宣戦布告
聖教国に、王国からの書状が届いた。
聖女はそれを受け取ると、静かに封を切った。
そこには、都市国家で起きた一連の事件と、王国が今後取る対応について記されていた。
交易船から禁制品が発見され、船長カイが拘束されたこと。
事情を確認するために訪れた使者ブルーが、港で暴徒に襲われたこと。
さらに、王国の船が都市国家の魔法によって撃沈されたこと。
そして、王国が都市国家へ宣戦布告したこと。
最後まで読み終えた聖女は、書状を机に置いた。
「……あの王国が、戦争を」
ふと、10年前のことを思い出す。
聖女として王国を訪れた、あの3か月間。
国民はよく笑い、旅人にも親切だった。豊かな食事を分け合い、困っている者がいれば、誰かが自然と手を差し伸べていた。
長い鎖国を経た国とは思えないほど、街には穏やかな時間が流れていた。
王国がダンジョンを封鎖していたことも、強く印象に残っている。
聖女は帰国後、その取り組みを報告した。
それから各国を訪れるたびに、同じようなことができないかと話してきた。
けれど、どの国もダンジョンを封鎖することはなかった。
ダンジョンから得られる資源は、人々の暮らしを支えている。
それだけではない。
魔物を倒せばレベルが上がり、個人の強さは、ひいては国の戦力にもつながる。
どの国にとっても、容易に手放せるものではなかった。
それなのに王国では、ダンジョンを閉ざしてなお、人々が笑顔で暮らしていた。
街で兵士の姿を見かけることはあった。
だが、彼らが訓練する姿を目にしたことはない。
剣を持たずとも、笑顔で暮らせる人々。
聖女にとって、王国とはそういう国だった。
その国が、どのように戦うのか。
3か月も滞在していながら、何も知らなかった。
「……」
聖女は目を伏せた。
ひとつだけ、誰にも話していない秘密がある。
あの王国で起きた、ある出来事。
今、そのことを話せる唯一の相手は、ここにはいなかった。
ユウカ。
かつて聖女見習いの一行にいた少女は、勇者育成機関を卒業し、今では各国にその名を知られる勇者となっている。
卒業後、ユウカは一度、治癒魔法について助言を求めて聖女のもとを訪れたことがあった。
ひととおり話を終えた頃、ユウカはふと思い出したように顔を上げた。
「あのときは、本当にお世話になりました」
そう言って、彼女は嬉しそうに王国で過ごした日々を話し始めた。
あの街で見た景色。
一緒に過ごした人たち。
剣を振り、教えを受けた時間。
どれも昨日のことのように覚えているらしく、話はなかなか尽きなかった。
「ふふっ。あの出会いが、あなたを世界最強の勇者にしたのですね」
聖女が微笑むと、ユウカは首を横に振った。
「いえ、まだです。皆さんにはそう呼んでもらっていますけど、私、まだ世界最強じゃないと思うんです」
「……今のあなたでも?」
「はい。アルティナさんの剣には、まだ届かないと思います」
ユウカは困ったように笑った。
「私、何回も夢の中でアルティナさんと戦っているんですが、いつも真っ二つにされて目が覚めるんですよ」
そして、すぐに顔を明るくした。
「でも、オレンジさんとブラッドさんなら、今はいい勝負ができると思うんです!」
ユウカは身を乗り出した。
「あのときは、お二人とも本気で戦っていませんでしたけど。今ならどうなるか、試してみたいんです」
その目は、期待に満ちていた。
「私の成長を、みんなに見てほしいんですよ!」
さらに、ユウカは言った。
「お兄さんにも、話したいことがたくさんあるんです。いろんな国を回って、いろんなものを見てきたので!」
嬉しそうに話す彼女の姿を、聖女は今でも覚えている。
そこにいたのは、世界最強の勇者ではなかった。
久しぶりに会う人たちに、自分の成長を見せたくてたまらない、1人の少女だった。
聖女は、机に置かれた書状へ目を戻した。
