5
拙生さんからお守りをもらって別れて数日が経った。稲葉さんはあの女を捕まえられただろうか。拙生さんは結果は出ただろうか。お父さんとお祖母ちゃんにも伝えておいたから、一応なんかしらの対応はするだろう。
今日の俺は休みの日。今日も身代わりの術の練習だ。朝起きて、少しだけ練習。……透明な霊力の流れが見えて、一瞬だけ人の形をした紙に宿る。あっ、もういいかもしれない。
ものの数分置くけど、紙は破裂しない。……成功? 成功なのか?
俺は時計を見て気付く。……あっ、朝ごはん! 今日は俺の当番で父さんの弁当……!
「やば……!」
身代わりの形代を適当なバッグにしまう。急いでパジャマから私服へと着替える。
朝食の炭水化物はパンの時もあればご飯もあるけど、基本はご飯。
味噌汁とご飯。焼きシャケと野菜の和え物だ。ご飯は多めに炊いて、大盛りに。お父さんも俺もよく食べる方だ。お弁当の分もあることを言っておくが。
朝食を取り終えると、父さんのお弁当箱におかずを詰めた。おかずだけ詰めたお弁当。ご飯はおにぎりにして、具は高菜にしよう。ラップフィルムでご飯を包んで、三角形にする。昔の関西のおにぎりは、俵型が主流だったと聞くけど本当かな。お父さんのお昼のお弁当の準備をし終える。
俺が朝食を作る当番だから食器を洗う。本当にお父さんが作れない時は、電話やメールで連絡をくれる。報連相大切。
ニュースのアナウンサーの声をBGMに、食器を水切り籠に置いた。リアルタイムで知りたいならSNSだけど、要約するものを見るならニュースだ。
……洗い終えたので、蛇口から水を出すのをとめる。ハンドクリームをつけて、お父さんのお弁当を包んでおかないと。水洗いをしたあとに、ハンドクリームをつける理由。やってきてわかる。ハンドクリームをつけながら、お父さんはお母さんに感謝してたなぁ。
「……ん!?」
お父さんのびっくりした声が聞こえ、俺は不思議そうに聞く。
「どうしたー?」
居間に顔を出すとネクタイを結んでいる父が、驚きながら俺に向く。
「……猿ヶ辻の猿の像がなくなって、金網が破られたらしい」
「……はぁっ!?」
思わず俺は声が出た。
猿ヶ辻の猿がいなくなった。ニュースの映像でも映ったけど、本当に猿の像だけがなくなっていた。猿を閉じ込める網はこじ開けるように破られている。
昨日の今日のこともあり、俺は稲葉さんに連絡を入れてから、猿ヶ辻で合流をする。猿の話をしたら、稲葉さんも慌てたようだった。……愚喰は捕まったのだろうか。聞かないと分からないな。
京都御所の猿ヶ辻で待ち合わせる。猿ヶ辻の周辺にはコーンと規制線があって、出入りを禁じられている。……物珍しさかことの大きさからか、市民の人が見に来ている。その中、同じように猿の像を見ているスーツの人がいた。
当然、知り合いだ!
「拙生さん!」
俺の声かけに気付いて拙生さんは俺に向く。
「おっ、朝飛くん」
彼の目の前に来た。走ってきて息は上がるけど、そんなのはすぐに回復する。俺は猿ヶ辻の猿の像を見る。
……剥がされたようなあとはなく、像があった場所の表面はつるつるだ。金網の破れたと言うけれど……。人混みに紛れつつ近くでよく見てみると、金網を破れ方がおかしい。
内側から勢いよく破られたよう開け方。引っ張り出されるにも、猿の像についている部分に、刃物など入れなくてはならない。綺麗に像を取る技術は令和にあまりない。
……それに、俺は猿の像が動いたのを見ている。
「……猿が、脱走した?」
「正確には、探しているのかもしれないな」
拙生さんが近くに立っていた。脱走したのではなく、捜しているとは……?
