19: ありふれた空虚な言葉を信じるしかなかった
「さて、今日はどうしましょうか」と本浄が問いかける。
「多分、もう当初の目的地にはついていると思うよ」と僕は返す。
僕たちは南で一番人口密度の低い場所に向かう、とだけ決めていたのだ。だとすればここでもう目標は達成している。
「そうですね、それに、スケジュールなんて立てるだけ無駄なのかもしれません。わたしたちが予定通りに事を運べるとも思いませんし」
「だったらここからはもっと南に行こうか。君が言っていた、南の楽園に」
「そうですね、わたし達にとっての世界の果てに行きましょう。ゆっくりと」
本州の最南端が世界の果てであるはずなんてないのに、僕たちはそれを終着点だと信じていた。
「もう乗り物なんて必要ありませんね」
本浄はそう言った。きっと物語が早く終わることを望んでいなかったからだ。電車は少し早すぎた。
僕たちはとてもゆっくり進んだ。適当にとりとめもない話をしながら、田舎道をゆっくりと歩いて行った。二人、歩幅を合わせて。
少しずつ南に進んでいくと、午後過ぎで一度、町のような場所に出た。
「ここで泊まる?」と僕が訊くと、本浄は「もう少し進んでみましょうか」と答えた。だから僕らはもう少し歩いた。やっぱり彼女は出来るだけ<世界>から離れたかったのだろう。
それから夕暮れ時になり、再び人里から離れたところで、古びた旅館が一つ建っているのを見つけた。そういえば、未成年のみでの宿泊というものは可能なのだろうか。昨日はあのお姉さんの家だったから関係なかったけれど。僕は今になってそんなことが不安になった。
それは結果的に杞憂だった。旅館の女将は僕らを少しだけ見て、そのまま笑顔で部屋に通してくれた。それどころか急の宿泊にも関わらず豪華な食事まで出してくれた。僕たちが少し申し訳なさそうな表情をしていると、彼女は笑ってから、
「どのようなお客様でも、幸せを求めているはずです。私達の仕事は、そのお手伝いをすることですから」
と言った。
お客様、という区切りであれば、僕たちは一時的に<世界>に手を伸ばしてもらえるのかもしれないな、という考えが頭に浮かんだ。
それはもしかすると、本当の意味での繋がりとは言えないのかもしれない。けれど僕はそれでも構わなかった。たとえお金を介した結果の優しさでも、その思いやりは本物だと感じることができるのであれば、それでいいと思った。
「ねえ、日向野くん」
食事を終え部屋に戻った。寝る前、彼女は僕に話しかけてきた。相変わらず彼女は僕と寝ることに対して全く意識しないようだ。僕も少しは緊張するものの、彼女には何かそれ以上の感情が先に出てしまう。
「わたし達の旅は、いつどこで終わると思いますか」
「さあね」と僕は返しながらも、終わりの日を何となく予感していた。
いつだか彼女が駄菓子屋の少女と話していた、『夏の終わりと世界の終わりを重ねる物語』。意識的なのかどうかはわからないが、本浄はきっと、自分自身をそれになぞらえようとしている。だとすれば、全てが終わるのは8月の31日だ。僕はそれまでに何をすればいいのだろう。
[8/28]
本浄瑠璃が体調を崩した。そう言う日もあるのだろう。むしろ僕からしたら、華奢で脆くて弱々しくて、今にも崩れ去りそうなこの生き物が毎日動いていることさえ、ひとつの奇跡のように思えた。
朝、僕が起きてシャワーを浴びた後、本浄に「大丈夫なの」と問いかけた。喋ることも避けたい様子の彼女は、薄く目を開いてひとこと「ごめんなさい」と言い、それからもう一度目をつぶった。額は触れただけで熱が伝わるほどだった。
僕は外に出た。コンビニでも見つけて、果物を買おう、そう思っていたのだけれどコンビニもスーパーもどこにもない。人里から離れたことが仇になってしまったな、と思った。それでも僕はしばらく周辺を探し回り、やっぱり落胆して宿へと戻った。
受付の女将に彼女が熱を出した旨を伝えた。女将はひどく心配し、車を出して彼女のために薬と食べ物を買ってきてくれた。その頃には彼女は少しばかり起き上がれるようになって、僕が切った果物をゆっくりと食べた。ただでさえ小さい彼女の口が、今日はほんの少しだけしか開かなかった。それより小さく切ったマンゴーをゆっくり口に運ぶ。
「この辺りの名産らしいよ」と僕が言うと「そうなんですね、とてもおいしいです」と彼女は笑う。今にも消え入りそうな微笑みだった。
お姉さんも、宿の女将もすごく優しかった。
どうして彼女が消えるその直前になって、この<世界>は少しだけ手を差し伸べるのだろう。
「少しだけ、怖くなってきたんです。消えることが」
少し顔色が良くなった彼女が、布団に入ったままそう言った。
