普通ってそんなに偉いの?
「来てくれたの?」
「来るって約束しただろ?」
あの日以来、オレは毎日のように美里の病室に通った。
あれからオレは岩崎に会って頭を下げた。
まさか岩崎もオレが頭を下げるとは思っても見なかったらしく、目を見張って驚いていたが「尚様の思う通りになされば、よろしいかと存じます」そう言ってオレの背中を押してくれた。
オレが病室に現れる前に声をかけて来る少女ー高柳 美里は、ゆっくりとオレの方に、無邪気な笑顔で笑いかけて来る。
その笑顔を見るたびに、オレは自分の犯した過ちを思い知らされる。
「包帯…とれたんだ」
大きな薄茶色の彼女の瞳には何も映さない。
オレのことが見えるのか?と聞けば、彼女は残念そうに首を振る。
右目はピンボケした古い写真みたいにしか見えないと言われ、心無しかほっとしている自分がいたことに自分自身驚いた。
左目はぼんやりと光が感じるくらいだと言って来た。
そんな自分に何でお前がほっとするんだと怒りたくなる。
「ねえ…今日は何をしたの?」
「ん? 今日な…映画を見て…あ、ごめん…」
口に出してしまった後で、言わなきゃ良かったと自分の失態に黙り込んでしまった。
きまずい雰囲気が流れる中、少女が大きく鼻で息を吸込むと「謝らないで。どうしてお兄さんが謝るの? お兄さんは何も悪くないのに」無邪気にそう言って来る少女のあどけない表情が、オレの醜い心に白く光る槍が打ち込まれる。
「お兄さんは学校には行かないの?」
「え?」
オレは一言でも学生だなんてこの子の前で言ったか?
言ってはない筈だ。
「だって、高校生なんでしょ? 他の先生が話してたもん」
もう、バレちまったんだ…。
「あ、ああ。そうだよ。でも今は学校行ってないんだ」
「じゃあ、美里と同じで、病気でいけないんだ」
オレの言葉をどう取ったのか、美里はオレが病気で学校に行けないんだと勘違いをしてしまった。
オレはその勘違いを利用した。
「美里ちゃんって呼んでも良いかい?」
「いいよ。お兄さん…名前は何て言うの?」
「ひ、…岩崎 尚って言うんだ」
オレは自分の罪悪感からか、岩崎の名字を使った。
岩崎と言う名を聞いて、美里の肩がビクリと震えた。
「どうしたんだ?美里ちゃん?」
「岩崎ってよくある名前なのかな?」
「そうみたいだね。でも田中ほどではないけど名字が無理なら、尚って呼んでも構わないよ」
美里から岩崎の名前の存在を消すために、色々な話をしていった。
ベッドの脇に置かれていた教科書を見て「勉強しているのか?」と思わず聞いてしまった。
でも、彼女が持っていた教科書は、普通の教科書で点字で書かれていない。
「まだ点字が読めないから…」
少し沈んだ顔で言われて、オレは…つい言ってしまった。
「じゃあ、オレと一緒に点字を憶えようよ」
彼女と一緒に点字を勉強し始めた。
美里の頭が元々良いせいか、彼女はすぐに点字を憶えて行った。これならいつでも学校に戻れると話していた。
いつもみたいに美里の病室に行ってみると、この日 美里は病室にいなかった。
どうしたんだろうと探しまわって、屋上で美里を見つけた。
「美里、どうしたんだ?」
「え? お兄さん? な、何でもないよ」
「何でもないって顔じゃないだろ?心配性のお父さんたちに言えなくても、『お友達』のオレにだったら言えるんじゃないのか? それにお兄さんじゃなくて、尚兄さんって呼ぶんじゃなかったのか?」
そんな今まで泣いてましたと言わんばかりに目を真っ赤に泣きはらしておいて、どこが何でもないだ。
「尚兄…私…学校に行きたい!! 早くみんなにお友達に会いたい!! ここにいると皆が美里の事を忘れそうで怖いの! どうして美里だけがこんな思いしなきゃいけないの? どうして?
お友達の顔も見えなくなっちゃった私の事なんてみんな忘れちゃうよね。
そんなの嫌だよ…。なのに…なのに…今日ね、先生が病院に来てママと話してたのを聞いたの。
転校しなさいって。美里は普通じゃないから特別な学校に転校して下さいって。
ねえ、お兄さん普通って何? 目が見えなくなったら普通じゃないの?
美里は目が見えなくなりたくてなったわけじゃないのに…。
でも美里が病室で泣いてたら、ママが心配するから…。ねえ、お兄さん、普通ってそんなに偉いの?」
「美里ちゃん…」
オレが美里の頭を撫でると関を切ったみたいに、美里がわんわん泣き出した。
小さな美里は子供なりに周りに気を使って来たんだ。
今まで出来てた事が出来なくなる恐怖を味わって、その上学校が大好きな少女にとって、こんなに長い間学校を休むことに耐えられなかったこと。
大好きな友達の顔も見れなくなってしまったこと。
そして一番悲しかったことは、学校側から少女に聾学校に転校するように言って来たと美里が泣きながら話して来た時に、オレは天を仰ぎ見ると拳を握ったまま立ち尽くしていた。
「心配性のパパやママたちが知ったら、パパたちはもっと悲しんじゃうから言えなかった。だから自分から言ったの。盲学校に行きたいって。そしたらみんなほっとしてたみたい」
半分あきらめたように半笑いしている美里の横顔があまりにも辛そうで、オレは美里を抱きしめていた。




