ミカン
最近、城下町で妙な果物が流行っているらしい。
最初にその話を聞いたとき、公爵はさほど気に留めなかった。
王都には多くの人と物が集まる。遠い地方で採れた果物や、外国から運ばれてきた菓子が突然流行することも珍しくない。
今回も、その類いだと思っていた。
だが数日後。
「公爵様。こちらを」
執務室の机に、小さな籠が置かれた。
中には見慣れない橙色の果実がいくつも入っている。
「なんだ、これは?」
「ミカンと呼ばれている果物だそうです。今、城下町でかなりの人気になっております」
「これが噂の?」
公爵は一つ手に取った。
手のひらに収まるほどの大きさで、表面は少しでこぼこしている。
「このまま食べるのか?」
「いえ。皮をむいて食べるそうです」
「皮を?」
果物に指を入れる。
思ったよりも簡単に皮がむけた。
その瞬間。
「ほう」
爽やかな香りが鼻を抜ける。
中身はいくつもの小さな房に分かれていた。
一つをつまみ、口へ運ぶ。
「……酸っぱいな」
思わず顔をしかめる。
だが、嫌な味ではない。
口いっぱいに果汁が広がり、酸味のあとからほのかな甘味がやってくる。
公爵はもう一房食べた。
「悪くない」
「城下では、一度食べた者がまた買いに来るそうです」
「なるほどな」
香りもいい。食べやすい。
人気が出る理由は分かる。
「それで、どこの領地で採れる?」
「それなのですが……」
部下の表情が変わった。
「どうした?」
「王国内ではないようです」
「輸入品か?」
「それも違います」
公爵の手が止まる。
「どういうことだ?」
「最初にこのミカンを王都へ持ち込んだ商人から、直接話を聞きました」
差し出された報告書を受け取る。
「その商人は近隣の村へ向かう途中、北部で道に迷ったそうです」
「北?」
王国の北には、広大な森が広がっている。
まともな街道もなく、大きな集落があるという記録もない。
「森の中をさまよっているうちに、ある街へたどり着いたと」
「街?」
「はい」
「村ではなく?」
「本人は、はっきりと街だったと言っています」
公爵は報告書へ目を落とした。
城壁。
整った道。
多くの人。
市場。
商人は突然現れたにもかかわらず歓迎され、持っていた商品まで買い取ってもらったという。
帰る際には、
『遠いところから来てくれたお客様だから』
そう言われ、土産として大量のミカンを渡された。
それを王都で売ったところ、珍しさもあって高値がついた。
噂を聞いた別の商人たちも、北へ向かい始めたらしい。
「……待て」
公爵が報告書から顔を上げる。
「最初の商人だけではないのか?」
「はい。すでに何人かが、その街へたどり着いております」
「全員、無事に?」
「今のところは」
「商売までして帰ってきた?」
「はい」
公爵は手元のミカンを見る。
ただの珍しい果物ではない。
王国が把握していない場所から、品物が流れ込んできている。
「殿下に報告する」
公爵は立ち上がった。
◇
「これが、城下で流行しているミカンか」
第一王子テルは、机の上に置かれた果物を眺めていた。
「はい」
向かいに座る公爵が答える。
「食べてみても?」
「もちろんです」
「皮をむくんだったな」
テル王子が見よう見まねで皮をむく。
「ずいぶん簡単にむけるな」
一房を口に入れる。
「……酸っぱい」
公爵が笑った。
「私も最初は同じ顔をしました」
「でも、悪くない」
もう一房。
「香りもいいな」
「それで流行しているのでしょう」
「問題は味じゃない、か」
テル王子は残ったミカンを置いた。
「王国が存在を把握していない街が、北にある」
「その通りです」
「本当に街なのか?」
「複数の商人から同様の証言が出ています」
公爵が報告書を差し出した。
テル王子が目を通す。
「調べないわけにはいかないな」
「私もそう考えております」
「いきなり正式な使節を送るか?」
公爵は首を横に振った。
「まだ早いかと」
「だろうな」
「相手が何者なのかすら分かりません。国なのか、都市なのか。それすら不明です」
「では、まず実態を確かめる」
「はい」
王子が椅子にもたれる。
「誰を行かせる?」
ただ強いだけでは駄目だ。
未知の土地へ向かう以上、自分の身を守れる必要がある。
だが、相手が一つの国ならば、ある程度の身分も必要になる。
「……一人、おります」
公爵が言った。
「誰だ?」
「メメメ伯です」
テル王子が眉を上げる。
「あの冒険者上がりの?」
「はい」
メメメ伯。
元は平民。
冒険者として頭角を現し、かつてはSランクパーティーにも所属していた男だ。
数々の魔物討伐や難しい依頼を成功させ、王国にも大きな功績を残した。
その働きを認められ、現在は伯爵位を持つ。
「戦う力は申し分ないな」
「今でも腕は衰えていないと聞きます」
「伯爵なら、向こうに対しても最低限の礼は示せる」
「それに、新興貴族です」
「派閥にも深く入っていない、か」
「はい」
テル王子は少し考え、うなずいた。
「確かに適任だ」
◇
「私を、ですか?」
呼び出されたメメメ伯は、少し意外そうな顔をした。
紫色の髪。
短く切り揃えられた髪は左右にきっちりと分けられ、一切乱れていない。
首元のネクタイも紫色だった。
一見すれば、物腰の柔らかい貴族にしか見えない。
だが腰には一本の細いレイピアが差されている。
派手な装飾はない。
冒険者時代から使い続けている、彼の長年の相棒だった。
「北に、我々の知らない街があるらしい」
メメメ伯へ報告書を渡す。
彼は静かに読み進めた。
「なるほど」
「最近流行しているミカンも、そこから来たそうだ」
公爵が籠から一つ取り、渡す。
メメメ伯は受け取ると、興味深そうに眺めた。
「初めて見ます」
「皮をむいて食べる」
「ほう」
きれいに皮をむき、一房口へ入れる。
「これは……なかなか」
「酸っぱいだろう」
「ですが、美味しいですね」
メメメ伯が笑う。
「それで、私にこの街の調査を?」
「そうだ」
テル王子が答えた。
「相手が何者なのかを確かめてほしい。ただし、敵情視察ではない」
「承知しております」
公爵も続ける。
「可能であれば、向こうの責任者とも接触していただきたい」
「分かりました」
メメメ伯は報告書を閉じ、立ち上がった。
「メメメ、謹んでお受けいたします」
◇
メメメ伯は、その日のうちに準備を整えた。
翌朝には王都を出発した。
王国産の酒。
保存食。
絹織物。
工芸品。
未知の相手とはいえ、何も持たずに訪れるわけにはいかない。
贈答品を積んだ馬車とともに、北へ向かった。




