第6章 アリス対デーモン
第六章 アリス対デーモン
アンドレイは柔らかな草の上に横たわり、暖かな陽射しを静かに味わっていた。
空は澄み渡り、空気は清らかで、心地よい温もりが肌を優しく包み込む。
暑すぎず、寒すぎず――すべてが完璧な一日だった。
彼はしばしの間、すべてを忘れ、束の間の安らぎに身を委ねていた。
――だが、その平穏は突然破られる。
空気の中に、鋭く冷たい“殺意”が走った。
何かが近づいてくる。速く、静かに、そして確実に命を狙って。
アンドレイは跳ね起きた。
その瞬間、目の前にはすでに一人のエルフが迫っていた。
――アリス。
一瞬のうちに、彼は姿を変える。
アレクサンドルからカイラへ――軽やかで、しなやか、そして危険な戦闘形態へ。
次の瞬間、二人は向かい合っていた。
逃れられぬ衝突を前にして。
アリスの瞳が鋭く光る。
「やっぱり……間違いじゃなかった……」
彼女は低く吐き出すように言った。
「あなた……本当に“デーモン”なのね」
その手に集まる魔力が、淡い蒼光となって揺らめく。
武器はすでに戦闘態勢。
――これは、命を懸けた戦い。
アンドレイは静かに彼女を見据えた。
(殺すか……?)
答えはすぐに出た。
――できない。したくもない。
(……そもそも、きっかけを作ったのは俺だ)
内心で苦笑する。
(まったく……最悪の再会だな)
(四十年ぶりに会って、俺は何も変わっていない。老いもしない人間を見れば……疑うのも当然か)
戦いは、一瞬で始まった。
アリスが地を蹴る。
その動きは雷のように速く、無駄がない。
一歩ごとに研ぎ澄まされ、振るわれる一撃一撃が致命的だった。
アンドレイはそれを受け流す。
防ぎ、かわし、魔法の閃光を弾き返す。
だが――反撃には出ない。
アリスは攻撃の手を緩めなかった。
近接戦と魔法を織り交ぜ、まるで嵐のような連撃を繰り出す。
風を裂く斬撃。地を削る魔力。
アンドレイは草原を滑るように動き、跳び、軌道を変え続けた。
そのすべては、圧倒的な戦闘経験と身体能力によるものだった。
やがて――
彼は決断する。
一気に距離を取った。
そして――再び姿を変える。
現れたのは、フレイ。
赤い髪を揺らす魔女。あらゆる魔法を操る、圧倒的存在。
アリスが踏み込んだ、その瞬間。
魔力が彼女を包み込んだ。
動きが止まる。
見えない力が、彼女の身体を宙に縛り付けた。
「っ……!」
抗おうとするが、拘束の魔法は揺るがない。
フレイは静かに、しかし確かな声で言った。
「落ち着いて。……この“事故”は、なかったことにするわ」
やわらかな魔力が、アリスの意識へと染み込んでいく。
忘却の魔法。
記憶が、ゆっくりと削り取られていく。
アリスの瞳が揺れた。
困惑、抵抗――だが、それも次第に消えていく。
やがて残ったのは、空白だけ。
軽い眩暈と、理由のわからない違和感。
そして――すべてが消えた。
アンドレイとの遭遇、その記憶は完全に失われた。
遠くから、それを見守る影があった。
アンドレイ。
すでに姿を隠し、静かに彼女を見つめている。
その瞳には、わずかな安堵が宿っていた。
(……これでいい)
すべては、望んだ通りに終わった。
記憶を失ったエルフは、わずかに戸惑いながらも、その場を離れていく。
もう――過去に縛られることはない。
その背を見送りながら、アンドレイは静かに闇へと溶けていった。




