第六章「黒きガンダム」
黒いガンダムが現れた瞬間、アスクレピオス艦内の空気が変わった。
誰もが本能で理解した。
あれは危険だ。
ただのモビルスーツではない。
戦場そのものだ。
『識別コード確認不能』
『機体データ該当なし』
『ガンダム・ネメシス接近!』
艦橋に警報が響く。
レイナ艦長はモニターを睨みつけた。
「最悪だな……」
その横顔には、初めて焦りが見えた。
ユウリはコックピットでリセを見た。
少女は震えていた。
今までずっと落ち着いていた彼女が。
「誰なんだ?」
リセは唇を噛む。
『アベル……』
「アベル?」
『アベル・クロイツ』
その名前を口にした瞬間、黒いガンダムから通信が入った。
『聞こえているぞ、リセ』
低い男の声。
ぞっとするほど穏やかだった。
『三年ぶりだ』
リセの顔から血の気が引く。
『どうして生きてるの……』
『それはこちらの台詞だ』
アベルは笑った。
『君は死んだはずだろう』
通信が途切れる。
次の瞬間。
ネメシスが消えた。
「は?」
ユウリが言葉を失う。
レーダーからも消えていた。
『右だ!』
リセが叫ぶ。
反射的にオルフェウスを動かす。
その瞬間、黒い刃が機体の横を通り過ぎた。
遅れて爆発。
後方のデブリが真っ二つになる。
「何だよ今の!」
『見えてない』
リセの声が震える。
『速すぎる』
ネメシスは再び消える。
そして現れる。
消える。
現れる。
まるで宇宙そのものに溶け込んでいるかのようだった。
『ユウリ』
リセが真剣な顔で言う。
『絶対に正面から戦わないで』
「でも!」
『勝てない』
即答だった。
『今の君じゃ』
ユウリは悔しそうに拳を握る。
そこへレイナ艦長から通信。
『ユウリ、敵の狙いはお前だ!』
「わかってる!」
『わかってない!』
珍しく怒鳴った。
『死ぬな!』
その一言にユウリは黙る。
『ガルドはお前を生かすために戦った』
『その意味を無駄にするな』
ユウリは目を閉じた。
ガルドの顔が浮かぶ。
――生きて帰るのも仕事だ。
「……了解」
その時だった。
ネメシスが急停止する。
黒いガンダムのモノアイが赤く光った。
『なるほど』
アベルが呟く。
『君が選ばれたのか』
「何の話だ」
『オルフェウスの後継者の話だ』
ユウリの背筋が凍る。
『リセ』
アベルは静かに言った。
『君はまた失敗した』
リセが震える。
『違う』
『また子供を巻き込んだ』
リセの表情が崩れる。
ユウリは気づいた。
この言葉は攻撃だ。
ビームでも剣でもない。
心を壊すための言葉。
『やめろ!』
ユウリが叫ぶ。
『彼女は関係ない!』
『関係ある』
アベルは冷たい。
『この戦争を始めた原因の一つが彼女だからだ』
沈黙。
ユウリはリセを見る。
少女は何も言わない。
否定もしない。
『本当なのか』
リセは目を伏せた。
『……うん』
その答えにユウリは息を呑む。
『三年前』
リセが静かに語る。
『私は戦争を終わらせようとした』
『でも失敗した』
『結果として、多くの人が死んだ』
ユウリは何も言えなかった。
彼女もまた、自分と同じだった。
守りたかった。
でも守れなかった。
その罪を抱え続けている。
アベルが言う。
『だから今度は私が終わらせる』
ネメシスの胸部が開く。
内部に赤い光が集まる。
戦艦クラスの出力。
レイナ艦長が叫ぶ。
『全艦回避!』
『間に合わない!』
艦橋が混乱する。
避難民が乗ったままのアスクレピオス。
この一撃を受ければ終わりだ。
ユウリはモニターを見る。
後ろにはミナがいる。
生き残った人たちがいる。
守りたい人がいる。
怖い。
逃げたい。
でも――。
「オルフェウス」
ユウリは操縦桿を握る。
「力を貸せ」
機体が反応した。
青い光が広がる。
『Ωシステム最終同期開始』
警告表示が真っ赤に染まる。
『危険領域』
『危険領域』
『危険領域』
だがユウリは止まらない。
ネメシスの砲口が光る。
オルフェウスの瞳も輝く。
白と黒。
二機のガンダムが向かい合う。
その瞬間――
オルフェウスの背後に、無数の青い光が現れた。
「これは……」
リセが目を見開く。
『そんな……』
青い光は翼のように広がる。
まるで星空だった。
『オルフェウスの本当の力……』
アベルの声に初めて驚きが混じる。
『まさか起動するとは』
ユウリは何も知らない。
ただ守りたいだけだった。
だがその願いが、封印されていた力を呼び覚ました。
白いガンダムが宇宙に翼を広げる。
そして三年前の戦争で一度も発動しなかった奇跡が、今まさに目覚めようとしていた。