「探すとは……」
「愚喰市個」
その名を聞いて、俺は鳥肌を立つ。あの時を思い出したからだ。
「あの猿は、関所のようなものだ。産業廃棄物以下の悪意が来たせいで、殺さなくてはならないと思ったんだろう。罪なきものじゃない、最初から罪ありきな奴だったから余計にな」
野放しにできないと判断して、金網を突き破ったのか。けど、こちらとして野放しにはできない。
「あの女はどこにいるのですか?」
「取り逃してはない。稲葉たちが始末した」
始末。聞くとあまりいいものじゃないな。稲葉さんがどのぐらいの強さかは分からないけれど、倒したのであれば安全だろう。あんなものを世の中に野放ししちゃいけない──。
「そして、あれはしばらくしたら復活する」
「復活……!?」
流石に驚く。拙生さんはさもありなんというように息をついていた。
「悪意や邪気から生まれるタイプは人間が居なくならない限り死なない。始末したと言っても一時的だ。それに、拙生たちがあの個を強く認識しすぎた。同じような形で復活するだろう」
開いた口がふさがらないまま、俺はおぞましいと思った。お守りや護符がなければ防げないものが、また復活すると。特定外来生物は、凄まじい繁殖力や殺傷力で日本固有種、在来種を脅かすもの。拙生さんが特定外来生物と例える理由が分かる気がする。復活したら、殺処分しなくてはならない繰り返しなのだろう。本当にやな怪異だな。
「でも、今は猿を探さないとならないな」
「……府内から出てないですよね?」
京都は交通網が多いから出ている可用性もある。拙生さんは首を横に振った。
「ない。猿は役目上、洛外からは出ないだろう。活動できたとしても、せめて洛中の範囲内だ。けれど、探さないとならないな」
厄介そうに話している。……洛中にいるとしても、場所は入り組んでいる。
まず猿をどう探すべきか。
「旦那! 朝飛殿!」
稲葉さんが慌ててやってきた。スーツの姿でやってきている。いつもはヤンキーな姿なのに珍しいな──。
「誠に申し訳ございませんでしたぁぁぁぁ!!!」
砂利の道を勢い良くスライディングして、拙生さんの目の前に現れる。
人が多い場所で目立つスライディング土下座。拙生さんと土下座する稲葉さんに目線がゆく。俺は稲葉さんが来る前に、ギャラリーの近くにいたせいか他人のふりができる。いや、稲葉さん、あいつを始末したんだよね!?
目の前でスライディング土下座をした彼に、拙生さんはにこやかに笑いながら注意をする。
「稲葉。ここ、人が多く集まる場所だけど?」
「えっ、あっ」
顔を上げて、稲葉さんは事態を把握したようだ。立ち上がって、今度は頭を下げて謝罪をした。
「申し訳ございませんっ! 旦那に恥をかかせましたっ……!!」
「こーんな場所で話すより、もっと別の場所で話を聞こうか」
にこにことしているけれど、絶対に表情のしたは笑ってない。俺でもわかるほどに、怒っている……。
二人は京都御苑内から出る。拙生さんと稲葉さんの後からついて合流した。俺たちは賀茂川の川辺まで来た。
川辺ならまあ色々と話はできるけど……人目につくんじゃ……。
気まずそうな稲葉さんと対面し、拙生さんは息を吐く。
「で、なんでそんなに謝る。お前が謝るほど、何が起きた」
笑わず、真剣に聞く。……稲葉さんに責任がないと認識している?
不思議そうに見ていると稲葉さんは、焦ったように話す。
「……始末しをして処理をしようとしたとき、あの女の断片が白いあいつ……くねくねに持っていかれました」
「……くねくね」
俺は思わず呟いてしまった。
田舎の田んぼや畑にいるとされているあれ?
白い姿でくねくねしており、人が視認すると発狂してくねくねという動きをしてしまうという洒落怖。存在を確認してはならない。認識ではならない怪異だ。
拙生さんは思案しながら聞く。
「稲葉。追い詰めた場所は田舎か?」
「はい」
「……くねくねが断片を持っていったのか?」
「……はい。くねくねは、あの後姿を消しました。くねくねがあのようなことをするとは、思いませんでした。あれに自我と言う自我はありません」
拙生さんは嫌そうな顔をしていた。
「……なるほど。そうか。愚喰市個は誘因フェロモンを放つゾンビバエのようなものか」
「ゾンビバエ……?」
不思議そうに聞く俺に、稲葉さんも不思議そうである。拙生さんは教えてくれた。
「ヒアリの天敵。ゾンビバエ。ヒアリは日本では特定外来生物だ。繁殖力とその毒はすさまじい。そいつの天敵はゾンビバエという南米のノミバエなんだ。ゾンビバエはヒアリの一匹に卵を産みつける。生まれた幼虫は内部から食い尽くし、ヒアリの頭をきり落として外に出る。くねくねがあいつの断片を持って行ったのは、くねくねは本能的にその断片に魅力を感じたんだろう。いわば、フェロモンのようなものだな。そのくねくねはあいつの断片を取り込むと、その欠片が内部から食い尽くして成長して乗っ取って殺して、女は生まれ直すといったところか。この手の手合いは過去に何度か見たことあるから、そうかなと思ったよ」
『……うげぇ』
稲葉さんも俺と同じようにげんなりしていた。そりゃ、聞けば同じような反応をする。でも拙生さんが過去で見て知っているという話がとても気になる。どんな人生を送ってきたんだ。拙生さんは仕方なさそうに話す。
「稲葉に責任は追及しない。相手の性質を知らなかった拙生らにも責任はある」
「……その性質知ると余計に野放しはできませんよね」
「そうだな。でも、今は猿ヶ辻の猿を探すほうが先決だな」
拙生さんに頷かれる。その後に今の問題について言われ、我に返る。
そうだった。そっちが目的だった。




