Chapter3 可逆性加虐か逆か①
悪いことをしてはいけない、と皆は言う。私もそう思う。
けれど、なぜ悪いことが駄目なのかと聞かれると──答えられない。
私にはわからないから。見当もつかないほど、さっぱりわからないから。
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体育館倉庫からの脱出ゲームを無事にクリアした翌日。
降りそうな雨の気配をうっすら感じながら通学路を歩き、私は小さく欠伸をした。
もうそろそろ梅雨だ。濡れるのは嫌いなので当然梅雨も嫌いなのだが、これを乗り越えて少しすれば夏休みに入る。
(……受験勉強で忙しいだろうけど)
帰宅後すぐに勉強する習慣はなんとか身につけられたものの、やはり憂鬱だ。勉強は得意だが好きではない。
「──助けてくださいっ!!」
「うわっ」
学校の敷地に入った頃、本当に唐突に後ろから勢いよく肩を掴まれた。
慌てて振り向くとそこには一年生と思われる女の子がいた。
「お、追われてるんですっ!」
映画みたいな台詞を放たれて困惑してしまうが、彼女の汗だくの顔を見る限り嘘ではなさそうだ。
私は周囲を確認する。中庭、体育館、靴箱……。追っ手をうまく撒く為に回りくどいルートを使ったほうがよさそうだ。
「こっち」
彼女の手を引いて駆け出す。想像よりもスピードが速かったのか、短く悲鳴を上げてついてきた。追われているのに悲鳴なんて上げて大丈夫なのだろうか。
目指すのは中庭。正確には、中庭に面した校舎に取り付けられた窓。換気の為か若干開いているので、さらに開けて校舎内へ飛び込む。
「ま、待ってください……!」
弱々しい声を出す彼女が、身軽とは程遠い動作で私を真似る。降り立った廊下で靴を脱ぎ、偶然にも靴箱が近かったのでしまいに行った。
私が次の目的地を考えていると、彼女は思い出したように呟いた。
「空き教室……」
「!」
「とかどうです、かっ!?」
彼女が言い終える前に、手を掴んだまま階段を駆け上がり始める。途中で離されてしまったので仕方なく振り返ると、へとへとになった彼女が手すりに寄りかかって項垂れていた。
「頑張って、すぐだから」
「アクション映画じゃ……ないんですから……!」
先に映画っぽい言動をしたのは彼女のほうだろうに。
そんなツッコミはともかく、上ってきた階段を引き返して彼女と同じ位置に戻る。息を切らした彼女のペースに合わせて進み、私たち三年生の教室が並ぶ階の空き教室に到着した。例の、二ノ瀬くんと放課後を過ごした教室である。
「はぁ……はぁ……なんで、あなたは平気なんですか……?」
床にへたり込んだ彼女に質問されるが、「うん、まぁ」と適当に返す。運動も大して好きではない特技なのだが、今はそんなことはどうでもいい。事情を聞きたいのはこちらのほうだ。
「それより、君は」
「──そいつ?悪人だよ」
予想していたのとは違う声が、背後から掛かった。その瞬間、女の子の肩がビクリと震えた。
教室の窓枠に座り生ゴミでも見るかのような目で微笑んでいるアオに視線を向ける。いつの間に?
「アオ……なんで?」
「なんでって、俺が人間を追い回す理由なんか一つしかないでしょ?」
制裁。それ以外にない。
今怯えているこの女の子は悪事を犯してしまい、アオに狙われて逃げていた……どうやらそういうことらしい。
「ど、どういうことなんですかぁ……」
女の子は混乱している。初めてアオに会ったときは私も驚いたなと思い出しつつ、彼女のほうに近づいてそっと耳打ちをした。はっとした彼女は、驚いた顔を私に向けた。そして会釈し急いで空き教室を後にした。
「……どこに逃がしたの?」
「その前に。あの子、二ノ瀬くんのストーカーだよね」
ほぼ断定した私の言い方に、アオは今更驚かなかった。目に好奇心が宿る。
「言い切るねぇ。根拠は?」
「彼女ね、さっき外で私の後ろから勢いよく飛びついてきたんだけど……足音がしなかったの」
本人が『追われている』と言っていたのも合わせ、あの状況なら全速力で走ってきたと考えるのが普通だ。にもかかわらず、近づいてくる気配は全くなかった。それが意味するものは──
「きっと慣れちゃったんだよ、気配を消すことに。後をつける相手に気づかれないようにする努力が、癖になったんだ」
来る日も来る日も幽霊のように影を薄くして相手を追う──緊張する行為だろうし、バレないように慎重にもなるだろう。日常生活の中で癖として表れても不自然ではない。
「それに、あの子は三年生の教室の階にある空き教室の存在を知ってた。下級生が、上級生の階の空き教室のことを知ってるって変でしょ?でもストーカーの彼女は、私と二ノ瀬くんがそこにいるところを目撃してる」
後半は二ノ瀬くんの証言であって私が確認したものではないのだが、信用していいだろう。
「足音がしなかっただけじゃストーカーだと決めつけるのは早いかなと思って一緒に逃げてきたけど、アオのこと見えるんだったら容赦はいらないよね」
上手にできているかわからないけれど、私はニコッと笑ってみた。
「というわけで、あの子は体育館倉庫に行かせたよ」
「……悪意を感じるな」
「アオがどんな制裁を企んでるかは知らないけど、あの空間ならどうとでもできるよね」
アオは探偵を思わせる素振りで顎に手を当て、私を見る。見るというより、見透かそうとしているようだった。
「……えっと、なに?」
「やっぱり憎んでる?二ノ瀬のストーカー」
「当たり前じゃん」
「自分の悪事を棚に上げて追い詰めちゃうくらいには?」
声色に明確な愚弄の意図を感じ、私は押し黙る。笑みがキープされているか自分でもわからない。
「面白いよねー、花波って」
「……皮肉かな」
そう返してはみるが、彼が言いたいことは正論だと思う。
どうせ私のこれまでの悪事は正当化できないし、今後も繰り返してしまう可能性は高い。
「でも、アオのやり方は正しいの?制裁っていうのは」
「正しいと思うかどうかは人によるけど、少なくとも俺なりの正義だよ」
「その割には楽しんでるように見えるけど」
「半分は仕事、半分は娯楽ってところ」
アオは自身の左目を隠す髪に触れながら、どうでもよさげに言った。どうも真剣さが噛み合わない。
さて、とアオが窓枠から降りる。
「あのストーカーの制裁しに、体育館倉庫行こっかな。花波も来る?」
「なんでよ、行かないよ」
これから普通に一日が始まるのに、アオにペースを乱されるわけにはいかない。
(……あと、体育館倉庫自体が軽くトラウマなんだよね)
余計なことは口に出さず、私は自分の教室へ向かった。




