09.許されるならすべてを灰燼に帰せと思う地元という存在
小学生の高学年の頃の話だ。数十年前になる。
小学校の近場にある公園でボヤが起きたことがあった。
消防車も来たが、ボヤだったので地方紙に乗ることもなかった程度のものだ。
公的に大人たちからは「子供たちだけで花火をしていたから起きた事故」ということになった。
けれど実際には僕の同級生の悪戯のせいで起きたことは、その当時の現場にいた小学生たちは知っていたろうし、原因になった男児の家庭環境知っていた一部の大人たちは理解していただろう。
けれど関わった大人たちはそうしたことには蓋をして「事故」ということにした。小学生のただの悪ふざけが原因で起きた火事を事故として隠した。
こういったものを小学高学年時代に眺めてしまったのは、社会に対しての、いや大人というものに対しての信用を損ねる結果となったと今でも思う。
大人というもの、教師というものを信用してはいけないと。
その後、原因となった男児は中学校にあがると悪い方面でさらに開花して、中学校に警察を呼ぶようなことも起こしていたとかなんとか。僕は地元とまったく違う中学校へと進学していたので聞いた話でしかないが。
聞いた話でしかないことで言えば、平成になったのに単車で校舎内に乗り込まれて色んなとこ壊されまくったというのが地元の中学校である。一時期はパトカーが中学校の周辺に常駐ていたって。他所でこういう地域がなかったら地元がバレるかもしれない。
地元と離れて無縁であると思っていた中学時代であったが、県警本部の(おそらく当時それなりのポジションであったであろう)方のご子息が同級生であったがために、自分の地元が警察の方が家庭で零すほどにアレな地域だったかと知ることになり、警察が未成年の内から名前を覚えるような輩が知人であったことも知ることとなった。今なら理解できる。
何度も補導うけてカンカン(少年鑑別所)行ってればそりゃね。
人間の善性や悪性といったものは、生まれついてのものもあれば生育過程でのものもある。
とはいえ幼少期から悪性を発芽させているというのは、もうどうしようもないと思っている。小学生時代にあえて事故になるような事をしたくせに大人を欺くことに躊躇ない奴がまともな大人になるわけないだろと。
んで、そんな人間でも結婚して子供もつくってれば許されているような世の中よ。子供がいれば偉いって風潮、これのせいで余計に少子化になってんじゃあないかと思ったりする。




