俺のなんちゃって皇妃(3)
本編完結後のストーリーで、全3話の最終話です。
「最近リディアを餌に俺の金が狙われている気がするのだが」
「気のせいだと思いますわよ」
ほほほと優雅に微笑むのは土の宮の妃であるサシャ。眼鏡に光が反射しているせいで表情が読めないが、俺の言っていることは正しいので嘲笑っていることだろう。
いま俺の後宮に居座る……いや、居る皇妃たちは元々個性的だったが、リディアが入宮してから何というか……実に遠慮がなくなった。
「政務官から土の一門全体の収益が上がっていると聞いた。リディアが以前言っていた肥料の効果が出てきたのか?」
「その通りです。御存知のように土の一門の領地は北の山間部に多くあり、気温と陽当たりの問題から穀物の収穫量では他の領地に敵いません。リディア様にそれを愚痴ったら土壌を改良したらどうかと、目からうろこでしたわ。土の一門はもうリディア様に足を向けて眠れません」
そう言ってリディアのいる水の宮に向かって拝む仕草をするサシャ。土の一門は土着した古く神を祀り、生活のそこかしこで様々な神に感謝をする風習のある、信仰心の厚い民だ。
「その肥料を他の場所でも使えば国全体の収穫量が上がるか?」
「土地が違えば問題が異なるので全く同じ肥料とはいかないでしょうが、リディア様の御知識があれば可能かと……ただし、先日うちと水の一門で特許を申請したので、特許料は払っていただくことになります」
―――抜け目がない。サシャの崇拝する神は商売の神に違いない。
「リディア様は自分は薬草が好きなだけと仰るだけで、どうにも御自身の価値を低く見ている御様子。今回の土壌改良の件でも国への貢献度は測り知れないもの、これだけで多くの貴族がリディア様を皇后様へと推すでしょう」
サシャの言う通りリディアを皇后に推す声は日増しに大きくなっている。水の一門はもとより他の一門も一様に応援するムード、先日は土の一門出身の宰相から「いっそのこと孕ませては?」と真剣に提案されるほどだ。
……まあ、この様子では子ができたのをきっかけに皇后になってもらうことになりそうだな。
「……でも、皇妃になるのはとても嫌だったそうですし、これで『皇后に』なんて言った日には全力で逃げ出しそうですわね」
「まあ……逃げたきゃ逃げればいいさ―――逃げられればな」
格好つけてはみたものの……やっぱり皇妃になるのも嫌だったのか。
後宮の皇妃たちは仲が良く、微妙な立場から令嬢の友だちがいなかったリディアは彼女たちを友人や姉のように慕っているらしい。だからこそ俺には言えない悩みや愚痴を……
「陛下……リディア様が心の底から退宮を願ったら、何があろうと我々土の一門はリディア様に協力しますわ。風も火も同様だと思いますが」
「……分かっているさ」
かつて女性の人権を守ろうと訴えた者が「皇妃が願えば退宮できる」という法律を提案し、「皇帝の許可と家門の許可を得られれば」と一文を添えることでその法律は成立した。法律に則ればリディアにはここを出ていく力はあるが、俺が彼女を引き留める力も同様に認められている。
ただ……これはあくまでも法律だ。
俺が頑なに拒否しないことでリディアが泣いたり、心を壊していくなど……俺自身がそれを許せないのだ。
「まあ……リディア様をこの後宮に捕らえるまでの手腕は悪辣非道で、好いた方にまでそんな非道い態度で接するのかと思っていましたが……やはり惚れた者が負けるのですね」
「……レオノーラのことか?」
レオノーラに起きたことと彼女たちの処遇については箝口令を敷いているが、土の一門はサシャの商会を通して外宮のそこかしこにいるので情報を防ぎきれなかったようだ。
「あれは自業自得だ」
「そうですわね……私も彼女の醜悪な苛烈さには迷惑していたので正直『ざまあみろ』という感想でしたが……御子はどうなさったのです?」
「死産だった……と言っても、信じてはいないのだろう?」
俺の言葉にサシャはふふふと、全てを見通しているような顔をして微笑む。
「陛下の名で秘密裏に医師と産婆を雇ったと聞きましたから。リディア様にその兆候はないので、そうかな……と」
レオノーラたちに対しては恨みしかないが、親を選べない悔しさは俺は兄上と共に痛感している。罪のない子どもを犠牲にすることは考えられなかった。
「御子が健やかに育つことを祈ります……子は世界の宝、皆の宝物なのですから」
「それが土の一門の教えか?」
「ええ、人は財産であり力である。土の一門はみな家族という考えが根付いており、この教義が私の仕事の根幹となっております」
ふふふ、と笑うサシャは年若いのにすでに母親のような風情がある。
「サシャ、お前にいい人はいないのか?」
「仮にも御自身の妻に聞くことではありませんわね……なぜ急にそんなことを?」
「俺たちの子どもの乳母をお前に願いたいと思ってな」
「まあ、気が早い」とサシャが笑う。
「光栄ですわ……では、御言葉に甘えて、お優しくて、金銭感覚がしっかりしていて、騎士も良いのですができれば文官、そして背が高くて筋肉質な立派な体躯の方がいいですわ」
「……その様子だと髪と目の色も決まっていそうだ」
「髪の色は明るい金色。瞳は深い緑色……の方が良いですわ」
俺の頭の中に一人だけ該当者が浮かぶ。土の侯爵家の南に面した伯爵領の三男坊で、継ぐ爵位も領地もないからと城の財務部で働いている。未だ若いのに次官を任される優秀さで……そう言えば、あの者が手も届かない高嶺に咲いている花に惚れて苦しんでいるとも聞いたことが……。
「財務部にはそなたの商会員もたくさんいるな」
「ええ、時々抜き打ちで監視しに行きますの……ああ、忘れておりました。お茶を、上手に入れて下さる方が好きですわ」
そう言って微笑むサシャの目はとても優しく、甘い光と灯している。
「気づけば皆が恋をしているのだな」
「陛下が素敵な恋をしているからですわ」
そう言って微笑むサシャは白いユリの花の様に清廉で、今度あの者にあったら「高嶺の花は眼鏡をかけた美しい百合の君か」と聞くことにしようと俺は思った。




