第五章 王子様は、クッキーがお嫌い?
マリアーナ達の店は、開店から三か月で王都の評判の店になった。
最初はクッキーだけだった商品棚に、今では何種類ものお菓子が並ぶようになっていた。ふんわりとしたマドレーヌ。果実の酸味が爽やかなジャムタルト。しっとりしたバターケーキ。
そして、私の自信作であるシュークリーム。この世界には、クリームを使った焼き菓子はほとんどなかったのだ。
最初にシュークリームを作ったとき、トムは生地の膨らみ方に驚き、ミアはクリームを詰める作業に夢中になった。
そして、ひと口食べた彼女は、涙ぐんだ。
「……お嬢様。こんなにおいしいものが、この世にあったのですね」
その言葉を聞いたとき、私は心から嬉しかった。
商売が軌道に乗るにつれ、私たちの資金にも余裕が生まれ、トムは読み書きと計算を覚え、今では仕入れの管理もできるようになった。ミアは帳簿をつけるだけでなく、接客の中心として店を支えてくれている。そして私は、商品開発と経営をになっている。
順調な毎日が続く中、厨房の隅に置いた小さなテーブルで、忙しい日でも、そこで三人でお茶を飲む。それが、私たちの大切な時間になっていた。
そんなある日、店に、一人の客が訪れた。
金色の髪、澄んだ青い瞳、仕立てのよい衣服。そして、胸元に輝く王家の紋章。
私は思わず、持っていたトングを落としかけた。
アルフリード王子。
私の元婚約者……になるはずの男だった。
「……いらっしゃいませ」
私は営業用の笑顔を浮かべた。
アルフリードは店内を見回し、少し驚いたように眉を上げた。
「最近評判の菓子店と聞いてきたが、思っていたより小さい店だな」
「はい」
「ずいぶん繁盛しているそうだな」
「おかげさまで」
彼は棚に並ぶ菓子を眺めた。
「どれが一番人気なのだ?」
「クッキーとシュークリームです」
「では、その二つを」
「かしこまりました」
私は丁寧に包みを用意した。
王子は代金を払い、その場でクッキーを一枚手に取りだすと、一口。
噛み進める彼の表情が変わる。
「……うまい」
小さく呟く声が聞こえ、私は内心、少しだけ笑った。
そりゃそうでしょう。私の自信作なのだから。
ところが、次の瞬間。
「店主」
「はい?」
「君は、どこで菓子作りを学んだ?」
私は一瞬、答えに詰まった。
「……独学です」
「独学?」
「ええ。試行錯誤しながら」
王子は、私の顔をじっと見つめた。
彼は私が公爵令嬢だと気づいたのだろうか。
いや、気づいていない。
私は髪をまとめ、平民の服を着ている。以前とは雰囲気も違う。
それでも、胸の奥がざわつく。
アルフリードは、しばらく考え込んでいたが、ふと尋ねてきた。
「……店主。君は、貴族をどう思う?」
「え?」
彼は真剣な表情をしている。
「この国では、貴族が富を独占している。商人や職人がどれだけ優れた技術を持っていても、身分が低ければ正当に評価されないことも多い」
私は黙って続きを聞いた。
「君の菓子は素晴らしい。食べてみれば、その価値がわかる。身分など関係なく、人を喜ばせる力がある」
彼は、手元のクッキーを見つめながら言う。
「私は、こういうものが好きだ」
その言葉に、胸が少し痛んだ。
原作のマリアーナには身分しか誇れるものがなかったから、リリアンに負けてしまったのだろうか。もし、マリアーナの魅力がアルフリードに伝わっていれば……
でも、もう私には関係ない。 アルフリードに選んでもらわなくていいのだ。
今の幸せを奪われたくない。絶対に断罪されたくない。彼に近づきすぎないようにしなければ。
「ありがとうございます。そう言っていただけると、職人冥利に尽きます」
私は深く頭を下げ、
「ですが、私たちはただ、おいしいお菓子を作りたいだけです。貴族の方々の事情に口を挟むつもりはありません」
「……そうか」
彼は包みを手に、店を出ていった。
「お嬢様……今のお方」
ミアの声が硬い。
「ええ。第一王子よ」
「第一王子!?」
トムが叫びかけ、慌てて口を押さえた。
「なんでそんな人が、うちの店に……!」
「さあ?」
私は肩をすくめた。しかし、心の中では確信していた。
物語が、少しずつ変わり始めている。
私が貴族社会から離れ、菓子職人として生き始めたことで、原作にはなかった出来事が起きているのかも知れない。
それは、喜ばしいことなのか、それとも、危険なことなのか、まだ、わからない。
ただ一つだけ、決めていることがある。私はもう、原作の筋書きに従うつもりはないということだ。自分の人生は、自分で決める。
たとえ相手が王子様でも、それだけは譲れなかった。




