第六章 悪役令嬢、断罪の舞台に立つ
それから半年が過ぎ、私の店は王都で美味しいお菓子のお店として有名になっていた。もう開店当初の一時的なブームとはいわせない。
店は少し広い場所へ移転し、従業員も増えた。トムは製造部門の責任者となり、ミアは店長として店全体を取り仕切っている。
私たちが始めた小さな店は、今では一日に何百個もの焼き菓子を販売するまでになっている。
そして、私は公爵令嬢マリアーナ・イーストローズであることをほとんど忘れかけていた。
いや、忘れてしまいたかったのかもしれない。
けれど、運命はそう簡単に私を解放してくれず、ある日、公爵家から手紙が届いた。
『マリアーナ。至急、屋敷へ戻りなさい』
差出人は、父だった。短い文章の手紙を見つめ、そういえば、家を出てから、一度も連絡していなかったなと思う。
「……お嬢様」
「大丈夫よ」
「一度、帰らなければならないわね」
屋敷に戻ると、父は厳しい顔で私を迎えた。
「マリアーナ。お前は、自分が何をしているのかわかっているのか」
「……はい」
「公爵家の娘が、平民の店で働いている。王都では、すでに噂になっているぞ」
「そうでしょうね」
「恥を知れ!」
父の声が響く、そして、私は黙って頭を下げた。
以前のマリアーナなら、反論していたかもしれない。しかし、今の私には、どうでもよかった。公爵家の名誉よりも、店の仲間たちの笑顔のほうが大切だった。
「お父様。私は、今の生活に満足しています」
「何を言っている!」
「お菓子を作り、食べてくれる人たちに美味しいと喜んでもらえ、稼いだお金で暮らしていく。それが、私の望む人生です」
「お前は公爵令嬢なのだぞ!」
「……それが、私の人生を決める理由にはなりません」
父は言葉をつまらせ、長い沈黙のあと、深く息を吐いた。
「……もうよい。好きにしなさい」
それは、事実上の勘当なのだろう。
けれど、私は不思議と悲しくはなく、むしろ、胸の奥が軽くなったように感じた。
これで、本当に自由になれる。
そして、私のもとに、王立学園から手紙が届く。内容は、卒業記念ダンスパーティへの招待。
来た。とうとう、来てしまった。原作の断罪イベント。私は思わず、手紙を握りつぶしかけた。
このパーティで、マリアーナはリリアンにけがを負わせた罪を着せられ、アルフリードから婚約破棄を宣言されるはずなのだ。
でも、私は、今、婚約者ではない。
公爵令嬢としての地位も、ほとんど失っている。
それでも、原作の筋書きが残っているなら、何かが起きるかもしれない。
「……行くしかないわね」
「本当に、よろしいのですか?」
ミアが心配そうに尋ねた。
「ええ」
「何があっても?」
「何があっても」
私は微笑んだ。
「今度こそ、私の人生を自分で選ぶために」
ダンスパーティ当日。
私は、以前のような豪華なドレスではなく、落ち着いた紺色のドレスを着て会場へ向かった。髪には、小さな白い花の飾りをつけた。それは、店の近くに咲いていた花を、ミアが押し花にしてくれたものだった。
会場に入ると、華やかな音楽と笑い声が響く。貴族たちは、色とりどりのドレスや礼服に身を包み、楽しそうに談笑している。
その中央に、アルフリード、そして彼の隣には、淡い桃色のドレスを着た少女リリアンが立っている。
彼女は原作どおり、愛らしい笑顔を浮かべていたが、私を見ると、ほんの一瞬だけ表情を変えた。
警戒。そして、焦り。
なぜだろう。
彼女は、私が店を開いてから何度か来店し、そのたびに、愛らしい笑顔で菓子を買っていったのだ。
私は彼女を嫌ってはいなかっし、彼女も、私を嫌っていないと思っていたのに。
今の彼女はどこか私に思うことがあるような態度を見せている。
アルフリードが、私に気づき、やってきた。
「マリアーナ」
「……殿下」
私は礼をした。
彼は、周囲を見回した。
「君が、このような場所に来るとは思わなかった」
「招待状をいただきましたので」
「そうか」
「アルフリード様!」
何かを言いかけたアルフリードを遮り、リリアンが声を上げた。
「わ、私……マリアーナ様に、突き落とされました……!」
彼女は私を指さし、震える声で訴える。
会場が静まりかえり、注目される。
来た。原作どおりの展開。
リリアンは階段から落ち、けがを負ったと主張する。アルフリードが私を責める。そして、婚約破棄。
しかし。
「……え?」
私は、思わず声を漏らした。
リリアンの手には、赤い染みのついたハンカチが握られて、腕には、包帯が巻かれている。
そして、周囲の貴族たちが、私たちの成り行きを見守る。
「マリアーナ、お前という女は!」
