13: つまらない教室は簡単に彼女を傷つけた
投稿再開します。
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ここからは最後まで毎日更新するので、どうぞよろしくお願いします。
あの日、そのまま本浄と別れた。会話はあれで途切れた。最後に本浄は何も言わずその場を去った。僕は追いかけることができなかった。
[8/23]
十日間ほど、僕は本浄の居ない日を過ごした。気付けば夏休みはもう終盤だった。
四日間ほどの出校期間が始まった。最初の三日間、僕のひとつ左の席は空いていた。午前で終わった夏期講習のあと、ひとりで教室に残って勉強しようとはどうしても思えなかった。それでも何故だか教室に残る。特にやることもないけれど、日が暮れてるまで椅子に座っていた。そこで待っていたら、いつか本浄が来るんじゃないか、そんなはずはないのに心の片隅でそう思っていた。授業が終わった後の午後は長く、それなのに僕は参考書すら開かなかった。
することもないので本を読んだ。あの日買った「星の王子様」を読んだ。王子は自分の星に帰っていったらしい。どこかの星で王子さまが笑っているから、夜空に見える星々は全て笑っているように見えるらしい。けれども、僕等の肉眼では見えない星もあるのだ。輝きを失って、人々に届かなくなった星も同じ夜空に存在しているのだ。
きっとその中に、泣いている星がある。
最終日になって、少しだけ面倒なことが起こった。
本浄が<法則>に絡んでいることが広まっていたのだ。そのことは広い世間にからすれば大した話ではないけれど、高校のちっぽけなクラスにとってはそれなりの話題のようで、クラスが悪い意味で浮足立っているのが感じ取れた。僕の家はそれなりに学校から近い場所にある。そんなところで長々と話していたのだから、気付かれる可能性はあっただろう。少し上手くできすぎているのかもしれないが、特に気にはならなかった。面白くないことが連続するのは当たり前のことだろうから。僕にとっても、本浄にとっても。
「ねえ、日向野くん。本浄さんの話って、本当?」
放課後、一人で何もせずに座っていると名前を呼ばれた。本浄さんとは逆側、右隣の席の女の子が問いかけてくる。
「話って、何」もちろん知らないわけがない。
「何って、あれだよ。本浄さんが<法則>を発動させたって話。ここ数日の休みも、それが原因なんじゃないかって噂」
「そんな噂あるんだ」それでも僕は空返事をした。これまで本浄を無視し続けていた<世界>が、こんなことで彼女に近づかないで欲しい。彼女の孤独の邪魔をしないで欲しい。要するに僕はつまらない気分でいた。けれどもそんなことはお構いなしに彼女は僕に話しかけてくる。今まで話しかけてこなかったのだから、どうか放っておいて欲しい。
「どうなんだろ、何か消えたモノが大切なものだったり……」
「そんなはずないでしょ。消えるのは汚いものだけじゃん。大事なものが消えるのはおかしいって」
そこで他の女子が割って入ってきた。手には鞄を持っている。きっとこの女の子と一緒に帰るつもりなのだろう。素っ気のないような言い方から、この話題への興味はあまりないのだろうということがわかる。それどころか、友人がその話題を気にすることを疎ましがっているのかもしれない。そんな話題に放課後の時間を使わないで欲しいとばかりの面倒そうな表情だ。
「うん、そうだよね、変なこと言ってごめんね……」右隣の席の女の子が謝罪する。
「いや、一番要らないものならあれだろ、本浄だろ。このクラスでほとんど空気だしさ」
そこで名前も知らないクラスの男子が声を重ねる。嫌なタイミングだな、と僕は思った。皆が話を終わらせようとしていたことがわからないのだろうか。
「日向野は頭いいから将来役に立ちそうだけど、本浄はなぁ」
このとき僕はなんとなく嫌な予感がしていた。誰かにとっての一つのラインを平気で超えてきそうな雰囲気があった。<世界>がちっぽけな個人に牙を向ける時に特有の、気味の悪さを感じていた。そしてそれはちっぽけな<自己>にはほとんど抗いようがない。彼の次の言葉を、僕は止めることができなかった。
そして悪い予感は当たった。
彼は本浄が「この世界には要らないような、汚い存在であること」をはっきりと告げた。それも、とても大きな声で。
ばか、と思った。その発言自体もどうしようもないのだけれど、それと同じくらいどうしようもなかったのはタイミングだった。視線を彼よりも先にある"彼女"に向ける。彼が大声でそれを言うと同時に、教室の扉を開いた"彼女"。
本浄瑠璃がそこに居た。
