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拙生さんはスーツケースを手にしながら、サングラスを掛け直す。
「まったく、油断も隙もない。朝飛くん、無事?」
心配そうに聞いてくる彼に俺は頭を下げた。
「拙生さん。すみません⋯⋯! 助かりました。ありがとうございます!」
「仕方ないって。けどまあ、京都御苑内に侵入を許したのはミスかな」
⋯⋯京都御所の周囲は結界が張られている。京都御苑と呼ばれる範囲にも張られてはいるが、入れるものは限られている。俺が見ている女は明らかにとんでもない。
身体の奥から湧き上がる恐怖が襲う。サングラスをかけ直して拙生さんは、そいつに目を向ける。
「や、どうも。愚喰市個だっけ? 怪しいな」
焼かれた手を押さえながら、愚喰は歪んだ表情からのっぺりとした笑みに変える。
「私は怪しくない普通です。私は誠実に対応しております。私は天使のようで優しいイチエル。特別で優しくてちゃんと線引きのできて謝れる神様も私を見て特別なことを起こしてくれる」
聞いてもないことを言う。しかも、自意識過剰が気持ち悪いほどに過ぎる。自分のことを天使とふざけて言うならともかく、本気で言っているようだ。だから、より一層たちが悪い。明らかに、相容れない。
そいつは事務的にのっぺりとした笑顔を浮かべ続ける。
「少年は強く傷付けてしまったようですね、私ってそういうところがあるから。けど、少年が悪いんですよ? 少年が嫌なエネルギーをはなっているから私の商品をあげようとしただけです。不誠実な少年のために私は」
「一貫性のないうえに耳障りで、ふざけた内容だな」
拙生さんは愚喰に笑みを深くした。
「お前、悪いことをしてる自覚無いだろ」
「悪い? 何が? 私は悪さをしていません。ただ恨みをもつ幽霊や人間に手を貸しているだけです。私はイチエル。神様や天使に助けてもらえる優しい存在愚喰市個。私が強い言葉を使って相手を傷つけても、周りは許してもらえます。許してくれます」
悪くなさそうに事務的にはっきりという。本当に悪く思っていない。しかも、話がかみ合ってない。
違う。こいつは俺が見てきたなかでも、違う。人外でも人外と言いそうな狂いよう。拙生さんは頭を掻いて、笑みを消す。
「なるほど。つまり、お前はそういう個体か」
すると、俺たちの後ろから勢い良く影が飛び出てきた。愚喰は顔面を蹴り飛ばされる、遠くへと地面にぶつかる。俺たちの近くに稲葉さんが降り立つ。
「朝飛殿! ご無事ですか⋯⋯って旦那!?」
勢いよく頭を下げる。
「誠に申し訳ございません!」
俺を心配してきてくれたのはわかるけど、拙生さんの姿を見つけてすぐに頭を下げた。切り替わりが早いな⋯⋯。けど、今は稲葉さんを拙生さんに怯えさせている場合じゃない。
「俺は大丈夫なので、いいです。拙生さんは彼を怒らないでください!」
俺の言葉に拙生さんは仕方なさそうに息をつく。
「いいよ。拙生のミスもある。⋯⋯まあ、それよりかは」
拙生さんは倒れている愚喰を睨んだように見て、稲葉さんに目を向ける。
「稲葉。性根腐ってるあいつが、お前たちの探してた奴だ」
拙生さんの言葉に、稲葉さんは目の色を変えて愚喰を見る。
「手柄は譲る。逃がしても文句は言わない。好きにすればいい」
「⋯⋯ありがとうございます」
稲葉さんは一礼する。愚喰は体を起こし俺たちを見ると、何も言わずに姿を消す。稲葉さんも同じように姿を消していった。
猿が、騒がなくなる。猿ヶ辻付近の違和感も消えた。
……この場はおさまっただろう。けど、あれは。
「ああ、あれは怪異だ。悪意をもとに自然発生したこの時代の怪異だ」
「……えっ」
自然発生した怪異? 驚く俺に拙生さんは呆れる。
「己に名前をつけるほどに存在が強くなっているといえど、あれはああやってしか生きられない化け物だ。病原のウイルスに近い」
ウイルスって。ウイルスは病気の原因になるといえど、生物の進化を促すものとも定義されている。ウイルスは生物でもなければ、非生物でもある中間のような存在だ。
稲葉さんは妖怪や穢れを司る妖怪すらも嫌うと言っていた。妖怪は人を殺すこともある。稲葉さんのように協力することもある。日本の昔話しても人外が悪さをすることもあるし、助けたり協力することもある。
けど、病原のウイルスに例えるのは、なんで?