アルフリードが声を荒らげた。
「リリアンに嫉妬し、傷つけるとは……!」
「お待ちください」
私は静かに言った。
「私は、彼女に触れてもいません」
「まだ言い逃れをするのか!」
「いいえ。事実を申し上げているだけです」
アルフリードの顔が険しくなった。
「お前は以前から、リリアンを妬んでいた。彼女を陥れようとしたことも、一度や二度ではない!」
私は黙って彼を見つめた。
確かに、原作のマリアーナはそうだった。
けれど、今の私は違う。彼女を傷つける理由などない。
「……マリアーナ様。どうして、そんなことを……」
リリアンは涙を浮かべ、震える声で言いうのを聞き、胸が痛んだ。
彼女は本当に、私を陥れようとしているのだろうか。それとも、何か事情があるのだろうか。
「リリアン様」
「……はい」
「あなたは、本当に私に突き落とされたのですか?」
彼女の瞳が揺れた。ほんの一瞬、だけれど私は見逃さなかった。
「失礼いたします、殿下」
そのとき、王都の商業組合で大きな影響力を持つ商人、ロイド歩み寄る。
「……トム?」
そして、その隣には店の制服を着たトムが立っていた。
「証人がおります」
「証人?」
トムは頷いた。
「リリアン様が階段から落ちたとき、近くにいた人たちです。俺たちの店に菓子を買いに来ていた人が、何人も見ていました」
会場がざわめいた。
ロイドが一歩前に出た。
「私も、商人仲間から話を聞いております。リリアン嬢が階段を下りる際、別の令嬢と口論していたという証言もございます」
「なっ……!」
リリアンの顔色が変わった。
トムは、まっすぐに彼女を見つめた。
「それに、マリアーナ様は、その時間、俺たちの店にいました」
私は目を見開いた。
「……トム?」
「ええ。パーティの菓子を納品するために、朝から一緒に仕込みをしていました。店を出たのは、昼過ぎです」
彼は一度、息を吸った。
「俺は、マリアーナ様が誰かを傷つける人じゃないって知っています」
その言葉に、胸が熱くなった。
原作では、誰も私を信じなかった。婚約者も、家族も、貴族たちも。しかし今、私には味方がいる。私を信じてくれる人たちがいる。
リリアンは、唇を震わせた。
「……違うの」
彼女の声は、小さかった。
「私……私は……」
アルフリードが彼女を見た。
「リリアン?」
彼女は、俯いた。
そして、泣きながら言った。
「……ごめんなさい。私……マリアーナ様に、けがをさせられてはいません」
アルフリードの顔から、血の気が引いた。
「……何だと?」
リリアンは、震える手で包帯をほどいた。そこには、小さな打ち身の痕があった。
「私は、自分で転んだのです。階段を急いで下りようとして……」
「では、なぜ嘘を?」
アルフリードの声は、かすれていた。
リリアンは、涙を拭う。
「……怖かったのです」
「何が?」
「マリアーナ様が、もう貴族ではなくなったと聞いても……殿下が、私のことを選んでくださったとわかってはいても、いつか捨てられるのではないかと……」
彼女は、顔を覆う。
「私は、平民出身です。何も持っていません。だから、殿下が私を守ってくださると、証明してほしかった……。マリアーナ様を悪者にして、殿下から完全に遠ざけてしまいたかったのです」
リリアン様は怖かったのだ。愛されたい。選ばれたい。見捨てられたくない。その気持ちは、わからなくもなかっが、だからといって、他の誰かを犠牲にしていいわけではない。
「……リリアン様」
「あなたにとってどんな理由があったとしても、自分を守るために誰かを傷つけてはいけません」
彼女は、泣きながら頷いた。
アルフリードは、呆然と立ち尽くし、そして、私を見た。
「……マリアーナ」
「はい」
「私は……」
彼は、言葉を探しているようだった。
「君に、謝らなければならない」
彼は、深く頭を下げた。
「私は、君の話を聞くこともせず決めつけた。……申し訳なかった」
会場の貴族たちの、息を飲む音が聞こえる。第一王子が、公爵令嬢に頭を下げているのだ。
しかし、私にとっては、それ以上に大切なことがあった。
あの物語の中の断罪を回避できた、もうあの未来は起きない。
「殿下」
私は微笑みを浮かべ、
「どうか、これからは、ご自分の目で人を見てください」
アルフリードは、ゆっくりと顔を上げた。
私は一礼し、踵を返して、会場の出口へ向かう。
「マリアーナ!」
背後から、彼の声が聞こえ、その声に私がが振り返ると、
「……君は、これからどうするのだ?」
私、たたずまいを正し返答する。
「決まっています」
そして、胸を張って答えた。
「明日も、あの場所でお菓子を焼きます」




