79 王城
それから数日後、アイはキッシュに連れられ、王城へと向かった。
門を出て行くことを想像していたが、実際には宮殿がそのまま王城の敷地に繋がっていた。
宮殿内部から王城にかけて、多数の衛兵が見守っており、キッシュが通ると姿勢を正して敬礼をして見せた。
「やあ、おはよう。少し、髪が伸びたかい?」
第三王子だというのに、キッシュは衛兵にも気さくに声をかけていたし、衛兵も衛兵で、王子と話し慣れているようだった。
王城の敷地に入ると、貴族らしき人々や、あるいは官僚のような人々まで、様々な人間が歩いていた。
ここは王の家であり、また、国家の最高機関が入った役所でもあるらしい。
「キッシュ様はここで暮らさないんですか?」
アイは、既に人目がある事を意識しながら、異国の姫なら尋ねてもおかしくないことを考えてから、そう聞いた。
「ああ。ここに住まうのは父上と、母上だけだ。第一王子はここから西の自分の領地で過ごしている。第二王子も領地を治めているけど、今は近くの宮殿に滞在しているね」
「あの人たちは?」
アイは行き交う人々を指して尋ねる。
いくら質問しても、初めて王城を訪ねる異国の姫がすることとしては、おかしくないだろう。
意外にも、アイが与えられた役割は、この王国のことを何も知らないでもいいという点で、演じやすいのかもしれなかった。
「彼らは官僚。国の細かいことまでは、王がすべて取り仕切れないからね。普段は王都の役所にいるけど、比較的重要なことはこうして王や側近に伺いを立てに来るんだ」
「へぇ~……思ったよりちゃんとした国なんだね」
キッシュは驚いたように少し眉を上げて、アイのほうを見た。
しまった、少し失礼だったかもしれない。
「まだまださ。人一人がすべてを決めるには、この国は大きすぎる。その中で時代を経て、試行錯誤してなんとか完成されたシステムにすぎない」
「十分素晴らしいと思います」
アイは訂正してそう言った。
時折、元の世界の現代人の物差しで判断しがちだが、この世界は全く違う時間を流れているのだ。
行く先さえも同じとは限らないだろう。
「せわしなく見えるだろう?実際、この国は目下、戦争前夜というほどの混乱だ。王国民は誰も、そんなこと想像すらしていないだろうけどね」
「戦争……?この国が?」
アイは、その言葉が信じられなかった。
今まで見てきた街は、アイが関わった事件はさておき、人々は冒険者に魔物から守られ、平和で豊かに暮らしているように見えた。
「ふふ、王城でするような話ではなかったね。また話そう。憂鬱な話である程、おいしいものでも食べながら話すべきだよ」
キッシュはそう言って、遠い目をしてその話を終わらせた。
アイたちは開け放された城の大きな扉をくぐり、中に入る。
辺りは日光を遮られたせいで暗く、途端に静かで重厚な雰囲気に包まれた。
アイは少し緊張し、人目を気にしながらキッシュについて行った。
キッシュは歩き、階段を上っては、また歩いた。
城の中はやたらと広い。
アイがもし冒険者をやっていなかったら、へこたれていただろう。
しかし、キッシュは涼しい顔をして、すいすいと歩いて行った。
あるエリアに近づくと、衛兵の警備が厳重になった。
キッシュが近づくと、衛兵は敬礼し、通そうとするが、それでもアイのことに関して、説明が欲しそうにしてキッシュを見ている。
「ええと……殿下。あちらのお客様は……?」
「ああ、ああ!ごめん。ルード、事前に伝えていなかったね。彼女はキョウトウ帝国の第三皇女、アイ・イザナミ様だよ。国境付近で襲われていたから、帝国を訪問していた私の部下たちが保護したんだ。兄様に紹介しようと思ってね」
アイは緊張しながら、衛兵に軽く会釈をした。
この国にはない風習だが、アイが学んだことによると、帝国の人間であればおかしくない仕草だ。
「そ、そうでしたか。しかし……いえ……次回からは事前に教えていただければと……」
「わかってるさ。いつもすまないね」
キッシュは特別扱いなのか、軽々とアイを通して、室内にあったゲートの奥へと進んだ。
そのあともしばらく進んだが、突き当りの大きな扉の前に来て、衛兵に挨拶すると、キッシュは中にアイを連れて入った。
ぽつりと置かれた机に比べては、だだっ広い部屋の中には、がたいのいい、灰色の短髪をした男性が、後ろの大きな窓から光を受けて、腰を掛けていた。
