第四章「赤い棺」
戦場に、赤い機体が立っていた。
黒い宇宙の中で、その機体だけが燃えているように見えた。
鋭い肩。細い腰。獣の爪のような指。
片目のように光るセンサー。
ノクス軍司令官、カイゼル・ヴァルハルト専用モビルスーツ――
グリムゲルデ・ノクス。
『少年。名を聞こう』
通信越しの声は、静かだった。
ユウリは操縦桿を握りしめる。
「……ユウリ・アマギ」
『ユウリか。いい名だ』
「褒められるために出てきたんじゃない」
『ならば、なぜ出てきた』
ユウリの背後には、白い戦艦がいた。
その中にはミナがいる。
避難民がいる。
セレスティア7で生き残った人たちがいる。
ユウリは答えた。
「僕の後ろに、まだ生きてる人がいるから」
カイゼルは一瞬だけ黙った。
『ならば君は、兵士よりも残酷だ』
「……どういう意味だよ」
『兵士は命令で戦える。憎しみで撃てる。だが君は、誰かを守るという善意で人を殺す』
その言葉に、ユウリの胸が痛んだ。
モニターの端に、さっき撃破した敵機の映像が残っていた。
爆発する黒いモビルスーツ。
その中には人がいた。
名前も知らない誰かが。
『その手は、もう綺麗ではない』
「わかってるよ……!」
ユウリは叫んだ。
「でも、だからって何もしなかったら、もっと死ぬんだろ!」
『そうだ』
カイゼルの声は冷たい。
『だから人は、戦争をやめられない』
次の瞬間、グリムゲルデ・ノクスが消えた。
「え――」
警告音が鳴るより早く、赤い機体はオルフェウスの懐に入っていた。
速い。
ユウリが反応する前に、グリムゲルデのビームブレードが振り下ろされる。
オルフェウスは右腕のシールドで受けた。
衝撃。
コックピットが激しく揺れる。
「ぐあっ!」
『反応は悪くない。だが、遅い』
赤い機体が回り込む。
ユウリは機体を後退させるが、左腕を失ったオルフェウスはバランスが悪い。
動きが流れる。
姿勢制御が追いつかない。
グリムゲルデの蹴りが、オルフェウスの胸部を叩いた。
白い機体が吹き飛ぶ。
『ユウリ、距離を取れ!』
レイナ艦長の声が入る。
『敵は近接戦闘型だ! まともに受けるな!』
「わかってます!」
ユウリはスラスターを吹かした。
ビームライフルを構える。
照準。
だが、赤い機体は弾道を読むように回避する。
一発。
二発。
三発。
当たらない。
『撃つ前に肩が動いている』
カイゼルが言った。
『視線が照準より先に流れる。恐怖で呼吸が乱れている。君の攻撃は、すべて読める』
「うるさい!」
ユウリはさらに撃つ。
だが、グリムゲルデは最小限の動きでかわし、あっという間に距離を詰めた。
赤い刃が迫る。
オルフェウスの右肩装甲が裂けた。
警告表示。
装甲損傷。
右腕駆動低下。
「くそっ……!」
『機体性能に頼るな。ガンダムは万能ではない』
「敵に説教される覚えはない!」
『説教ではない。忠告だ』
グリムゲルデの蹴りが、再びオルフェウスを叩く。
ユウリの体がシートに押しつけられる。
視界が白くなる。
その時、胸の奥で何かが鳴った。
『Ωシステム、第二段階移行』
「やめろ……!」
ユウリは反射的に叫んだ。
あの感覚だ。
世界が遅くなり、敵の動きが線になって見える。
けれど同時に、自分の心が奥から削られていくような、冷たい感覚。
『精神同期率、上昇』
コックピットに青い光が満ちる。
ユウリの視界に、無数の軌道予測が浮かぶ。
グリムゲルデの移動先。
攻撃角度。
回避経路。
見える。
見えてしまう。
「そこだ!」
オルフェウスが急加速する。
カイゼルの赤い機体が、初めてわずかに遅れた。
『ほう』
ユウリはビームサーベルを振るう。
赤い機体の肩をかすめた。
装甲片が飛ぶ。
『Ωシステムか』
カイゼルの声に、わずかな笑みが混じる。
『やはり君は、棺に選ばれた』
「棺、棺って……さっきから何なんだよ!」
『その機体は、乗る者を英雄にするためのものではない』
グリムゲルデが刃を構える。
『死者の記憶を、生者に背負わせるための装置だ』
その瞬間、ユウリの頭に映像が流れ込んだ。
知らない少女がいた。
銀色の髪。
青い瞳。
白いパイロットスーツ。
少女は泣いていた。
燃えるコロニーの中で、ガンダムに乗っていた。
『ごめんなさい』
誰かの声。
『私、止められなかった』
「誰だ……?」
ユウリの意識が揺れる。
