第二話「少年は空で泣く」
宇宙は、静かだった。
さっきまでコロニーの中で鳴り響いていた警報も、悲鳴も、爆発音も、ここには届かない。
ただ、無数の破片が漂っている。
人が暮らしていた町の壁。
誰かの家の窓。
学校の机。
子供用の赤い靴。
ガンダム・オルフェウスのコックピットで、ユウリ・アマギは息を呑んだ。
「……これ、全部……」
自分の町だったものだ。
胸が苦しくなる。
吐きそうになる。
けれど、目をそらせない。
正面モニターに、黒いモビルスーツが二機映った。
さっきコロニーに侵入してきた敵機だ。
『民間人が乗っているのか?』
敵から通信が入る。
若い男の声だった。
驚きと、少しの苛立ちが混じっている。
『降りろ。その機体は子供が扱えるものじゃない』
「そっちが先に撃ってきたんだろ……!」
『こちらにも任務がある』
「任務なら、人を撃っていいのかよ!」
ユウリは叫んだ。
黒いモビルスーツの一機がライフルを構える。
『戦争だ。そういうものだ』
ビームが走った。
ユウリは反射的に機体を動かした。
ガンダムの肩を光がかすめ、白い装甲が焼ける。
「くそっ!」
操縦桿を倒す。
ペダルを踏む。
ガンダム・オルフェウスはぎこちなく加速した。
だが、敵は速い。
黒い機体は残骸の間を滑るように動き、ユウリの背後を取った。
『遅い』
警告音。
後方からビームサーベルが迫る。
「うわああっ!」
その瞬間、オルフェウスの背部スラスターが勝手に噴いた。
機体が横へ流れる。
敵のサーベルが空を切る。
『自動回避? いや、機体がパイロットを補助しているのか』
敵パイロットの声が低くなる。
『やはり危険だ。そのガンダムはここで破壊する』
もう一機が前方から迫る。
挟まれた。
ユウリの手が震える。
「無理だ……こんなの……」
頭の中に、ミナの顔が浮かぶ。
泣きながら自分の名を呼んでいた。
父の顔も浮かんだ。
町工場で働く、無口な父。
いつも油まみれの手で、ユウリの頭を乱暴に撫でた。
母の声も聞こえた気がした。
もう何年も前に死んだ母の声。
――逃げてもいいのよ。
違う。
ユウリは歯を食いしばった。
「逃げたら……誰が守るんだよ」
ガンダムの胸部に、青い光が灯った。
『Ωシステム、限定起動』
「何だよ、それ!」
モニターに敵の軌道予測が表示される。
赤い線。青い線。白い点。
まるで未来が見えているみたいだった。
敵の動きが、少しだけ遅く見える。
「そこか!」
ユウリはサーベルを振った。
正面の黒い機体がシールドで受ける。
だが、オルフェウスの腕部装甲が展開し、内部から二本目のビーム刃が走った。
隠し腕のように伸びた短い光刃が、敵機の胴を裂く。
『なっ――』
爆発。
光がモニターを白く染めた。
「……また」
ユウリは震えた。
また殺した。
操縦桿を握る手に、感触が残っている。
肉を斬ったわけじゃない。
機械を斬っただけだ。
でも、その中には人がいた。
ユウリは叫びそうになった。
だが、最後の敵機が背後から迫る。
『よくも、ハルトを!』
怒声。
黒いモビルスーツが、破片を蹴って突っ込んでくる。
ライフルを捨て、両手にビームサーベルを構えていた。
動きが違う。
さっきより速い。
ユウリは受けきれなかった。
敵の一撃がオルフェウスの左腕を斬り飛ばす。
警報。
火花。
コックピットが激しく揺れる。
「ぐっ……!」
『返せ! ハルトを返せ!』
「知らないよ! 僕だって……!」
ユウリは涙を流していた。
「僕だって、こんなことしたくなかった!」
敵機がもう一度斬りかかる。
その時、遠方から一条のビームが走った。
黒い機体の脚部が撃ち抜かれる。
『そこまでだ』
低い女性の声。
宇宙の闇から、一隻の白い戦艦が姿を現した。
地球連邦軍特務艦――《アスクレピオス》。
その甲板から、青い量産型モビルスーツが数機発進する。
黒い敵機は舌打ちするように身を翻した。
『ガンダムのパイロット。覚えておけ』
通信越しに、敵の声が響く。
『お前が今日殺したのは、ただの兵士じゃない。俺の弟だ』
黒い機体は煙を引きながら離脱していく。
ユウリは追えなかった。
追う気にもなれなかった。
ただ、コックピットの中で座り込むようにして、荒く息を吐いた。
『ガンダム・オルフェウスのパイロットへ』
連邦艦から通信が入る。
『こちらはアスクレピオス艦長、レイナ・クラウゼン。君の身柄と機体を保護する』
「保護……?」
『そうだ。君はよくやった』
「よくやった……?」
ユウリは笑った。
自分でも驚くほど、乾いた笑いだった。
「人を殺したのに?」
通信の向こうで、レイナ艦長は沈黙した。
「僕は……僕は、守りたかっただけなのに」
涙が止まらなかった。
宇宙には音がない。
だから、少年の泣き声は誰にも聞こえない。
それでもガンダム・オルフェウスは、まるで主の悲しみに寄り添うように、静かに青い光を灯していた。
その光を、遠く離れた黒い戦艦のブリッジから見つめる男がいた。
銀色の髪。
片目を覆う黒い眼帯。
軍服の襟元には、独立同盟の紋章。
男の名は、カイゼル・ヴァルハルト。
「やはり起動したか、オルフェウス」
副官が問う。
「追撃しますか?」
「いや、泳がせろ」
カイゼルは笑わなかった。
ただ、冷たい目で白いガンダムを見ていた。
「あの機体は、戦争を終わらせる鍵ではない」
彼は低く呟く。
「人類が、まだ戦争を必要としているかどうか。それを測るための棺だ」
青い地球が、窓の向こうで静かに輝いていた。
その美しさとは裏腹に、宇宙ではまた一つ、憎しみが生まれていた。
ユウリ・アマギ。
少年兵ではない。
英雄でもない。
ただ、大切なものを守りたかっただけの少年。
彼の手は、もう血で汚れてしまった。
そして白いガンダムは、次の戦場へ運ばれていく。




