23.読み違えた過去を振り返る
ちょうど10年ほど前に、以前書いていたエッセイ「キャッチとアイのないテキスト」の「6.」にて僕は「電子書籍は一般的にはならない」と書いていた。
現実はどうか? 電子書籍のほうが右肩上がりである。
なぜこんなことを書いたのか? というと、これには僕の大きな思い違いがあった。
当時の僕は電子書籍を読む人はkindleなどの、ちゃんと読書用の電子書籍リーダーを購入してから読む層だと考えていた。
ところが実際はスマホでも電子書籍を読む人が大多数、おそらく最大派閥がそうなることとなった。これが読み違いの一番大きな要因の1つだ。
これについてはっきり書くと、スマホで小さな文字追って読むとか考えてなかった。
僕はもうずっと電子書籍で本を読んでいるが、スマホで読むことはしていない。
というか、老眼がもうすぐ訪れるような年齢となってしまったので殊更。こうなると普段使いのスマホの文字すら見難くあり、長文なんて読める気がしない。
その点、読書の為に特化した機械は素晴らしい。フォントの大きさの調整も、読みやすい明るさも、未知の単語の検索も簡単にできる。
読書家というのはこうしたツールにお金を払うことを躊躇わない人たちだと考えていたので、「スマホで読書をするという層」を完全に想定していなかった。
そしてもう1つの大きな読み切れなかった要因。
漫画の読者を電子書籍ユーザーの人口として扱われるとは考えていなかった。
こちらの理由のほうが、もしかしたら要因としては大きいかもしれない。
上記の通り、僕の考えの中では「電子書籍のユーザーというのは電子書籍リーダーで「本」を読む人」だとなっていた。正解は「漫画」をネットで購入して読む人も合わせての合算だった。
そりゃあねと。ネットで漫画を読むだけの人も含まれるとなると、そりゃあねと。
そういう2つの誤算があり、言い訳を書くことを許していただきたいものだ。
他の理屈を思い出すと、当時の電子書籍ユーザー数とか当時のアメリカの書籍の話とかウンベルト・エーコの『もうすぐ絶滅する紙の書物について』とか、まあ、なんかいろいろ考えてたんじゃあないかなと。
10年前。当時からkindleは売れていたしiTunesもあったが、まだガラケーの最後の時代といった頃だ。なのでこういった見方にもなっていた。
ところがコロナ禍のような世界的に生活様式の変更を強いられる騒動で、大きな日常の変化が起きた。
これがなかったらまだちょっとは、本屋なんかも生き残ってたりしてたんだろうかな、と。




