帰還
翌日、前将軍・足利義尹が十五年の月日を経て、遂に京都へ帰還した。足利義尹の一行は、京の廷臣、諸将、僧侶、神官、町衆、百姓、並びに穢多、非人に至る迄、京に住む全ての人々に歓迎を受けて上洛した。街道には、前将軍の帰還を一目見ようと民衆が群がり、圧死による死者まで出た。足利義尹は吉良氏の邸宅を仮御所とした。是日の正午に足利義尹は、細川高国が細川京兆家の家督を相続する事を認める旨の御内書を発給した。翌日、足利義尹は仮御所に細川高国を呼び出した。
「………義澄の動向はどうなっている?」
「はっ。義澄は、依然として近江の水茎岡山城に籠もっています。」
「成る程…。」
「高国。義澄の征討は任せる。直ぐに準備に取り掛かれ。」
「はっ。明日にでも三千の兵が出撃可能です。」
「そうか……では明日、出陣せよ。」
「承知致しました。」
細川高国は在京中の猪名秀信の在所に訪れた。
「秀信、急に訪れて悪いな。」
「いえ、とんでも。」
「秀信に頼みがある。」
「頼み…?」
「明日、三千の兵を率いて水茎岡山城に出陣して貰いたい。」
「………承知致しました。」
「では、頼んだぞ。」
細川高国はそう言うと、去っていった。私は直ぐに夕食を済ませ、早いうちに寝た。
翌日の早朝、私は三千の兵を率いて京を出立した。私は小関越を通って近江に入った。大津に到達すると、琵琶湖が見えてきた。湖面が青く輝き、対岸の山々が薄っすら見えていた。其処から琵琶湖沿いに軍勢を進め、瀬田の唐橋に到着した。幅は五間程で長さは二町を有に超えていた。瀬田の唐橋を渡り切ると建部神社があった。参拝した後、東山道を進み、草津を目指した。草津へ着くと、兵を四半刻休ませた。その後行軍を再開し、野洲川を渡河した。是日の夕方に虫生に到達し、其処で夜を明かした。
翌日、行軍を再開し、日野川を渡河した。程なくして、水茎岡山城に到着した。水茎岡山城は低い山の上にあり、三方を平野で囲まれていて、北には琵琶湖がある。三千の兵で水茎岡山城を取り囲むと、水茎岡山城に火を放った。火は忽ち燃え広がり、城を焼き尽くした。すると、琵琶湖に一艘の舟が見えた。
私が船頭に登って後を追うと、其の舟に隠れていた弓兵が矢を射掛けてきた。私は矢を兜斬で叩き斬ると、弓を取り、矢で弓兵を射抜いた。舟を見ると一人の気品ある男が乗っていた。あれが恐らく、足利義澄であろう。生け捕りにする為、舟の速度を態と緩めて足利義澄を湖の中心に追い込んだ。追い込むと、舟の速度を上げ、足利義澄の舟の直ぐ近く迄来た。私は、縄を投げ、足利義澄の首に引っ掛けた。足利義澄は櫂を手放すと首を抑えて苦しみだした。私は、船に跳び移り足利義澄を失神させ、縄で手足を縛った。
足利義澄を舟に乗せ、陸の方を見ると何やら騒がしい。舟を陸へ近付けると、乱戦が起きていた。旗を見ると、敵は近江の国人等だった。私が率いていた三千の兵は、指揮官の不在により大混乱に陥っていた。上陸しようにも、敵の矢が此方に放たれている為、容易に近付く事が出来ない。私は一計を案じ、脇差を足利義澄の首に突き立て、敵勢に向かってこう叫んだ。
「近江の国人共、之を見よ!義澄の身柄は確保している。即刻戦闘を中止し、退却せよ!さもなくば義澄の命は無いと思え!」
すると、近江の国人等の軍勢は退却して行った。私は、陸に上がると兵の混乱を鎮めて、京への帰路についた。翌日の夕方に京へ帰還し、細川高国に水茎岡山城攻略と足利義澄の身柄確保を報告した。細川高国はすぐさま足利義尹に報告した。足利義尹は恩賞として私に銭百貫を渡した。
