↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
12/30

12: 本浄瑠璃は汚い何かをこの世界から消していた

[8/9]


今度は僕の方から本浄を呼び出した。僕一人でも行けないわけではないのだが、本浄と一緒に行きたいと思った場所があった。

それは誰もがよく行く場所で、けれども誰と行くかで見るものが全く違うような場所だ。

僕と本浄は互いに協力関係のようなものなのだから、こういうのもダメなわけではないだろう。


僕と本浄は駅前の商業施設で待ち合わせた。

「日向野くんから場所を決めるなんて珍しいです。何か目的があるのでしょうか」

今日も本浄はカメラを持ってきていた。あまり撮影の機会は無いかもしれない、そう前置きしておいたにも関わらずだ。

彼女の撮りたい景色というのは、なんとなく人里離れた美しい風景のことだろうと思っていた。だからこの辺りには求めるものは無いだろう。そう思っての発言だった。

しかし、実際にこの中に撮影対象が全くないとは言い切れないし、そもそも彼女の求めいている景色というものについて、僕は正確なことはわかっていない。

そう考えると、彼女がカメラを持ってくることは何一つ不思議ではないだろう、そう解釈した。

それに、写真を持つと彼女はいつもより少し楽しそうに見える。僕がそう思い込んでいるだけかもしれないけれど、そう見えるのだ。だからこれでいいと思った。


「今日はさ、本屋に行こうかなって」

「日向野くんが本屋、なんて珍しいですね。やはり、参考書を買いに来たのですか。それとも、読書をする気でも?」

本浄が興味を示す。あれほど本に興味が無いと言っていた人間がそんなことを言うのだから当然だろう。

「前者は違うよ、正確には後者も違うと思う。今日は君の読む本を教えてもらいに来たんだ」

「わたしの、ですか」本浄が不思議そうな顔をする。

「うん、君もわかっていると思うけれど、僕一人じゃ参考書ぐらいしか眺めないし、僕はほとんど物語のことも知らないしさ」

「そうですか、でしたら別にいいですよ。ご期待に添えるかどうかは、分かりませんが」

なんだかよくわからない、という顔をした本浄だったが、それでも頷いてくれた。


けれども、あまり本屋を訪れる機会は多くはないんです。書店に入ってすぐ、本浄は言った。

「わたし、実はあまり本を買わないんですよ。親の持っていたものばかりなので、結構古めに偏っています」

「ああ、だから『ライ麦畑』とか『星の王子さま』とか、そのあたりが好きなんだ」

それらの本は、どちらも近年の間に僕たちぐらいの世代で流行した、というわけではない。僕らの親や、それよりもっと昔の世代から読み継がれてきたような作品だ。

「そうなんです、最初から本棚にあった本ばかり。でも、とても良いですよ。いつの時代も変わらないような優しさや厳しさをわたしたちに教えてくれます」

「だから『永遠の』名作、なんていう帯がついているんだろうね」

僕は並んだ文庫本の一つを指差した。

「まあ、それなりに名作を読んできたつもりですが、何一つ学んではいませんけど」本浄が笑う。

「僕は、君は勉強ができないだけで、本当は結構頭が良いんじゃないかと思っているよ」

僕がそう言うと、彼女は意外そうな顔をした。そのように言われる経験はなかったのだろうか。

「それは驚きですね、どうしてですか」

「君の感じ方とか、言い回しとか。僕や普通の人にはきっと思いつかないような部分が、沢山あると思う」

この前、星を見に行った時だって、駄菓子屋に出掛けた時だってそうだ。自分の不安や孤独について、それらを彼女なりの言葉で表せていた。もしかするとネガティブなことにしか当てはまらないのかもしれないけれど、彼女のあの話し方にはどこか特別なものを感じる。

「それは、多分賢いわけではありませんよ」

僕なりの称賛を受け入れることなく、くすりと笑ってそう返す。

「じゃあ、どういう理由なの」

「言い訳や詭弁や皮肉が得意なんです。そうやって生きてきましたから。そうやって生きることしかできませんから」

僕は納得した。


それから僕等は新刊コーナーを見た。人気作品は話題の恋愛小説。余命を宣告された少女が必死に生きる物語。残された少年が懸命に生きる物語。そういうものに人々は感動するのだという。けれども本浄はそれらに興味を示さなかった。「興味がないの」と訊くと、「わたしには少し、眩しすぎます」と答えた。僕も同じ気持ちだった。

一通り書店の小説コーナーを回り、彼女と話した後、僕はせっかくなので『星の王子さま』を買った。自分で参考書以外の本を買うなんていつ以来だろうか。けれども僕はこれを読む必要があると思った。本浄が度々口にするこの物語を知っておきたかった。

僕は本浄のことを知りたかった。本浄のことをもっと知らなければならないと思った。


それから僕らは普通の高校生みたいに買い物をしようとした。しかし、本屋以外に興味をそそられるものはほとんどなかった。本浄は本しか読まないし、僕は参考書しか買わない。家電量販店のカメラを見て、少し本浄の食指が動いていたが、ほんとにそれくらいだった。これなら屋上の観覧車の方がまだおもしろそうだね、なんてことを言い合って、僕らは本当に12分間の空中庭園を味わってみることにした。