キッシュよりは年上だが、まだ若く、どこか儚げなキッシュとは対照的に、健康的でエネルギーがあふれるような立ち振る舞いだった。顔の彫りも深く、キッシュとは反対の男性的な顔立ちだった。
キッシュが入室すると、書類仕事から手を離し、立ち上がって迎え入れた。彼はキッシュと同じように、白い正装に身を包んでいた。
第二王子ロースト・フォンデュ・フロマージュ。
キッシュから説明を受けていたアイは、再び国のトップに近い人間と謁見することに、ひどく緊張した。
「ロズ兄さん、お久しぶり」
「キッシュ。どうした?珍しいな。その娘は?」
ローストはアイを、怪訝そうに見た。
アイは両手を合わせて合掌し、帝国風のお辞儀をした。
「兄さん、ひどいな。手紙を送ったでしょ。彼女がキョウトウで保護した第三皇女だよ」
キッシュはそういったが、実際には手紙など送ってはいなかった。
どうせ兄は自分が手紙を送ったところで、読むことはないと知っていた。
「あ、あぁ……そうだったな。忙しくて。目を通したと思ったんだが……キョウトウだって?もう何年もやり取りしていないじゃないか」
「ええ。あちらも大変みたいで、お互い余裕はないですから。書簡のひとつでもやり取りしよう思い、気まぐれに部下をやったのですが、こんなことになるとは」
「なぜそんな国境近くに皇女が?妙な話じゃないか」
ローストはいまだ不審そうにアイを見つめていたが、キッシュは不安げもなくぺらぺらと喋り続ける。
「実は……解放戦線との交渉に向かったところを襲われたそうなんです。彼らに話し合いは通じないという証左ですね。兄さんにも、そのことをお伝えしたかったんです」
「そ、そうか……奴らにも手を焼く。帝国も同じ状況か。もし、意思疎通が取れるようなら、協力して解放戦線を叩けるだろうか?」
「そう思い、お連れしました。兄さんがそうしてくれたら、アイ様も喜ぶでしょう」
「参ったな……キッシュ。もっとちゃんとした場を設けるべきだ……お前は少し、形式とか、礼儀とか、そういったものをだな……」
嘘というのは自信満々でついてこそ、説得力を持つようだ。
アイはキッシュのその態度を、少し見習おうとすら思った。
自室に突然、私的に保護した異国の姫を紹介に来たキッシュ。
その状況をようやく冷静に理解したローストは、狼狽した。
「お初にお目にかかります、ロースト殿下。帝国ではあまり、公私を分かたず関係を築くものですから、無礼でしたらお許しを。一刻も早くお目通りしたかったものですから」
アイは、キッシュを見習って、緊張しながらも、堂々とそう述べた。
キッシュは笑顔を崩さず、それでいい、という風に目線を送る。
「いや、構わない。緊急時だ。襲撃にあったという事情が事情なのだから、形式は廃してもいいだろう。この度は心中お察しする。王とは安全だ。心を休めるといい」
「ありがとうございます、殿下」
アイは再びお辞儀をした。
意外にも柔軟な考えを持った王子で、アイは少しほっとした。
「どうかな、兄さん。彼女を僕の婚約者とするのは。そうすれば、帝国は身内になって、東の心配はしなくてよくなるよ?」
「いいじゃないか。専ら西の問題ばかりで、東はあまり重視されていないが……そちらの憂いがなくなるというのならこの上ない」
「だってさ。アイ。了承を得られたね」
アイは目をぱちくりさせた。
何を言っているんだ、こいつは。
普段から何を考えているか分からないやつだったが、やっぱり何を考えているかわからない。
ボロを出さないように必死で演じているアイの、邪魔をしているようにしか思えなかった。
「そ、そうですね……」
何も気の利いたことは言えず、アイはとりあえずの相槌を打った。
あからさまに喜んではいない様子だったが、ローストも気にも留めていない。
きっと、この世界では女性側の意思などどうでもいいことなのだろう。
それに、勉強したアイであればわかることもあった。
東は重視されていない。
政争の火種にならない、いわばどうでもいいところの娘と、第三王子のキッシュが結婚するなら、第二王子のローストからしたら都合がいいのだろう。
「そうだ。婚約者といえば……驚かされてばかりじゃないぞ」
ローストが、にやりと笑った。
「お前が先に始めたことだ、キッシュ。まあついてこい」
ローストはそう言うと、キッシュとアイを連れて、部屋を出た。
そしてしばらく歩くと、ある部屋の前で立ち止まった。




