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さすらいのロザリー  作者: 村松希美


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第一幕 第三章 本という光




「黒猫の亭」での日々は、色を失った回転木馬のようだった。


朝から晩まで、止まることのない重労働。ロザリーの生活からは「時間」という概念が消え、ただ「こなすべき苦役」だけが積み上がっていく。


かつては白く柔らかだった彼女の手は、今やあかぎれで裂け、強い洗剤のせいで感覚が鈍くなっていた。


鏡を見る暇もなかったが、もし見たとしても、そこに映るのはかつて愛された「ロザリー」ではなく、煤に汚れた名もなき下働きだと、彼女は自嘲気味に思っていた。


(私は、ただの道具になっていく……)

そんな恐怖が、夜ごとに彼女を襲った。

バーバラ女将に怒鳴られ、エレンに嘲笑われるたび、彼女の心の一部が削り取られていく。


このままでは、いつか自分の中にあった「美しい記憶」や「言葉」さえも、この宿屋の脂ぎった煤煙の中に溶けて消えてしまうのではないか。



そんなある日のことだった。


客が去った後の屋根裏部屋を掃除していたロザリーは、ベッドの脇に忘れ去られた一冊の本を見つけた。

表紙は擦り切れ、背表紙も剥がれかかった古い物語本。


それは、裕福な家の娘だった頃の彼女なら、手に取ることもなかったような、ありふれた冒険譚だったかもしれない。だが、今の彼女にとって、それは暗闇の中に差し込んだ一本の光の束だった。


ロザリーは震える手で、その本を抱きしめた。

周りを確認し、誰もいないことを確かめると、ボロ布のようなエプロンの下に隠し持った。それは、泥棒と同じ行為だった。


見つかれば、どんな折檻が待っているか分からない。けれど、今の彼女にとっては、明日のパンよりもその本の中にある「言葉」が必要だった。


その夜、厨房の隅の冷たい床の上で、ロザリーは月明かりだけを頼りにページをめくった。


ひんやりとした紙の感触。インクの古ぼけた匂い。

文字を追うたび、凍りついていた彼女の想像力が、春の雪解けのように動き出した。


『……風は海を越え、名もなき島へと誘う。そこには、自由という名の黄金が眠っている……』

一文字ずつ、心の中で音にする。


その瞬間、厨房の生臭い匂いは消え、潮風の香りが鼻腔をくすぐった。重いバケツの感触は消え、彼女の心は鳥のように空を舞った。


(ああ……私はまだ、覚えている。世界は、この宿屋だけじゃないんだ)


本を読んでいる間だけ、彼女は「下働きの少女」ではなく、海を渡る冒険者になり、高貴な姫君になり、賢い探偵になった。


物質的な飢えは、相変わらず彼女の胃を締め付けていた。けれど、言葉という「心のパン」を口にするたび、魂の奥底にあった空洞が、少しずつ満たされていくのを感じた。


「ロザリー! いつまで寝てるんだい、こののろま!」

翌朝、バーバラの罵声で現実へと引き戻される。


寝不足で目は重く、体は鉛のように怠い。けれど、彼女の瞳には昨日までなかった小さな「光」が宿っていた。

エレンに汚水をかけられても、彼女は心の中で呟いた。


(私は、あなたの知らない美しい世界を知っている。この本の中には、あなたには決して届かない自由がある)


本は、彼女にとっての「盾」になった。

外側がどれほど汚れ、踏みにじられても、内側の聖域だけは誰にも汚させない。


ロザリーは、冷たい雑巾を握りしめながら、密かに胸元に隠した本の感触を確かめた。

文字を読み、物語を夢見ること。

それは、この絶望的な日常の中で、彼女が自分自身を「人間」として繋ぎ止めておくための、唯一の戦いだった。



だが、この小さな「光」が、さらなる過酷な運命を呼び寄せることになるとは、今の彼女はまだ知る由もなかった。






あらすじを入力し、AIが書きました。

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