24.報われずとも苦労し続けられるという状態
我々人間というのは、というと主語がデカすぎるかもしれないが。
人というものは何の見返りもなく、報われることもなく、とにかくなにかしらの善い方面への変化が期待されるでもないという物事に対しては、そこまで頑張れることができるものではない。
何の変化も無いことが確定していることに頑張れるというのは異常でしかない、と僕は思う。
それでも続けてしまうという行為は、本人がその行為を好きでやっていることに他ならない。それは他者からの観測で言えば異常にも映る。
好きだから何の見返りもないことでも頑張れてしまうことは、客観的な見方であると共感を得られないことのほうが多い。
例えば、個人的なことで言えば、かつてマイクラにはまっていた時期がある。
時間にすれば1万時間に近いか越えたか、それぐらいの時間を注いだろう。いや、優に越えているのは理解しているがみっともないのでこんな書き方をしてしまう。
動画にでもしていれば、それはそれで需要があったかもしれない。一時期マイクラやってるユーチューバー多かったし。けれど全ての費やした時間が自分のためだけだ。1秒たりとも他者と共有はない。
1万時間かけたオナニーである。同じような体験をしたことがない者から見れば異常行動の1つにあたるだろう。
けれど自分としては何の異常性も感じられずに、ただ自分が楽しい、自分がこうしたい、自分の満足を得たい、そういう想いの上での行動である。
この1万時間は自分の満足感以外は何もない。お金にもならないし、名誉もなければ、他者からの評価にもならない。ただ好きでやっていただけのことだ。
好きだから結果が何にもならず、何処にも繋がらない行為にひたすら打ち込めてしまう。
趣味とはそういうものだろう。
何の成果も得られずとも好きだからやっている。誰に何を言われるいわれもない。
上達せずとも、自身のスキルに繋がらずとも、それでいいのが趣味だ。
そこに自分自身で見返りや報酬を求めるようになってしまったら、それはもう趣味の範疇を越えた感情である。いわゆる承認欲求。
とはいえ、多少はあったほうが、社会的には健全なのかもしれない。
一切ないとなるとアウトサイダーにもなりえる。難しい話だ。




