99 出発の準備
「まあ、アイさん。ご無事でなにより!」
カウンセリングルームにアイが入ると、メープルは手を取ってそう言い、喜んだ。
「ありがとう、メープルさん」
「今日はどうしたの?退屈している私のために、おしゃべりをしに来てくれたのかしら」
「あはは……それも是非って感じだけど、相談もあって……」
「知ってる。正直言うと、待っていたの。プリンさんの攻撃を、無事跳ね返せたのよね?」
「ええ。でもその時の方向付けは、うまくいったんだけど……私はまるで悪の権化みたいになってしまって……」
「ふふ……権化だなんて。かわいらしい悪の権化がいたものね」
メープルはそう笑いながら、アイを椅子に座らせた。
「自分を清廉潔白だなんて、思う必要はないんですよ、アイさん」
メープルは手を取って言葉を紡いだ。
「誰にだって、狂暴な一面もある。それが増幅されたのは、プリンさんのせいです。逆に言えば、そうしなければアイさんは、それを抑えることができている」
「どうかな……そういう面がない人だって、いるんじゃない?メープルさんだって、そう見えます」
「まぁ!」
メープルは可愛らしく驚いて見せた。
「私だって、怒ることはあるんですよ。この間だって、お気に入りの花壇を、踏み荒らされてしまって、もう、かんかんです!」
かんかん、と頬を膨らませるメープルは、全く怒っているように見えず、アイは苦笑いした。
そして、その花壇を踏み荒らしたのが、この宮殿に初めて侵入した時のエスじゃない事を祈った。
「だから、ね。アイさんにも、そういう一面があったっていいんです」
「でも、私は人を殺したかもしれない……」
「事実かどうか、確認は取れていないみたいですけど……ベリィさんと同じです。それを踏まえて、この先どうやって生きるか。アイさんは、もう答えを出しているんでしょう?」
「うん……」
その通りだ。
そのことは、少なからず、アイが結社との対立の道に進もうとしていることにも、関係していた。
「だったら、大丈夫!アイさんは、大丈夫です。私が保証します!」
「ありがとう、メープルさん」
「今のあなたのために、将来のあなたのために、より良き、あなたの世界のために。もしプリンさんの時のように、仮面が必要なら、迷わず使いなさい。正義でも、悪でも、素のあなたでさえも、一つの仮面。全てを使って進めばいいわ、アイ」
メープルは、まるで行く先を祝福するように、そう言った。
「そうだね……メープルさん……そうすることにする」
転生してきたアイにとっては、既にアイという役割が仮面の一つだ。
常に周りの人に嘘をつき、欺きながら生きている。
アイはずっとそのことに心の隅で罪悪感を感じていたのかもしれない。
しかし、メープルはそれを払拭してくれた。
それでいいのだと、肯定してくれた気がした。
「メープルさんは、何も知らないのに、すごいね」
それは転生のことを何もしらないのに、という意味だったが、当然、違う意味でメープルには伝わった。
「えっ?私、生意気でした?!もしかして、怒ってます?」
「あっ、違う!違う違う!待って、誤解だから!」
せっかく相談に乗ってもらったというのに、それからしばらく、アイは不安そうにしているメープルの誤解を解くのに、少しばかり時間を使う羽目になったのだった。
アイが自室で荷物をまとめていると、ベリィがエスと尋ねてきた。
「アイ……お願いがあってきました」
「ベリィ、どうしたの?」
「お願い、ウチも連れて行って……」
「えっ?これから……東の私の家の方までってこと?」
「ウチには居場所がない……でも役に立ちたい、償いたい……アイのそばにいれば、それが叶えられる気がする」
「……そっか」
アイは、ベリィのことを思うと複雑だった。
ベリィにされたこと……スティルにしたことは、直接謝った。
あとはスティルとベリィの問題だし、それには区切りがついた。
アイにしたこと……嘘をついて、脅して恋人になろうとしたことは、まだアイの中でも片付いていなかった。