俺が疑問を聞く前に、拙生さんは話す。
「あれは、人の倫理がなければ、妖怪としての倫理、生物としての倫理がない。そして、道徳と言えるものもない。あれは、ああでしか生きられない。ああするのは、食事や睡眠のようなもの。存在を維持するために必要な行為。人の不幸は蜜の味。その人の悪意や不幸をすすって生きる。だから、病原のウイルスと例えたんだよ」
ウイルスは存在するために、生物の身体に入って弱らせたり、感染させて存在を増やす。
それって生きていること自体が、悪意ということなのか。愚喰にとって、あれは生きる為の行為だったというのか。あり得ないような内容を聞かされて、拙生さんはため息を吐く。
「色々とおかしいことを言っているのは、悪意から生まれたせいだろう。人間社会にもああいう奴からが多くなってきたからこその言葉だ。あれは特定外来生物と思え」
……都市伝説や創作怪談と洒落怖。これらの怪異は、話自体が本体のようなものだと拙生さんから聞いたことある。けど、最近の都市伝説の妖怪は自我を強く得て倫理や道徳を持ち始めている。人面犬なんて、見えている人間に対して友好的に挨拶をするだけで何もしない。俺もされたことはある。洒落怖の怪異も種類によっては、そう成り得る未来もあるだろう。
だが、愚喰市個は違う。あれは、野放しにしてはならない。もし愚喰が何で自分だけがと思っても、自分の行為に自覚がない。他の奴らに生き恥と言われようが、気付かずただ存在の維持のためにしているだけ。生きるために悪をなす。だから、妖怪たちも処理に追われるのか。
あの時、俺はあれの存在を感じて来てしまった。
稲葉さんは、無事だったみたいだけど。
「俺はともかく、稲葉さんは存在を感じても俺みたいに囚われたような感じはありませんでしたよ?」
「ああ、あれは……神獣の加護があったからな」
「神獣の? もしかして、あの金色の羽根が?」
「そそっ、そいつより上位の加護だから稲葉には効かなかった。単純なことだ」
俺は驚く。神獣の加護。まさかそんなものを持っているとは。……いや、それだけじゃない。
「……神獣が出るほどに、今回の件はヤバいのですか?」
「……そういうことになるだろうな」
渋い顔をして頷き、息をついていた。
「あれがどういう経緯で発生したかは分からない。だが、今影響を出している以上、処理をしなくてはならない」
……俺は何を渡されそうになったのか。拙生さんが危険だといった理由を身をもって知った。あれは、気付いてはならない。しかも、普通の人間や妖怪にも止められないのが難点だ。そして、俺自身も自衛をするすべが思い浮かばない。
「……俺と皆がどうすれば」
「朝飛くんは身代わりの練習は継続しておくように。はい、これをあげる」
渡されたものは、金色の羽根が絵柄があるお守りだ。まじまじと見ていると、肩に手を置かれた。拙生さんは優しく話す。
「あいつに寄らせないように呪符のはいったお守りを渡しておくよ。君の関係者にも配って、守りを強くしておく。あれは野放しにはできない。拙生はあいつについて再度洗い直す。──君は君なりに日々を過ごしなさい」
俺が振り返ったとき、拙生さんの姿はなかった。




