第四章 小さな店と、大きな行列
開店初日。
店を開けてだいぶ経つが、お客様はゼロ。朝から焼いたクッキーは、棚の上で静かに並んでいる。
バターケーキも、マドレーヌも、ジャムタルトも。どれも自信作だった。
「……誰も来ませんね」
ミアが窓の外を見ながら呟いた。
「まだ午前中だもの」
「もうお昼です」
「……」
トムが店の奥で、焼き上がったクッキーを、磨いた皿に並べて、心配そうにこちらを見る 。
「なあ、店長」
「何?」
「これ、売れなかったらどうする?」
「……明日も売るわ」
「明日も売れなかったら?」
「明後日も売るわ」
「その次は?」
「……トム、あなた、意外と意地悪ね」
私はため息をつき、店先に出た。通りを行き交う人々は多い。しかし、誰も看板を見ようとしない。
この世界では、菓子は贅沢品だ。まして、見慣れない小さな店で売られている焼き菓子など、誰が買おうと思うだろう。
前世の記憶を持っているからといって、何もかも簡単にできるわけではない。おいしいものを作るだけでは、商売にならない。
知ってもらわなければ。食べてもらわなければ。そして、また買いたいと思ってもらわなければ。
「……そうだわ」
私は店の奥へ戻った。
「トム、クッキーを小さな袋に分けてくれる?」
「袋?」
「ええ。三枚ずつ入れて、口を紐で結んで」
ミアには、紙とペンを用意してもらい、私は紙に大きく書いた。
『本日限定! 焼きたてクッキーの試食をどうぞ!』
そして、その下に小さな文字を添える。
『おいしかったら、また来てください』
「……これでどうかしら」
横で見ていたミアは書かれた言葉に驚いた様子だった。
「お嬢様。無料で配るのですか?」
「ええ。最初はね」
「でも、材料費が……」
「わかっているわ。だから、数は限るの」
私は二十袋だけ用意し、店先に立ち、通りすがりの人々に声をかけた。
「焼きたてのクッキーはいかがですか?」
最初は、誰も足を止めないし、怪訝そうな顔をされる。
ある男性は、私の服装を見て眉をひそめた。
「なんだ、菓子の押し売りか?」
「いいえ。試食です」
「無料だと?」
「はい。お気に召さなければ、お金はいただきません」
男性はしばらく迷っていたが、やがて一袋を受け取り、その場で一枚のクッキーを口に入れる。
さくり。
「……これは」
もう一枚。そして、三枚目。男性は袋の中身をすべて食べてしまった。
「おい、嬢ちゃん!」
「はい!」
「これ、いくらだ?」
私は笑った。
「一袋、銅貨三枚です」
「十袋くれ!」
その声を聞きつけ、近くにいた女性がこちらを振り向いた。
「何がおいしいの?」
「クッキーだよ。食べてみな」
「こちらです、試食ですので食べてみてください。」
女性が試食を受け取り、口に運ぶ。
「まあ!」
彼女は目を輝かせた。
「こんなに香ばしいお菓子、初めて!」
そこからは早かった。試食の袋は、あっという間になくなり、客が客を呼んだのだ。
「さっきの美味しいクッキー、どこで買ったの?」
「あそこの店よ!」
「何だって、そんなにおいしいのか?」
「一度食べてみればわかるわ!」
そして、昼過ぎには、店の前に小さな行列ができた。
トムは必死にクッキーを袋詰めし、ミアは笑顔で客の注文を聞いている。私は焼き菓子を並べながら、胸がいっぱいになった。
売れた。
私たちのお菓子が、売れたのだ。
閉店後、帳簿をつけたミアは、信じられないという顔をしていた。
「お嬢様……今日の売り上げは、かなりの額になります」
「本当?」
「はい!」
トムは椅子に座り込み、疲れ果てた顔で笑った。
「……すげえな」
私は二人を見つめた。
「ありがとう。二人のおかげよ」
「そんな……」
「明日も頑張りましょう」
数日後、客の途切れた間合いで入ってきたのは、上等な服を着た若い男性だった。身なりからして、裕福な商人か、貴族の使用人のようだ。
「失礼。こちらが、評判の菓子店ですか?」
「評判かどうかはわかりませんが、焼き菓子が好評を得ております」
男性は店内を見回し、棚に並んだ焼き菓子の袋を確認すると、
「主人が、ぜひ一度食べてみたいと申しておりまして。明日、まとまった数を注文したいのですが」
「……まとまったご注文、ですか?」
私は平静を装い、聞き返した。
「ええ。できれば、百袋ほど」
ミアが小さく悲鳴を上げた。
トムは椅子から転げ落ちそうになった。
「ありがとうございます。喜んでお受けいたします」
男性が帰ったあと、私たちは顔を見合わせた。
百袋。今までの一日に作る量と同じ。ということは明日の店頭に並べる数と合わせて、作るのは倍。
「……どうしましょう、お嬢様」
「作るしかないわね」
「倍だよ?」
「がんばりましょう!」
「はい」
「しょうがねぇなぁ」
「私たちのクッキーを待っている人がいるんですもの」
こうして、私たちはお店をやっていくことになった。
けれど、不思議と大変だとは思わない。
焼きたてのお菓子の香り。仲間たちの笑い声。売上を数えるときの、胸が弾むような気持ち。
前世では、今日とほぼ変わらない明日が来る。その繰り返し。日々がただ単調に過ぎていくだけだったけれど今は違う。
明日が来るのが楽しみなのだ。




