Chapter1 単純明快かマセ犬⑦
「……どういう意味」
「そのままだよ」
「ちゃんと説明して」
悪戯をした子どものような笑みで、アオは私から離れた。
「ふぅん、賢いお前でもここまでは想定外だったのかな?いいよ、説明してあげる」
わざとらしい上から目線に苛つく暇もなかった。
対策はしっかりしていたはず。なのに、どうして私は追い詰められているのだろう。
「といっても、簡単なことだよ。バックアップをとるって言ってた先はクラウドだけじゃなかった。それだけ」
はっとして、思いついた可能性をそのまま口に出してしまう。いや、『思い出した』可能性と表現するべきか。
「──お姉ちゃんのパソコン……」
「そうそう。俺としては好都合だったんだよね。お前の姉が、パソコンにバックアップするのを忘れてたこと」
「……!」
「お前が悪事を働いたのは午前中だった。証拠を撮って、そこから俺がスマホを持って家に向かったら、姉は既に帰ってたんだよ。今日も帰りが早いって言ってたよね、聞いてたよ?」
パズルのピースがはまるように、全てが繋がっていく。繋げたくないのに、知りたくないのに。
「だからさ。パソコンの近くに置いといてあげたんだよ、お前のスマホ。そしたら慌てた様子ですぐにバックアップしてくれた。しかも」
アオは上着のポケットから何かを取り出した。その正体に気づいた私は、思わず小さく声を漏らす。
「USBメモリ……」
「そう。これにデータを入れるとこまでやってくれたんだよ」
特殊な形をしているそれは、パソコンにもスマホにも挿せるタイプのものだ。前に咲海が説明していた気がする。
嫌な事実に気づき、精一杯睨みつけながら言う。
「動画が入ってたのは、スマホだけじゃなかったんだ。このUSBにも……」
「そーゆーこと。これを何かの機器に挿せば証拠を取り出せるし、拡散もできる」
堪えきれなかったという風に、アオが笑う。
「あはっ、その様子だと……実力不足を認めるしかなくなっちゃった?」
ムカついているのに。
とてもとても腹が立っているのに。
何も言い返せなかった。
ただ、背にした壁に身を任せ、両手で顔を覆った。
「……ああぁっ……!悔しいぃぃっ……!!」
絞り出すような声が勝手に出てきていた。
顔を覆っていた私の手は、気づけば髪を乱していた。
「なんでよぉ……!うまくやれてたのに、絶対できてたのに!」
アオが隣に並び、同じく壁に寄りかかった。愉悦に浸っているのがわかる声音で、でも鋭い言葉で私を突き刺す。
「ほんと残念だなぁ。もうちょっと粘ってくれるかなーとも期待してたんだけど、この程度かぁ」
「うるさいっ……!!」
「突き放さないでよー、マセガキの分際で。でもそれが精一杯なんだよねー?頑張って対抗してくれたけど、俺の足元にも及ばなかったお前の」
「…………っ……!」
病に侵された体が、私の感情に反応して必死に涙を分泌する。どんなに悔しくても、多量の涙は出すことができない。
それでも明らかだった。
死ぬほど悔しい。
今だけはみっともなく、その気持ちに正直でいたいと思った。
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こうして、宣言通りに制裁を回避をすることは実現しなかった。
ただ、宣言通りにいかなかったのは私だけではなかったようだった。
「落ち着いた?」
「………」
ひとしきり取り乱して、冷静になって。感情任せだった自分の行動に引くくらいには冷静になってからのことだ。
煽る口調を少々控えめにしたアオが、私の様子を窺った。
「ねぇー、負けたのが悔しくて幼児退行して現実逃避したいのはわかるけどさ、そろそろ戻ってきなよ」
……前言撤回。全然控えめになっていなかった。
「そこまで言ってないし……でも、悔しいし逃げたい。完敗だもんね」
「完敗?そこまで言ってないけど?」
「……へ?」
素っ頓狂な声を漏らして顔を上げる。アオは変わらない笑みで「まだ話は終わってないんだ」と言う。
良からぬことを企んでいるのは明白だが、立場上聞かないわけにはいかない。
こちらから促す前に、アオはUSBメモリを私に見せながら続けた。
「このUSBを『何かの機器に挿せば』確かに証拠を取り出せる。でも、俺が使える機器って限られてると思わない?」
「確かに……。あれっ、お姉ちゃんのパソコンは?」
「無理。USBにデータを入れたのはお前の姉だし、パソコンのロックも解除できない」
どうやらアオは咲海のパソコンには触れていないらしい。確かに不可能ということになるか。
「お前の新しいスマホを使おうとしても、多分パスワードを見られないように警戒されてダメだろうし」
彼は不満そうに付け足した。
それならますます疑問が出てくる。
「だったら……USBなんか回収して意味あったの?」
「あったんだよ、それが。おかげですっごく面白いこと思いついちゃった」
アオがUSBメモリを私に投げ渡してきた。咄嗟にキャッチするが、意図が読めず戸惑う。
「え、なんで?な、なに?」
「それはお前が持ってて」
「だからなんでよ」
「例えばだけどさぁ」
何も理解できていない私を楽しむように、勝手に話し始めた。
「お前の家族を人質にとって、解放する代わりにその動画を晒せって言ったら」
「……!」
「迷わず受け入れてくれるでしょ?」
唐突に鮮明に言いたいことがわかってしまい、息を呑む。
「──脅迫ってことか」
「流石、大正解」
発言内容とは裏腹に、アオは軽快だ。だからこそだろうか、妙な現実味があった。
「そっか……アオならできるんだろうね。脅迫なんか簡単に」
それでも私は冷静さを保てていて、なんなら好奇心すら芽生えていた。
「受けて立つよ」
「お、そう言ってくれると思った」
私の返事に満足いったようだったが、一つ気になることがあった。
「だけど、脅迫される前に私がUSBを破棄しちゃったらどうするの?」
「俺にかかれば証拠ぐらいいくらでも集められるから余裕ー。それに」
アオが笑う。一見嘲笑のようだが、その奥に無邪気な欲望が隠れている気がした。
「そんなことできないんでしょ?」
「え……」
「弱みを捨てるってことは、脅しに屈するってことだよ。負けそうで不安だから破棄なんてするんだもんね」
アオの言葉が、私のプライドに直接触れた。目を見開いてしまったのは無意識だった。
「でも、今度は負けないでくれるよね?こんなに闘ってくれる悪人って初めてだから、結構期待してるんだよ。応えてくれるでしょ?正々堂々、抗ってくれるでしょ?」
清々しいほどの挑発。事実、USBメモリを破棄してしまうのが一番の安全策だ。脅迫の例として人質の話を出された以上、周りに迷惑をかけない為にもそうしたほうがいい。
そうしたほうがいいんだけど。
「……うん、そうだね」
どうせ安全策をとっても、いずれ別の方法で追い込まれる。
その上、反論の余地がないほど、アオの言うことは当たっていた。私が欲しいのは安全じゃない。
「次は負けない。いや……徹底的に勝つ」
納得が欲しい。
この悪魔に勝ちたい。
ドロドロした欲が身体の中を満たしているかのように、私はその思いに支配されていた。
「重めに期待しとくからね、花波」
初めて名前を呼ばれたことに、そのときの私には気づく余裕がなかった。