「観覧車に乗るの、初めてかもしれません」係の人が入り口のドアを閉めた後、本浄が呟く。少しは嬉しそうな表情をしていた。

「なんだか不思議だね。三日前に遊園地に行ったときは何にも乗らなかったのに」

「そうですね。とはいっても、あれでは流石に『遊園地に行った』というような気にはなれませんでしたけどね」

観覧車だけはなんとなく、遊園地にあるものよりも屋上にあるものの方が親しみがありますけどね。そんなことを彼女は呟いていた。

そのまま高度は上がっていき、やがて町全体が見渡せるほどの高さになった。彼女は座席から腰を浮かせ、窓ガラスに顔を近づけ、小さくなった僕らの住処をのぞき込む。

「ああ、上の方から見てみると、わたしたちの住んでいる町は、こんな風に映るんですね」

僕は西の方を指差し、「僕らの学校の校舎も見えるよ」と言った。「本当ですね」と本浄が首を縦に振る。

「不思議ですね。あそこにいる間はなにもかもがつまらないのに、ここから見たらあの場所も悪くは無いように見えます」

「そうだね、僕もそう思っていたところだった」

嫌だと思っていたことも、見方を変えたらましに見えたりする。苦しいことも、時間が経過して振り返ると良い思い出だと言い張ったりする。みんな、そんなことばかりだと思う。

「じゃあ、あの場所が綺麗に見えるうちに、写真を撮っておきましょうか」

そう言って本浄がシャッターを切る。

彼女がシャッターを切るたび、少しだけ胸の奥に痛みを感じる。


帰り道、僕の家の方が近かったので、そちらから先に回った。

「今日もありがとうございました、日向野くん」

カメラをケースに入れたまま肩に下げている本浄。それが落っこちないように気を遣いながら、小さく頭を下げた。

「あのさ、別れ際なのに申し訳ないんだけどさ、一つだけ質問をしていいかな」

僕はしばらく黙っていたが、やっとの思いで一つの質問をすることを決意した。

「はい、構いませんよ。どうしましたか」

本浄が頷く。僕は一つ息をついた。

ここからは僕にとっても、本浄にとっても、決して面白くないものであるだろう。けれど、僕は答え合わせを求めた。


「本浄、昨日の夜から今日にかけて、なにか夢を見たんじゃないの」

「はい、見ました。でも、それがどうかしたんですか」

突然よくわからない話をしてきた、というような困惑を本浄はそのまま顔に浮かべていた。

「僕も夢を見たことがあるんだ。小さいころ、ピアノの発表会があってさ」

夢、という話に本浄がぴくりと反応する。それは彼女にとってある程度重要なキーワードであることが示された。

「……それはそうでしょう。夢なんてしばしば見ますよ、多くの人は」

本浄は何かに気付いたようだ。けれども、何もわかっていないような反応を取り繕った。

「主観的に見ても、客観的に見ても、間違いなくあの日の僕の演奏は完璧なものだった。勿論プロには遠く及ばないけれど、子供の演奏にしては上手くできすぎているぐらいのもので。審査員も手放しで褒めていた」

「はい」本浄は相づちを打つ。

「その日の夜、たぶん君と同じような夢を見た。何か懐かしいような、けれども今となっては思い出せない、他愛もない夢」

「それが、どうかしましたか」本浄はおそらくすべてわかっている。それなのに、そんな返事をした。

「そして、僕が練習に使っていたピアノの鍵盤がひとつ消えたんだ。それも一番汚れていたやつが」

あの日の、あの感覚は、何か美しいものを生み出すことに成功したサインなのだと。

そしてどういう理屈かはわからない。だけど、あの夢はそれに関連するものなのだろう。それは確かだ。

「僕がピアノをやめた理由、話してなかったよね。それがこれなんだ。<法則>が発動したからなんだよ。それがなんとなく嫌で、そのあと鍵盤に触れなくなった」

本浄は黙ったままだった。唇を少しだけ動かそうとして、結局何も喋らなかった。きっと喋れなかった。

「それを思い出してから、僕は考えていたんだ。もし、僕と同じように君が夢を見るための引き金が『綺麗なもの』を生み出すことなのだとすれば、君が失っている『汚いもの』は一体何なのだろうって」

本浄は黙ったままだった。左手でカメラのケースを撫でた。おそらく無意識に。

「君は今日も納得のいく写真が撮れたのかな、いや、何かを消すことができたのかな」

本浄は何も答えない。


「本浄、君は……何が消えているんだ。いや……何を『消して』いるんだ?」

言い終えたのち、僕は心の中で少しだけ怯えていた。それなりの時間、僕は待った。これが勘違いであればいい、そう何度も思った。

やがて待つだけの時間は終わり、彼女が僕の名前を呼んだ。指先は微かに震えていた。

「……わたしとずっと一緒にいたから、そろそろわかってきたんじゃないですか」

「……もちろん、僕が今君にこの話をするのは、おおよそ目星がついたからだよ」

それは、よく考えたら真っ先に浮かぶべきことだったようにも思えるし、僕が自ら目を逸らしていたことのようにも思える。

「そうですよね、そしてそれはわたしの考えている事実と同じなのだろうと思います」

彼女の周りにあるものの中で、最も汚いものはなんなのだろうか。最も不必要なものは何なのだろうか。

できればその答えを彼女から聞きたくはなかった。

けれども彼女はゆっくりと口を開き、僕の想像しうる「最も望んでいない」言葉を発する。




「ねえ、日向野くん。わたしの周りで、最もこの世から消えるべきものは何でしょうか。

一番汚いものは、何でしょうか。

……いや、誰なんでしょうか」



二章終わりです。

しばらく時間を置いてから続きを投稿します。

完成はしているので要望があれば早めに投稿します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。