翌日、足利義澄が助命を条件に、征夷大将軍の職を足利義尹に譲った。
足利義尹は仮御所に細川高国と大内義興を呼んだ。足利義尹は、細川高国を管領に大内義興を管領代に任じた。大内義興には、山城守護職も与えられた。足利義尹は最初、大内義興に堺南荘を与えようとしたが、大内義興は之を固辞し、足利義尹は仕方なく山城守護職を与えた。翌日、足利義尹の働きかけによって、細川高国が朝廷から従四位下右京大夫に任じられた。
翌日、猪名秀信が山城半国の守護代に正式に任じられた。其の日の正午に、畠山尚順と畠山義英の同盟が決裂し、尾州家と総州家の争いが再び始まった。畠山尚順は、細川高国に援助を要請した。細川高国は、之を快諾した。其の翌日、細川高国は自邸に猪名秀信を呼び出し、畠山尚順の援助を命じた。
早朝、私は千の兵を率いて、京を出発した。羅城門をくぐり、鳥羽街道に軍勢を進めた。八幡で一泊し、男山八幡宮で参拝したあと、東高野街道に入り、洞ヶ峠を超え、河内国に入った。日が暮れてきた頃、恩智に着き、其処で夜明かした。早朝に恩智神社で参拝した後、行軍を再開した。日が登ってきた頃、甲田で畠山尚順が率いる二千の軍勢と合流した。私は馬から降り、畠山尚順に頭を下げた。
「猪名嘉助秀信に御座います。細川右京大夫殿の命により、此の度馳せ参じました。」
私が言い終えると畠山尚順は、驚いたような顔でこう言った。
「猪名……!噂には聞いておりますぞ。畠山尾張守尚順である。」
私は顔を上げ、畠山尚順の姿を眺めた。畠山尚順は背が高く、引き締まった筋肉が全身を覆っている。赤い甲冑を身に着けたその姿は、地獄の赤鬼を彷彿とさせる。畠山尚順曰く、甲田近くの嶽山城に畠山義英が五百の兵を率いて立て籠もっている。との事だった。
畠山義英は、畠山尚順の祖父の兄の曾孫、つまり畠山尚順から見て再従甥にあたる。官職名から畠山尚順の家系は尾州家、畠山義英の家系は総州家と呼ばれている。尾州家と総州家の争いは四十年以上続いており、畠山尚順の祖父・畠山持国と畠山義英の祖父・畠山義就との家督争いが原因である。
私は、畠山尚順の軍勢と共に嶽山城を包囲した。然し、城を焼き討ちしようにも、嶽山の中腹に龍泉寺があった為、畠山尚順に止められた。
日が暮れた後、配下の兵に命じて夜が明けるまで鬨の声を上げさせた。そのお陰か城兵の動きに隙が見え始め、正午には城門の突破を許した。畠山義英は自ら太刀を取り応戦したが、夕方には捕縛され畠山尚順の前に引き出された。畠山尚順と私の前に手足を縄で縛られた畠山義英が座っている。
畠山尚順は暫くの間沈黙を続けた。
「義英……高野山へ出家すれば命だけは許してやる。」
「……………か。」
「………?」
「この俺が生き恥を晒せるか!」
「そうか。残念だ。」
次の瞬間、畠山義英の首が落ちた。畠山尚順は首を拾い上げると丁寧に首桶の中にしまった。私は反射的に畠山尚順に聞いた。
「其の首、どうなさるのですか?」
畠山尚順はニヤリと笑った後、こう答えた。
「京で晒し首にする。」
「つまり、近い内に上洛なさるという事ですね。」
「あぁ、貴殿と共に上洛するつもりだ。」
「では、明日の朝に出発しましょう。」
「うむ。早く晒し首にしないと首が腐ってしまうからな。」
すると、畠山尚順は首桶を抱えながら大声で笑った。




