第八章 竜族復興
果てしない旅路の末、ベネット・ド・ドラグニアの足は再び、すべての始まりの地であるドラグニア竜王領へと戻ってきた。焦土と化した街並みには、いまも黒い灰がうっすらと積もっている。しかし、かつての完全なる静寂とは異なり、瓦礫のあちこちから微かな人々の吐息と、生き残った者たちの力なく彷徨う気配が漂っていた。ドラグニア領の地下深く、かつて緊急避難所として使われていた古代の石造シェルター。そこには、奇跡的に苛烈な掃射を免れた竜人族の生き残りたちが、肩を寄せ合うようにして身を潜めていた。その数、およそ三千人。命からがら生き延びた彼らは、飢えと恐怖、そして家族を失った深い絶望によって、その肉体も精神も極限まで摩耗しきっていた。
「ベネット様……! ご無事でしたか……!」
「ああ、ベネット様……ドラグニア家のお館は、一瞬にして……」灰にまみれた老人や、母親の裾にしがみついて怯える幼子たちが、すがるような視線をベネットへと向けた。かつて「全種族最弱の弱小種族」として肩を狭くして生きてきた彼らにとって、いまや領主の血を引くベネットだけが唯一の希望の光であった。ベネットはそっと胸元の内ポケットに手を当てた。そこには、熱で歪んだ姉セレフィーナの蒼い髪飾りと、焦げた弟ルシオンの木彫りの玩具が、いまも静かに収められている。彼女は生き残った同胞たちの前に進み出ると、ゆっくりとその膝を地に突いた。
「ベ、ベネット様!? 何をなさいますか!」
驚き動揺する長老の手を静かに制し、ベネットは深く頭を下げた。「申し訳ありませんでした。……私が無力だったばかりに、皆様にこれほどの苦難を強いることになってしまいました」「そんな……滅そうもない! あの時はリューネゴブリン王国の不意打ちであり、四千門もの魔導重砲が一度に降り注いだのです! 一人の力で防げるはずがございません!」同胞たちは口々にベネットを庇った。彼らはベネットが秘める圧倒的な力。本気を出せば世界をも砕く「竜眼」の力と史上最強の武力を、まだ正しく知らなかった。ただ、健気に自分たちを案じる少女の姿に胸を痛めていたのだ。しかし、ベネットは頭を上げたものの、その瞳に宿る真理の光は消えなかった。「いいえ。……私一人が強くても、何も変わりません」ベネットの声は、澄み渡る水のように静かに、地下洞窟の石壁に染み渡っていった。「旅に出て、世界を見てまいりました。三十億の人口と絶対的な組織力を持つゴブリン族。制度と学問を持つ人間。技術と産業を持つドワーフ。精霊と魔法を持つエルフ。結束と直感を持つ獣人。そして絶対的な階級と個の魔力を持つ魔族……。彼らはみな、自らの強みを活かした『社会』という構造を築き、種族として生き抜く術を持っていました」ベネットは立ち上がり、絶望に沈む同胞たち一人ひとりの顔を見つめた。「翻って、私たち竜人族はどうだったでしょう。かつて誇った個の強さに頼り切り、数を増やさず、制度を作らず、他者と協調する術を持たないまま、ただ閉じこもって生きてきました。一人の戦闘能力がどれほど高くとも、一万二千人しか存在しない種族に未来はありません。……私はバルツ平原で、五十万の魔物の群れを一撃で討ち払いました。ですが、そんな破壊力をどれほど振るおうと、焦土と化した故郷は戻らず、失われた命が還ってくることもなかったのです」地下シェルターに、息を呑むような静寂が訪れた。ベネットの口から語られた「五十万の魔物を一撃で滅ぼした」という規格外の事実。しかし、それ以上に同胞たちの胸を突いたのは、彼女が抱くあまりにも深く、残酷なまでの自己省察であった。個の極致である「最強」の力を持っていながら、自分は何も護れなかったという痛烈な反省。「復讐のためにジェナール王子を殺し、ゴブリンの王都を壊滅させることは容易いです。しかし、それでは三十億のゴブリン全軍が怒りに狂い、残された皆様を徹底的に根絶やしにするでしょう。……私は、二度と皆様を失いたくありません」ベネットの深い蒼の瞳に、揺るぎない確信の炎が灯った。