80 悪女
ちょい辛展開です。
「おい、入るぞ。マドレーヌ」
え?
聞き間違えか?
あるいは、よくある名前なのか?
アイは耳を疑った。
鼓動が早くなり、全身から汗が噴き出した。
ローストが扉を開けて、部屋に入ると、女性らしい部屋に、マドレーヌが三人を迎え入れた。
「どうぞ。あら、どうしたの?大勢で!」
あの、マドレーヌだ。
見間違いようのない、カラムのそばにいたはずのあの女が、王都の、王城の中の、アイの、目の前にいた。
アイに罪を着せて、行方をくらましたはずの、あの女だ。
「大丈夫かい?」
キッシュは一瞬でアイの変化に気づいたようで、そう声をかけたが、アイは何の言葉も返せなかった。
しかし、マドレーヌはアイになど気づいてもいないかのように、三人を部屋に招き入れた。
「どうだ、キッシュ、驚いただろう」
「まさか。兄さんから女性を紹介されるだなんて。兄さんは国と結婚したんだと思ってた」
「言えてるな。第一王妃は国だから、彼女は第二王妃になる予定だ」
「まあ。ロズがもうご結婚していたなんて、初耳ですわ。家へ帰ろうかしら」
「へそを曲げるな、マドレーヌ。言わせるな、誰よりも愛している……」
ロースト達のやり取りを、アイは呆然と眺めていた。
何を考えているんだ?
アイにはロースト達が、得体の知れない化け物と冗談を言い合っているように見えた。
「マドレーヌ、改めて紹介する。第二王子のキッシュと、婚約者の帝国の姫、アイだ」
紹介され、マドレーヌの前に立った時、アイの顔は恐怖で引き攣っていた。
挨拶の一つもできずに、おぞましいものを見るように、マドレーヌを見ていた。
「こちらは西南諸島国家から来たマドレーヌ姫だ。彼女の両親にも認められて、婚約している」
西南諸島?姫?何を言っている?
ついこの前まで、この女は、東のアイの屋敷の近くの村にいた平民じゃないか。
「ごきげんよう、キッシュ殿下、アイ殿下。こんなところでお会いすることになるなんて驚きましたが、お会いできて光栄です」
マドレーヌは、アイに初めて会うような顔をして、平気で挨拶をした。
そしてうつむいたとき、その左目が微かに、赤く光った。
アイは確かにそれを見たことがあった。
ルカの、瞳。
赤い両目。
マドレーヌの左目が、そう見えたということは……?
「うっ……」
アイは気分が悪くなり、口元を押さえた。
しかし、顔を上げたマドレーヌの左目は、いつも通りの右目と同じに戻っていた。
「あっ……大丈夫ですか?」
マドレーヌは心配そうに、アイを気遣った。
その言葉すらアイにとっては、酔った身体を揺らされたような気持ち悪さを感じるだけだった。
「気分が悪そうだ。兄さん、ごめんなさい。またしっかりと挨拶させてください」
いつも笑みを浮かべたキッシュも、真剣な顔をしてアイの肩を支え、ローストにそう言った。
「あ、ああ。なにせ襲撃された身体だ。いつも通りとはいかないだろう。大事にしてくれ」
ローストもアイを気遣い、それ以上のことは聞かなかった。
アイは頭を下げると、キッシュに支えられながら、部屋を後にした。
「アイ様、お大事に……。一度助かったお命、くれぐれも大事にしてくださいね?」
アイは確かに、去り際にマドレーヌがそう言ったのが聞こえた。
それは、きっと、ロースト達には、帝国で襲われたアイに向けての言葉と受け取っただろう。
しかし、アイにはそれが、脅しの言葉に聞こえていた……。
「っげほっ……げほっ……!」
アイは部屋から出て、扉が閉まった瞬間、吐きそうな気持ちを必死で抑えながら、咳き込んだ。
背中を壁に預けながら、しゃがみ込んだ。
マドレーヌはアイを悪者に仕立て上げて、カラムの前から姿を消した。
それを機に、カラムはアイを信じてくれたかと思いきや、気が変わったかのようにアイを処刑しようとした。
それよりも、目だ。
あの目、アイを操った憎きルカの瞳。
ルカは、ミストに連れ帰られたはずだ。
一瞬にして、ルカが殺されたかもしれないこと、マドレーヌが、ルカの目をくりぬいて、平然として自分の目として使っているかもしれないこと、そして、その目で、誰かを、おそらくローストを操っているかもしれないこと。
その考えが頭を過ぎり、何か強大で醜悪なものを目の当たりにした気がして、アイの腹の底から、恐怖と怒りと混乱が混ざったものがこみ上げてきた。
「はぁ……ハァッ……っく……」
アイは何故か呼吸をするのが難しくなってきた。
いつも通り息を吸って、吐いているはずなのに!