ベリィという女の子とキスしたことは、未だにアイの煩悩の源だった。
アイは頭からその思い出を追い出そうと、目を閉じて頭を横に振った。
今までは、ベリィを悪い人間だと思っていた。
人殺しだし、恐ろしい考えをもった、自分とは違う人間だ。
しかし、アイは考え方を少し変えなければならなくなった。
アイも、同じ罪を犯しているかもしれない。
もっと言えば、例えばエスはそれを全く後悔していないし、今後も必要があれば誰であろうと、殺す気満々だ。
そう言う意味でいうと、アイとベリィは、同類だった。
やむにやまれぬ状況も、人を殺した過去も、これからなんとか、まともに生きたいということも。
「ベリィ、あなたは私と一緒だね」
「アイ?」
「いいよ、キッシュに聞いてみる。でもダメだって言われたら、諦めて」
「うん……うん!ありがとう、アイ!」
ベリィは涙目で喜んだ。
アイには、最初に会ったあの商人の女性と、今のベリィが同じ人物だと、胴にも思えなかった。
アイがキッシュにそのことを伝えると、帰ってきた答えは意外なものだった。
「え?元からそのつもりだったけど、ダメだったかのかな?」
「え、そうなの?」
「だって、ベリィを見張れるのは、エスだけじゃない。エスはアイについて行くから、ベリィもおのずとアイについて行ってもわらなきゃいけないとは思っていたんだよ」
「でも、ここにいれば、ベリィも見張れるのかと思ってた」
「宮殿の中にいる間は、どこにいるか把握はできるよ。でも、実際にその場で捕まえられるのは、エスくらいだよ。あるいは万能の魔女でも連れてこないとね」
「またモカか……モカがいれば、どこで何が起きても片付くんだけど……とっとと森から出てこればいいのに……」
「万能の魔女の名前を?」
キッシュが驚いたように尋ねた。
「ええ。自由都市国家連合の南の森で……実は、モカの弟子に送ってもらったんです」
「ああ、嘘でしょう?アイが助けてもらった魔女って、万能の魔女か!」
「う、うん……スティルに一回信じてもらえなかったから、あんまり話さないようにしていたんだけど……」
「参ったな、アイ。君がいるだけで、いろんなことがとんとん拍子だ。東の一件が片付いたら、モカと話す機会をなんとか作ってくれないかな、お願いだよ」
「ううーん……また探せるかはわからないけど、善処するよ……」
「ありがとう、アイ。東方の姫君として、君がここに戻るのを心待ちにしているよ!もちろん、婚約者としてね!」
「いや、それは無茶でしょ……実際に帝国はあるんだから、いずれバレちゃうでしょ?」
「どうかな?僕は帝国と仲がいいからね。やってできないことは無いと思うけど?」
「やらなくていいです。とにかく、ベリィは連れていきますから。その点はありがとうございました」
「うん。きっと仲良くやれるよ」
「そうですね……」
アイは、ベリィとエスがいる旅路を想像して、少し笑った。
二人は仲が悪いけど、本当に憎み合ってるというほどではないし、エスも少し、ベリィを可愛がっている節がある。
「あ、そうだ。サーシャもついて行くって。よろしくね~」
「えっ?!サーシャはキッシュ様の使用人でしょう?それにすごく強いし、大丈夫なんですか?」
「僕も引き留めたよ?でも『アイ様のほうが、キッシュ様より、からかっていておもしろいので』だってさ。僕もこんな理由で使用人に辞められたのは初めてだよ。少し……ショックだね……」
キッシュが本当に寂しそうに言ったので、アイは吹き出してしまった。
「そうですね、キッシュは、何を言われても動じないですから。もしかしたら、今のその顔が見たいがために、サーシャは辞めたのかも」
サーシャならやりかねない、アイはそう思った。
「参ったな、僕はそんなに面白みのない人間かい?」
「今の困った顔は最高に面白いですよ!だから、元気出して!」
アイはキッシュをからかうと、ひとしきり二人で笑って、挨拶してその場を後にした。
これで、ベリィの件は片付いたし、なんとサーシャまで同行することになった。
アイにとってはどちらも、心強い味方だった。




