すると、相手もこう言い返してきた。
「真の武士?お前の産まれ、小作農。その腰に下げているのは鎌か鍬。」
相手も中々調子が良いようだ。
そんな事を何辺もやっていると、痺れを切らした有岡定政は全軍突撃を命じた。私は兵に持ち場を離れず、防御に徹する事を命じた。
間もなく、両軍は激突し乱戦となった。しかし、有岡勢のほとんどの兵は昨日の戦の疲れも癒えぬまま、此度の戦に参陣していた。一方、菊田勢の約四割は新しく動員された兵であり、体力と士気の面で菊田勢は有岡勢に対し、優位に立っていた。その結果、序盤は数で勝っていた有岡勢が優勢だったものの、徐々に形勢が逆転し菊田勢有利の展開になった。
これを見た有岡定政は、大鹿伊右衛門定邦率いる殿軍二十人のみを残し、百五十人の兵を率いて伊丹城に撤退して行った。
大鹿定邦は、寡兵を物ともせず菊田勢に対し勇猛果敢に戦っていた。
しかし、彼に付き従う兵も一人また一人と減っていった。大鹿定邦は、有岡勢が無事に撤退した事を見届けると、自らを包囲している足軽等に対し、こう叫んだ。
「我の首を持って、手柄とせよ。」
そう言うと、自ら腹に槍を突き刺して自害した。これを見ていた足軽等は皆、大鹿定邦の忠義とその最期に袖を濡らした。
私の目の前に、一つの兜首が置かれた。とても朗らかな表情である。
それが、大鹿定邦の物であることを確認すると、私はこの首を討ち取った
山田十郎宗忠に銭五十疋を渡しこれを臨時の恩賞とした。
私は四半刻兵を休ませた後、行軍を再開し半刻後、伊丹城に到着した。
伊丹城は平城である。伊丹城は総構えの城であり、城下の広い範囲を堀で囲んである。その為、包囲は現実的でない。しかし、それだけ敵の守りも手薄になるという事である。
私は兵力の集中運用による一点突破に賭けることにした。
私はまず、民家を壊して得た材木を束にし、それを用いて門を破壊する事にした。しかし、兵士が城門に到達する前に相手の弓兵に射られてしまって、中々うまく行かなかった。
私は一計を案じ日が暮れるのを待った。
案山子に松明を持たせ城門の前に立たせる。すると、相手の弓兵は人と勘違いし矢を放ってくる。これを繰り返すしていると、相手は矢を放ってこなくなった。これを好機と見た私は、再び束にした材木で門を破壊する事を試みた。今度は上手く行き、門は破壊され伊丹城内に菊田勢総勢百八十人が一気に雪崩れ込んだ。菊田勢は、有岡勢の足軽等を鏖殺し屍の数は百三十人以上に達した。
私が有岡定政の首を討ち取るべく本丸へ突入すると、既に腹を切った後だった。周囲にはその一族や家臣と思しき者が何人も連座していた。数えてみると、全部で二十三人にも及んでいた。
私は城下にいる足軽達にこの事を報告すると、城が傾くほどの勝ち鬨が城下に響いた。私はこの光景を忘れまいとした。
夜が明け、早朝に論功行賞が行われた。手柄を上げた足軽に恩賞を渡し終えると、百八十人の兵と共に菊田館に凱旋した。御館様に伊丹城攻略と有岡定政が一族郎党共々自害した事を告げた。
その報告を聞くと、御館様は伊丹城へ本拠を移すことを評定の席で家臣に宣言した。しかし、伊丹城は城攻めにより門が壊されたままだったので、
修繕が完了するまでは私が伊丹城へと入り、伊丹城の統治と修繕を受け持つ事になった。
私はすぐに菊田館を立ち、伊丹城へと向かった。
伊丹城へ着くと、待っていたのは民からの反発だった。多分、昨日の城攻が響いたのだろう。私は城に入る途中で五回の投石と、十七回の暴言にあった。これでは、まともに統治など出来ないので、私は民を城門の前に集めた。
私は民の中から一人選んで、私の前に出した。先程石を投げてきた少年だった。私は少年の首を刎ね、その首を民の面前に掲げた。
「私は、この城の新しい主です。今後は無礼な事をしない様に。」
すると、さっきまで私に反抗的だった民は嘘のように従順になった。
私が門を修復する旨を伝えると、町の大工が大急ぎで工事に取りかかり、正午には門の修繕が完了した。私はその間に、大急ぎで城内の首無しの死体を全て猪名川に流し、血の跡を全て掃除させた。
私は門が修復されたのを確認すると、伊丹城を立ち菊田館へ向かった。
菊田館に着くと御館様に門の修繕が完了した旨を伝えた。
御館様は、私があまりに早く帰って来た事に驚いていた。
私の報告を聞いた後、御館様は菊田館を嫡男の信昌殿に任せ、家老の香山秀政とその嫡男秀家と共に伊丹城へと立った。私も護衛として伊丹城へと再び向かった。私が先頭として御館様に城下を案内すると。道行く人々は皆我々に平伏し、これを見た御館様は統治が短期間でこんなにも行き届いている事に驚きを隠せなかった。
御館様が伊丹城に到着すると、御館様は私に銭三貫を恩賞として渡した。
今まで有岡氏に従っていた三人の在地領主達に、菊田氏に臣従を求める旨の書状を書きその日は就寝した。