いや、違う、ルカは無事で、何かマドレーヌの目を変えるような魔法があるのかもしれない。
そもそも、目に関しては、自分の見間違いかもしれない。
冷静になれ、冷静に……
「大丈夫かい?アイ……」
あの微笑み張り付き王子が、こっちを心配そうな顔をして見ている。
そんな顔もできたのか。笑える。
アイは他人事のようにそう思ったところで、意識を失った。
「はっ……!」
アイが目を覚ますと、ベッドの上に寝転がっていた。
状態を起こし、周囲を警戒する。
「お嬢様……、お目覚めになられましたか」
いつも無表情なサーシャが、少し眉を八の字にして、心配そうに隣に座っている。
いつの間にかキッシュの宮殿の自室まで運び込まれていたようだ。
まるであの時、この世界に初めて来た時みたいだな。
その時も隣でミルフィーユが座っていて、最悪の事件が起きた後だった。
アイはそんなことを思い出していた。
「誰かが……運んでくれたの?」
「キッシュ様と衛兵が一緒に戻ってきたので、最悪の事態も考えてしまいましたよ」
「そっか……迷惑をかけてしまった。キッシュと話さないと……今すぐ……うっ……?」
アイはいつも通り立とうとしたのに、勝手に視界が傾いていって平衡感覚を失った。
「まだ動いてはいけませんよ。病人め」
「病人呼ばわり」
すると、会話に割り込むように男の声が聞こえた。
「実際病人だろうよ」
ソロンが部屋を入ってすぐのところで、こちらを見張っていた。
いつも通り、不機嫌そうに腕を組んで、アイのほうを見ている。
「ソロン、いたの?」
「守ってやれとさ。こちとら忙しいんだがね」
「ソロン様なんていなくても、私一人でソロン様50人分くらいめっちゃ守れますけどね」
いたって真面目な表情で、サーシャは言ってのけた。
「じゃあ、俺が51人必要な場合に備えてるんだろ」
「51人くらいなら、頑張れば増やせます」
「じゃあ52人必要な場合に備えてんだよ」
「ああ言えばこう言う」
「お前が始めたんだろうが!」
マイペースなソロンですら、サーシャの前では軽くあしらわれてしまっていた。
アイはそれを見ながら、くすっと笑った。
「笑いましたね、お嬢様。顔色が悪かったので、本当に心配しましたよ」
サーシャも口元だけで、少し笑った。
ソロンをだしにして、アイの気分を落ち着かせる、サーシャなりの気遣いだったのかもしれない。
そんな頃、キッシュが部屋に顔を出した。
「アイ、目覚めたかい?心配したよ」
「キッシュさん……ご迷惑をおかけしました……でも、すぐに伝えないといけないことがあります」
「聞かせてほしい。ゆっくりでいいからね。時間はいくらでもある」
アイは、マドレーヌのことをキッシュやソロン、サーシャに話した。
アイの身に起きていたことは一度大まかに話をしていたので、アイを陥れた人物があの部屋にいたマドレーヌと聞き、キッシュは驚愕した。
「まさか……本当に同一人物なのかい?」
アイはキッシュの余裕のある顔ばかりを見てきたが、この時は深刻に考え込んでいた。
「間違いありません。赤い瞳のことは自信がありませんが……姿は間違いなくマドレーヌです」
アイはそれだけは自信を持って言えた。
何度も会っていた人物だ。間違えるはずがない。
「だとすれば……単純に推測するなら、兄さんが操られているということになるね……しかし兄さんはいつも通りだった。操られている様子は無かったよ」
「ルカから聞いたことがあります。脳の一部を制限することで、ほかの部分はいつも通りふるまわせることもできるし、自分の好きなように操ることもできると」
「最悪の事態だね……どう手を打ったものか……」
それを聞き、ソロンがじれったいように口を出した。
「決まってる。その女をひっ捕らえるんだ。そうすれば全部分かるだろ。アイが確信を持っているなら、そうなんだろうよ。例えばアイが敵の回し者で、キッシュ、お前をはめようとしてるってことでも無けりゃあな」
「僕はアイを信じているよ。でも、タイミングが重要だ。証言だけで、捕まえることはできない。何か事を起こすその時に、叩く」
キッシュは、万全を期して、失敗がないように捕まえたいと考えていた。
「つまり……頼んだよ、ソロン。マドレーヌを見張って、妙な動きがあれば、捕まえてほしい」
「だぁーっ!!冗談だろ!俺を過労死させる気か!」
ソロンが頭を搔きながら、叫んだ。
「だいたい、城の中でいい暮らししてる女だろ?お前のほうが得意だろう、そういうのは!」
「その人選も含めて、君にお願いするよ、ソロン、信頼している」
そう言って、キッシュは無邪気に笑った。
「はぁ~っ……わかったよ……いい酒用意しとけよぉ?」
「任せてよ。よろしくね、ソロン」
「チッ……」
屈託のないキッシュの笑顔を見て、ソロンは舌打ちすると、その場を後にした。