「…………っ」声にならない声が零れる。
本浄はいままでに見たことのないような悲しい表情をしていた。同時にその表情は、いつもの悲しそうな本浄であるような気がした。いつもの<世界>の冷たさに、いつも通り傷ついているような気がした。ああ、やっぱり<世界>はこんな風だったな。僕も彼女と同じように、いつも通りそれに絶望した。
本浄はそのまま無言で踵を返し、教室から離れた。誰一人として、本浄のことを心配する人間はいないように見えた。
あーあ、と悪い笑みを浮かべながら当事者の肩を叩く人。
言い方があるでしょ、ねー。そう話す女子のグループ。
ちらりと入り口を見たが、すぐに手元の本に視線を戻す眼鏡の委員長。
「もうちょっとオブラートに包めばよかった」当事者はそう言った。
僕はその日、初めてクラスメイトを殴り、初めて学校を抜け出した。
急いで校舎中を走り回り、一通り確認が終わった後、それが無駄だという事に気が付いた。学校はいま、彼女にとって完全に敵意を持った<世界>になってしまっているのだ。きっと一秒だってこんな場所に居たくもないだろう。そんな場所に対して嫌気が指したし、そんなことに気付けずに時間を無駄にした自分に吐き気がした。
外に出ると雨が降っていた。お構いなしに僕は自転車を走らせた。彼女の行く先を考える。よく考える。彼女を見下す誰かが彼女を傷つけた。言葉が彼女を傷つけた。だとすれば、彼女は何に縋るだろうか。言葉による繋がりに怯えたその先に、彼女は何を求めるのだろう。
僕は一つの可能性に懸けて走った。
東公園に行くと、本浄瑠璃はそこに居た。屋根付きベンチに座っていた。猫を抱えて座っていた。いつかと同じ雨宿りをしていた。けれど、ここに来るまでに傘を差していなかったようで、髪は濡れ、ブラウスは肌に張り付いている。
「……自分でも同じことを思っているはずなのに、誰かにそれを言われて傷つくなんて。わたしって、やっぱりあまのじゃくですよね」
本浄がそう言う。僕に向かって言っているのではなかった。抱えた猫に向かってそう囁いていた。僕の存在を認識していないみたいだった。今の彼女にとっては、言葉を理解できない生き物の方が、よっぽど安らぐのだろう。それは悲しいはずなのに、美しい真実であるように思えた。
名前を呼ぶ。本浄は一瞬ピクリと震えたが、こちらを向くことは無かった。
「ああ、最後の日ぐらいは、日向野くんに会いに行こうと思ったんですけれど。たとえ失望されていたって、それでも仕方ないことだけど、せめて確認しに行こうって。それなのに、わたし、駄目ですね。関係のない一人の言葉で、こんなになっちゃって」
そのまま抱えていた猫を見つつ、そう答える。
僕は本浄と会話がしたかった。彼女の本音が聞きたかった。あの日の話の続きがしたかった。
「教えてくれないかな、昨日聞けなかった続きを。君が自分を消そうとしている、その理由を」
彼女はこちらを向かない。何も喋らない。けれど、喋らないのではなく喋れないのだと僕は察した。きっと彼女は孤独だから、ここで<自己>以外の何かに目を向けることを躊躇ってしまうのだ。あんな事が起こった後だと尚更だ。同じ孤独であると思っていた僕でさえ、本当に似た者同士なのかわからなくなっている。そして迷った末、考えることを放棄している。
少しだけ悩んで、彼女の手を取った。
僕は自分が孤独であることを知っていた。世界の外側にいることを認めた。自分が彼女と同じ空間にいることを誓った。だとすれば、そんな悲しいままごとを最後まで続ける義務があるのだと感じた。
「今は話す気にならないかもしれないけどさ……身の上話の一つや二つを言いたくなる場所を知っているんだ。そこに行って考えよう」
本浄は何も言わない。
雨に濡れた彼女の手は、とても冷たい。
僕らはいくつかの交通機関を乗り継ぎ、山を登った。自転車はどこかに捨て置いた。
その間、長い時間、僕と本浄は一言も言葉を交わさなかった。この沈黙はとても辛かった。僕の行動は徒労に終わるのではないかと不安になった。それでも夜になるのを待った。夜になればきっと、少しはましな方向に進む。たとえ僕が何も変えられなくても、時の経過が何かを変えてくれる。そんな誰かの言葉、今まで僕がチープだと思っていたその言葉を信じるほかなかった。言葉は拒絶しても、僕の手は拒絶していないという事実だけに縋った。
僕らは山の上にたどり着いた。
やがて雨は止み、鈍色の雲は消え、嘘みたいな星空が浮かんだ。それまで下を向いてばかりだった本浄も、やっと顔を上げた。
かつて僕は、こうやって本浄に自分の身の上話をした。彼女が同じようにしてくれることをただ祈った。




