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Chapter2 ストーキングトーキング④

✾


 好きな人と、放課後に秘密の時間を過ごす。

 恋愛漫画にでも転生したのかと疑いたくなるような展開を日々繰り返し、今日で五日目。休日も挟んだが、二ノ瀬くんとの放課後に思いを馳せるだけで学校に行くのも億劫でなくなった。大元の理由はいいものではないにしても、嬉しいものは仕方ない。

 それに二ノ瀬くんに聞いてみると、空き教室で三十分ほど過ごす作戦は有効らしい。ここ最近はストーカー被害が減ったとのことだった。完全になくなったわけではないようだが。

 ちなみに、夢華にも初日の空き教室でのことはこっそり報告した。すると二ノ瀬くんを安心させる役割として彼の傍にいてあげて、と背中を押され、しばらく放課後は別々に過ごすことになった。夢華に気を遣わせてしまったが、その優しさには感謝している。

 だから今日も、いつも通り空き教室で穏やかに過ごしているところだ。私は彼とだったら沈黙が時間があっても構わないのだけど、話題は自然と絶えずに出てくる。……舞い上がってしまっているのだろうか、私。

「そうだ安崎さん、課題教えてくれない?」

 ふと思い出したように二ノ瀬くんが言い、スクールバッグの中からノートとペンケースを取り出した。

「数学?」

「うん」

 開かれたノートのページには、一週間程度分まとめて出されていた課題の問題が並んでいる。若干薄い彼の筆跡を追うと、所々空欄になっていることがわかる。私は全て終えているので、彼の答案を完成に導くことは簡単だ。

 私が問題に目を通している間に、二ノ瀬くんがシャーペンを落としてしまう。即座に拾い上げた私の手から、差し出された彼の左手にシャーペンを渡す。

「……不安定だね。机、出す?」

 教壇に座った状態で膝の上のノートに書くのは難しそうだ。しかし、二ノ瀬くんは「ううん、すぐ終わるし平気」と笑った。

 軽く解き方のヒントを出すと、彼はすぐ腑に落ちたように解答を作っていった。その様子をぼんやり眺めながら、思い出すのは二ヶ月ほど前の出来事──。


 あの日、私は急いでいた。確か姉の帰りが遅い日で、するべき家事を早く片付けなくてはならなかったのだ。それなのに何かの用事で帰路につくのが遅くなり、小走りでアスファルトを進んでいた。

 そのアスファルトの硬さを思い知った。不意に、躓いて転んでしまったから。

 裂けてしまった皮膚から赤い液体が覗いた。それも、絆創膏を切らしていた上に血がすぐに止まってくれなくて焦った。病気のこともあるので、見つけた怪我は早めに処理しないと悪化にも気づけなくなる。

 そんなときに現れた救世主が──彼だったのだ。

「安崎さん?」

「わっ、……二ノ瀬くん」

 怪我に意識が向いたまま道の端にしゃがみ込んでいたので、急に声をかけられて驚いた。彼と初めて同じクラスになった四月。特に彼のことは何とも思っていなかったのだが、名前が咄嗟に出てくるくらいには存在を認識していた。

 親友の夢華くらいにしかちゃんと話していない無痛無汗症のことを、彼が把握していたのかはわからない。それでも私の焦りを感じ取ってくれたらしく、彼は「怪我?ちょっと待ってね……」とスクールバッグを漁り始めた。やがて、目的の物を見つけたらしくぱっと表情を明るくして絆創膏を取り出した。

 貸してくれるの?聞こうとしたが、彼の意外な行動により遮られた。

「水買ってくるね」

「えっ?」

「傷を洗う為のだよ」

 そこまでしてくれるの?

 疑問は声にならない。その間にも彼は動いていて、自販機で買ってきたのであろう水で傷口を洗い、軽く拭き取って絆創膏を貼ってくれた。……すごい。保健の授業で習ったままの満点の対応だ。

「あ、ありがとう」

「どういたしまして。気をつけてね」

 そう言って爽やかに去っていった。

 『気をつけてね』という言葉が出てきたということは、やはり病気のことを理解していたのかもしれない。ただ単に私がドジだと思われた可能性もあるが。未だに病気の詳しい部分は話していないので判然としない。

 とにかく、初めて彼とまともに話した思い出がこれだったのだ。

 しかし──彼を好きになったのは、正確にはこのときではない。

 その数日後のことだ。あのときも数学の課題が出ていた。

 人が少ない朝の教室で、彼は私に声をかけた。

「ねぇ、これ教えてくれない?」

 またまた驚いて、え、と掠れた声しか出なかった。なぜ他の友達ではなく私のもとへ来たのかわからなかった。

 疑問は言わなくても伝わってしまったようで、彼は苦笑を零した。

「火ノ川さんが言ってたから。安崎さんが数学得意だって」

 私の恋愛事情と関係なく、夢華は彼と仲がよかった。彼と、というか男女問わずいろんな人と。私の話題がどこで出ていたのかは覚えていないが、わざわざ私のもとへ来させるほどの評価を彼は聞いたのだろうか。僅かなプレッシャーを感じる。

 といっても、学校で習う数学は私にとっては別に難しいものではない。少し正解へ誘導しただけで彼も理解してくれて、長い時間はかからなかった。

 一生懸命にノートを見つめて考えている彼を見ていて、私は変な気持ちに陥った。

 数日前に救世主として現れた彼が、私を頼ってくれている。あんなに頼もしく見えた彼が、今は私の力を必要としてくれている。『あの人』の面影を感じる。

 その感覚の心地よさばかりが脳を支配していたせいで、彼が問題を無事に解いたあと軽く交わした会話の内容は記憶にない。

 彼、二ノ瀬はじめに恋をした──そう認識する為に、約一週間もの時間をかけてしまった。

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