「わたし、思うんです。『死ぬ』わけではなく『消える』というのは、大きな違いがあるんです。死んだら天国に行きます。本当にあるかどうかは分かりませんが、みんな同じところに行くんです。今更<世界>の人たちとは分かり合える気はしませんが、そこにはおとーさんもおかーさんもいます。けれども消えてしまったら……ひとりぼっちじゃないですか?」
彼女にとって両親は<世界>ではなく自分の側だったのだな、ということに気が付いた。僕にとって家族はそれほど自分に近しい存在ではないため、そのことは少し不思議に感じられた。そういうところで僕と本浄は少しずつ違っている。
「ううん、きっと僕も行くさ。本浄なんか目じゃないぐらいに醜い存在になって、誰からも見捨てられるようなことをして、そして世界からも見放されるんだ。そしたら、君に会える」
「会えるんですか?」本浄が問いかける。
「うん、きっと会えるよ」
「どうしてですか、消えたもの同士が、どうやって会うことができるっていうんですか」
「たぶん、世界から消えていったものはさ、別の世界にいっちゃったんだよ。そこはこの世界にとってのゴミ捨て場みたいなところで、今までみんなに汚いと思われてきたものだけが、無造作に積み上げられているんだ」
「ということは、わたしは存在が消えるのではなくて、そこに行ってしまうだけ、ということでしょうか」
「そう、だからそのゴミみたいな世界で再会しよう。男女ふたりが会うには少しだけ不適切な場所だろうけれど、僕と本浄が過ごすにはこれ以上なくお似合いの場所だろうから」
「それなら、要らないものでわたしたちの楽園をつくりましょう。いびつな廃材で城を建てて、そして枯れ葉で冠を作ってしまいましょう」
「それはきっと、僕達にとって最高に美しい王国なんだろうね」
「ええ、もちろんです。それを汚いという人間は、そこには誰もいないのですから」
壁や天井は赤さびで埋め尽くされていて、なのにそれを茜色の夕焼けだと言い張って笑い合おう。僕らは指きりをしてそう誓い合った。
適当なことを言ってでも、たとえ嘘であったとしても、それでも彼女が安心できるならそれでいいと思った。辛い本物の現実よりも、それはよっぽどましだろうから。
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本浄の体調が少し良くなった。けれども、精神的には少し弱ったままのようだった。僕が今日は歩けるか訊くと、彼女は強くそれを拒絶した。
「南の彼方まで行って、何も無かったらどうするんですか? わたし達が思い描いていた楽園が、本当は存在しないとしたら、わたしはそんな悲しい事実を知るために歩かなければならないんですか?」
どれが引き金だったのか、という話でもない。これまでの色々が彼女を疲弊させているようだ。これまでよりも感情は荒れている。情緒は不安定だ。僕はそのことにほんの少しだけ安心した。不平や不満は言えど、これまでの彼女はそれに対する怒りを見せなかった。穏やかな諦めの感情しか見せない彼女はそれはそれで美しかったのだけれど、時にはこんな姿を見せてもいいと思う。操り人形じゃないのだから、<世界>に少しくらい反抗すればいい。
午後になると本浄はだいぶ落ち着いてきた。だから僕たちはまた歩き始めた。
「さっきは取り乱してごめんなさい」歩きながら本浄が謝る。
「僕は気にしないよ」と答える。
「けれど、さっきだけじゃありません。わたしのせいで、今まで日向野くんにどれだけ迷惑をかけたか」
昨日は少し荒れていたけれど、今度はその反動であるかのように僕に謝る。彼女に根差した『誰かに迷惑をかけてしまうことへの不安』が前面に出ていた。
「大丈夫だよ。僕は本浄についていくって決めたんだ。最後の最後まで。だから何も気にかけなくていい。君の信じたものについていくよ。それに、どれだけ辛くても、苦しんでも、今過ごしている時間は無駄にはならないから。目的に向かって走るその過程は、すべてかけがえのないものだからさ、きっと」
空虚な言葉かもしれないけれど、それでもいいと思った。それで彼女が最後まで走り続けられるなら、それでいい。僕のやるべきことは、彼女を自分自身の定めたゴールまで送り届けること、それだけだから。
「今過ごしている時間は、すべてかけがえのないもの、ですか……」
彼女が僕の言葉を繰り替えす。
「うん、それが幸福か不幸かはわからないけれど、僕たちにとっては何より『生きている』という事を感じさせる価値なんじゃないかな」
「……そうですね。わたしもそう思います」
本浄は表情を変え、しばらく何かを考えていた。僕は彼女が何を考えているかわからなかったけれど、それで彼女が少しでもいい方向に進めばいいと願った。