オルフェウスの操作が乱れた。
その隙を、カイゼルは逃さなかった。
グリムゲルデの赤い刃が、オルフェウスの右腕を切り裂く。
サーベルが弾き飛ばされる。
「しまっ――」
赤い機体の掌が、オルフェウスの胸部を掴んだ。
『終わりだ、ユウリ』
カイゼルの声が近い。
『君はまだ、この戦争を背負えない』
「背負いたくなんかない!」
『ならば、降りろ』
「降りたら、みんな死ぬ!」
『そうだ』
カイゼルは静かに言った。
『それでも降りる勇気を持てない者は、戦場に縛られる』
グリムゲルデの刃が、コックピットへ向けられる。
ユウリは動けなかった。
死ぬ。
そう思った。
その時、横から青いモビルスーツが飛び込んできた。
アスクレピオス所属の量産機だった。
『坊主! ぼさっとするな!』
通信に男の声が入る。
整備兵だと思っていた男――
ガルド・レイマン。
彼は予備機に乗って、戦場へ出てきていた。
「ガルドさん!?」
『ガンダムだけが戦ってると思うなよ!』
ガルドの量産機が、グリムゲルデへライフルを連射する。
カイゼルは一度距離を取った。
『邪魔をするか、連邦兵』
『民間人のガキを嬲ってる大人に言われたくねえな!』
『その子供が、戦争の中心にいる』
『中心に置いたのは、お前ら大人だろうが!』
ガルドは叫んだ。
ユウリはその声を聞いて、息を呑んだ。
大人はみんな、自分を戦わせようとしていると思っていた。
でも違った。
怒ってくれる大人もいる。
自分の代わりに前に出てくれる人もいる。
『ユウリ! 艦へ戻れ!』
ガルドが叫ぶ。
『その機体はもう限界だ!』
「でも!」
『でもじゃねえ! 生きて帰るのも仕事だ!』
その言葉に、ユウリの手が震えた。
生きて帰る。
そんな当たり前のことを、戦場に出てから一度も考えていなかった。
ただ守らなきゃと思っていた。
戦わなきゃと思っていた。
でも、生きることを忘れていた。
「……帰る」
ユウリは小さく呟いた。
「僕は、生きて帰る」
オルフェウスの残ったスラスターが噴く。
白い機体は、アスクレピオスへ向けて後退した。
グリムゲルデが追おうとする。
だが、ガルドが前に立ちはだかった。
『行かせねえよ』
『死ぬぞ』
『こちとら、若い頃からいつ死ぬかわからん仕事してんだ』
ガルドの量産機がサーベルを抜く。
『でもな、子供を逃がすためなら、少しはかっこつけてもいいだろ』
「ガルドさん!」
『振り返るな、ユウリ!』
ユウリは歯を食いしばった。
振り返りたくなった。
助けに行きたくなった。
けれど、戻れば全部無駄になる。
ガルドが命を張って作った時間を、無駄にしてしまう。
だからユウリは、泣きながら前へ進んだ。
アスクレピオスのカタパルトが開く。
『ユウリ、進入角そのまま!』
レイナ艦長の声。
『受け止める!』
オルフェウスは半壊したまま、格納庫へ滑り込んだ。
固定アームが白い機体を掴む。
衝撃。
ユウリの意識が一瞬飛びかけた。
遠くで、爆発の光が見えた。
ガルドの機体か。
敵機か。
わからない。
「ガルドさん……?」
通信は返ってこない。
格納庫に警報が鳴り響く。
整備兵たちが走る。
ミナが叫ぶ声が聞こえる。
けれどユウリは、シートから動けなかった。
モニターの片隅に、またあの少女が映った気がした。
銀髪の少女。
悲しそうな青い瞳。
『あなたも、背負うの?』
ユウリは震える声で答えた。
「背負いたくない」
少女は、少しだけ微笑んだ。
『それでいい』
映像は消えた。
その頃、戦場ではグリムゲルデ・ノクスが静かに赤い刃を収めていた。
カイゼルは、撤退するアスクレピオスを追わなかった。
副官が通信を入れる。
『司令、追撃しますか』
「いや」
『しかし、オルフェウスが――』
「今日は十分だ」
カイゼルは、遠ざかる白い戦艦を見つめた。
「あの少年は、まだ壊れていない」
『それが問題なのですか』
「いや」
カイゼルは静かに言った。
「それが、希望かもしれん」
戦場には、赤い機体だけが残った。
白いガンダムは逃げ延びた。
少年は生きて戻った。
だが、彼の心には新しい傷が刻まれていた。
守るために戦うこと。
生きて帰ること。
誰かに守られること。
そのすべてが、ユウリには重すぎた。
そしてガンダム・オルフェウスは、格納庫の闇の中で、静かに青い光を灯していた。
まるで次の戦いを待っているかのように。