「強くなるだけでは、足りないのです。……私ひとりが最強であることに、何の意味もありませんでした。ならば――」ベネットは拳を強く握り締め、力強く宣言した。「ならば、竜族そのものを変えます。……私たちが、世界で最も強い『社会』を作り上げるのです」その言葉は、何千年も途絶えていた竜人族の歴史を根底から覆す、天地開闢の決意であった。ベネットはただ過去を嘆くのをやめ、他種族を憎悪して閉ざすこともやめた。仇敵であるゴブリン族すら含め、世界に存在するあらゆる優れた文明の長所を貪欲に吸収し、竜人族という種族そのものを「再構築」するための壮大な改革を提示したのだ。「まず、リューネゴブリン王国から学びます。彼らの誇る三十億の人口を支える圧倒的な『行政機構』と『効率的な生産システム』、そして明確な『戸籍と流流通の管理』を取り入れます。竜人族もまた、数を増やし、組織として機能する構造を持たねばなりません」同胞たちは呆然としながらも、ベネットの語る理路整然とした言葉に引き込まれていった。「アルヴェリア聖王国の人間からは『国家運営の法制度』と『教育体系』を学びます。知識を個人のものとせず、制度化して子供たちへ継承する学校を作り、一人ひとりの知性を底上げします」「エルセリア森王国のエルフからは『学問』と『環境と調和する永続的な魔力運用』を。グランヴァルト鉄王国のドワーフからは『最新の鍛冶・建築・機械産業』を学び、我々の住処を絶対不落の要塞都市へと変貌させます」「ヴァルガ獣王連邦の獣人からは『集団における一糸乱れぬ軍事組織』と『血の結束力』を。ゼルファディア魔帝国の魔族からは『高度な魔法理論』と『深遠なる古代研究』を吸収します」
ベネットの構想は、単なる他国の模倣ではなかった。個のスペックにおいて世界最高の潜在能力を持つ竜人族が、他種族の誇る「社会制度」「産業構造」「教育網」「軍事組織」「魔法理論」をすべて融合させたなら――それは、歴史上いかなる国家も到達し得なかった、真の理想郷となり得るのだ。「他者を否定し、自分たちの閉じられた世界に閉じこもる時代は終わりました。相手の強さを認め、それを取り込み、我らの糧とする。それこそが、滅びの淵に立つ私たちが生き残る唯一の道です」かつては「全種族最弱」と蔑まれ、一万二千人から三千人にまで減ってしまった哀れな竜族。しかし、ベネットの言葉を聞く彼らの目に、長らく失われていた生気と、未知なる未来への激しい情熱が宿り始めていた。「ベネット様……! 私たちは、どうすればよろしいでしょうか!」長老が震える声で尋ねた。ベネットは優しく、しかし力強く微笑んだ。「まず、この焦土を耕し、新たなる都市『新生ドラグニア』の礎を築きます。私はこれから世界中を巡り、各国の優秀な学者、技術者、政治家を呼び寄せます。私に仇なす者がいれば、私の『力』で退けます。ですが、建国を行うのは……皆様の『手』です」ここに、物語の輪郭は決定的に変貌を遂げた。ただ身勝手な婚約破棄に怒り、故郷を滅ぼした者たちを血祭りに上げるだけの「浅薄な復讐譚」は、完全に終焉を迎えた。一人の少女の個人的な恩讐を超え、時代の濁流に呑まれかけた少数種族が、世界の理を学び取り、自らの手で種族そのものを再構築していく「壮大なる国づくりと種族変革の叙事詩」へとおおきく舵を切ったのだ。
ベネット・ド・ドラグニア。
世界最強の破壊力を持ちながら、世界の構造を誰よりも深く理解した少女。手の中にある幼き日の思い出を胸に抱きながら、彼女は竜人族の未来を照らす新たなる光として、最初の一歩を踏み出していく。その先に待ち受けるのが、三十億のゴブリン王国との真の決着であろうと、世界規模の構造改革であろうと、彼女の足取りが揺らぐことは二度となかった。
「……参りましょう。私たちの、新しい時代の始まりです」
焦土に吹き抜ける風が、かすかに温かな緑の匂いを運んできた。竜人族の復興という奇跡の物語が、いま静かに幕を開けたのである。




