天狗
翌日、近江大津にて細川澄元は足利宰相兼左中将義澄に拝謁し、細川京兆家の家督相続を認めさせた。この日、細川澄元は正式に天下人としての地位を認められた。然し、其の天下を揺るがす脅威が西国より迫っていた。
その日の夜、周防山口にて―――
行灯のついた薄暗い部屋で三人の男が腰を据えている。一人は足利右中将義尹、もう一人は大内左京大夫義興、そしてもう一人は………
胸に包帯を巻いた男は京の情勢を事細かに話した後、一通の書状を義尹に渡した。
「つまり、上洛は今を置いて他に無いと。」
義興が義尹と顔を見合わせる。
「漸く、漸く京へ帰れる。やっと、戻れるのか………!」
義尹は感激の余り涙を流した。
「では、私は之で。」
立ち去ろうとする男を義興が引き留める。
「そちも一緒に行かないか。」
男が目を見開く。
「良いのですか…?」
義興が無言で首を縦に振る。義尹が続ける。
「貴殿も、奪われた領地を取り戻したいのだろう?」
男がもう一度義尹の方を向く。
「では、身命を賭してお支え致します。」
義興が立ち上がる。
「公方様、某は早速出陣の支度をして参ります。」
「では、私は西国の諸大名共に御内書を発給するとするか。」
義尹は立ち上がると直に部屋から出ず襖の前で立ちどまった。
「では、之からも宜しく頼むぞ。」
義尹は男にそう言い残すと、何処かへ去っていった。
薄暗い部屋の中で、男は胸の傷をさする。
「この借りは必ず、返させてもらう。」
男はそう呟いた後、また夜の闇に消えた。
その翌日、荒廃した京の都に一人の老人が立っていた。老人は京を歩き廻り、自らが終わらせた嘗ての大乱を思い出した。幼少の殆どを大乱の中で過ごし、大乱が終わった後、京の復興に全力を注いで来た老人にとって其の光景は余りに残酷であった。自らの行いが京の荒廃に繋がった事は、老人に罪悪感を憶えさせた。老人は朱雀大路に座り込み、同心円を書き、円と円の間に文字とも記号とも判らぬものを書いたあと、円の内側に星を描いた。道行く人は老人が失意の余り気をおかしくしたのだと思い、憐れみの目で見ていた。老人は其れを気にも留めず、手を合わせながら『巻戻』と唱えた。すると、老人の周りの建物は以前の状態にどんどん直っていき、其れを見ていた人々は『天狗が現れた』と大騒ぎになった。老人は其れを見てニヤリと笑ったかと思うと、霞となって消えてしまった。
高国が京都の現状を確認する為、伏見から京へ戻ると二日前に火の海になっていた町はすっかり元通りになっているではないか。高国が道行く人に聞いてみると、どうやら『天狗』が現れたと言っている。他の人に聞いてみても皆同じ事を言うので、高国は恐ろしくなり急いで伏見に帰った。
政賢、尚春に此の話をして見ても一向に信じようとしない。高国は怒って二人を京都に連れて行くと二人は高国の話が真実であることに驚き、高国に謝した。三人は直ぐに大津にいる義澄と澄元へ書状を送り、上洛を嘆願した。
正午になって、澄元は上洛すると御所へ高国を呼び出した。
「確かに、天狗の仕業と民は言っておるのだな?」
澄元は『とても信じられない』と言いたそうにしていた。
「確かで御座います。何人もの人々に尋ねましたが、『天狗の仕業』と言わない者は一人も御座いませんでした。」
澄元はまだ完全に嘘だと思っている。
「兄上、本当です。信じて下さい。」
澄元は、高国が本気で申しているのを見るとやっと高国の話を信じた。
「では、弟よ『天狗』という輩の正体は分かっておるのか?」
「目撃された情報に拠れば、『老人』だったようです。」
「それだけでは何も判らんな。もっと情報を集めるよう言ってくれ。」
「はっ、了解しました。」
高国は御所から出ると、京都の町を散策した。二日前、確かに放火したはずの遊初軒もまるで戦いなど無かったように其処に綺麗な状態で存在している。『天狗』が書いたあの円は朱雀大路に未だ残されている。
高国は之を見てある事を思い出した。亡き養父の細川右京大夫政元がよく読んでいた書物にこんなのが載っていた記憶がある。高国はその円を紙に書き写すと書庫へ向かった。熱心な捜索の甲斐あってその書物を見つける事ができた。その書物をペラペラ捲ってみると朱雀大路の円と同じ物が有った。再び御所へ戻り、澄元に之を見せた。
「つまり、父上が未だに何処かで生きていると?」
「そう…なりますね……。」
「馬鹿を言うな!父上は確かに亡くなった筈だ。」
「然し、父上は生前に天狗になる為に生涯に渡り、女人との関係を一切絶っていました。皆戯言と思って耳を貸しませんでしたが、或いは………」
「…………」
「天狗は魔法を使う……か。俄には信じ難いが、こうも証拠が揃っていると信じたくもなるな………。」
「私も同じ気分です。」
二人の間に長い静寂が流れた。
「弟よ、この話は終わりにしよう。」
「えぇ、そうしましょう兄上。」
「話は変わるが、猪名秀信への征伐は取り止めとする。」
「えぇ、あの者の罪は京を全焼させた事でしたが、京が元通りになった今、征伐は単に国力を消耗させるだけですので。」
「嗚呼、その通りだ。公方様には私が言っておくから、猪名に上洛をしたら罪を許すと伝えてくれ。あの者の武勇は換えが効かん。」
「はっ、了解しました。」
高国が御所を去ると、澄元は義澄に猪名秀信への征伐を取り止める旨を伝えた。義澄は最初は渋っていたものの、澄元の説得により了承した。




