18.共感という知性や理性に反するもの
イーロン・マスクがしたツイート(ポスト)で自分の過去のエッセイを思い出した。
前回のエッセイ「キャッチとアイのないテキスト」の『59.倫理観や良心ではなく共感で偏るほうが「引きこもり」よりも怖いことだと思う』である。
こちらのエッセイは別にランキングに乗るとか感想に反響があるとかそういうことは全くなかったが、終わらせるためにとにかく書いていたら、知らぬ間になろうで実装されていたリアクションというものを送ってくれた方が1名いたので、正直なところわりと嬉しくも怖くもあった。
いや、だって、ねえ? 10年間も誰も無反応な独り言にだよ? その辺の路上で独り言呟いてるおっさんに相槌とか打つか? そんな気持ち。ブクマはあったけどもその辺の人らはもういないか読んでないよ? 読んだら何かしら相手に礼儀を払わないといけないと考えている御仁だったのかもしれないけれど、なろうではそんな人は稀だよ。僕の知ってるなろうの読者は毒者であって読んでも文句だけ吐き捨てるもんだと。僕の興味ない知らない間に読者層変わったの? とは思いました。
それはさておき。
イーロンが発したポスト(2026年05月15日23:56)をこの場にコピペすることはできないが、共感に対しての見方というものが似たようなものであった。
もしかしたら書いた意図が伝わらずに僕だけがそう思っているのかもしれないが。エッセイで僕が書いても無反応ではあっても、世界的な人物が語れば数万、数十万の人間がリアクションを取るわけだが。
これがその人間の能力を、本質を見る機会となる。物事を理論や道理ではなくその他の情報や価値で計るかどうか。いや、そういうことを話したいんじゃあない。
この「共感」というものの危うさだ。
僕は昔からこの共感というものが好ましくなかった。
要は嫌っていたし、若い頃は共感されたときには「自分は共感される程度の所にいるのか」となったものだ。
ところが世間はこの「共感」というものを馬鹿みたいに大事にしている。世間というのは少し違うかもしれない。共感が利益を産むところか。お金だったり人脈だったり人気だったり。
共感というものは人を誘導することに非常に有用なものだ。扇動、洗脳に近い。
集団浅慮という言葉がある。これも共感によるところがあるものだ。共感によって思考能力、判断能力、知能が下がってしまう。
人の負の感情も共感で広がってしまう。一部の人間で言われる悪口、陰口で仲良くなるとかいうやつだ。嫌いな誰かを共感することで攻撃対象が確定となって、そんなことばかり考えていると脳内では憎悪は増幅される。
またイーロン・マスクが語っていたような共感の悪用という点もある。まあ人間の情に訴えかけてくるものは大体において注意を払うものだというのは真っ当な人間なら知ってるものだろうけど。共感によって人を動かすのは人類史において学ぶべきこと。全体主義だって共感がなければ成り立たない。
世間ではこうした共感での問題点を重要視しない。基本的に社会というのは共感によって利益を得て成り立っている。
例えばなろうではポイントがある。このポイントの贈与というものをおそらく多くのユーザーは自分の意志や判断で行っていると思っているかもしれない。しかし、その判断は本当に自分独りのものかどうか。ほとんどの人が自分が面白いとか興味深いとかよりも、すでに人気があるかポイントが入っているかもう誰かが支持しているかどうか。要は誰かと共感することを気にする。