ユウカはあれから各国を巡り、多くの戦いを経験してきた。
今では、名実ともに世界最強の勇者と呼ばれている。
その彼女が、まだ勝てないと言う相手。
同じ王国には、今なら互角に戦えるかもしれないという者たちまでいる。
表には、剣を持たず、笑顔で暮らす人々。
そして、その国には、世界最強の勇者さえ勝てないという者がいる。
あの穏やかな王国は、一体どのような力を持っているのだろうか。
「……いけませんね」
聖女は小さくつぶやき、頭を振った。
今、ここで考えても答えは出ない。
ただ、戦争が始まれば、王国の人々も、都市国家の人々も、無傷ではいられないだろう。
聖女は両手を組み、静かに祈りを捧げた。
どうか。
世界に、平和があらんことを。
しばらくして、聖女は顔を上げた。
そして、ペンを執った。
1通は、王国へ。
もう1通は、都市国家へ。
どちらにも、これ以上の争いを避け、話し合いによる解決を求める言葉を綴った。
2通の書状を封じると、聖女は使者を呼んだ。
祈るだけでは、終わらせないために。
◇
帝国にも、王国からの書状が届いていた。
皇帝は封を切り、ひととおり目を通すと、隣に控えていた宰相へ放るように渡した。
「どう思う?」
宰相は書状を受け取り、落ち着いた様子で答えた。
「こちらが先に仕入れた情報と、ほぼ同じです」
世界最大の領土を持つ帝国は、各国に密偵を送り込んでいた。
都市国家も例外ではない。
交易船から禁制品が見つかったことも、王国の使者が襲われたことも、帝国にはすでに報告が届いていた。
それ以来、王国がどう動くのかを注視していたのである。
「聖女の報告では、剣を持たずとも人々が笑顔で暮らす国だったそうだが……」
皇帝は椅子の背にもたれた。
「そういうわけでもなさそうだな」
「ええ。王国から流れてきた品には、我が国の技術でも再現できないものがあります。表に見えているものが、あの国のすべてとは限りません」
「問題は都市国家だ」
皇帝は机に広げられた地図へ目を落とした。
そこには、海を隔てた王国と、帝国側の大陸に位置する都市国家が描かれている。
「王国に都市国家を取られれば、こちらの大陸への足掛かりを与えることになる」
都市国家には巨大なダンジョンがあり、海を越える物流の中継地点でもあった。
その港と資源を王国が手にすれば、今後の勢力図は大きく変わるだろう。
「やすやすと渡すわけにはいかんな」
「では、都市国家を支援いたしますか?」
宰相が尋ねる。
皇帝はすぐには答えなかった。
都市国家を王国に奪われるのは困る。
だが、都市国家が勝利し、その勢いで勢力を広げるのも面白くない。
今回の事件をきっかけに力をつけた都市国家が、いずれ帝国に歯向かうことも考えられる。
どちらを支援するにしても、慎重に選ぶ必要があった。
「……ここは大きな分岐になるかもしれんな」
皇帝はしばらく地図を見つめていた。
やがて、宰相へ顔を向ける。
「一旦、様子を見る。都市国家にいる密偵を増やせ」
「承知いたしました」
「王国の戦力も調べろ。特に、あの国が何を使って戦うつもりなのかだ」
「はい」
皇帝は地図に引かれた海路を指でなぞった。
「王国へ向かう海は、今も渡れるのだな?」
「はい。王国へ向かう航路は、現在も通行可能です」
「そうか」
皇帝は再び、都市国家に目を落とした。
「都市国家が万が一落とされるようなことになれば、こちらも出ざるを得まい」
宰相は書状を閉じ、深く頭を下げた。
帝国は、まだ動かない。
ただし、何もせずに見ているつもりもなかった。
◇
共和国にも、同じ書状が届けられていた。
しかし、共和国は現在、選挙の真っただ中にあった。
街には候補者の名が掲げられ、議場では連日、次の政権を巡る議論が交わされている。
各地から届く報告書や陳情書は、執務机に山のように積み上がっていた。
王国からの書状も、その中に置かれた。
「こちらは?」
上席の行政官が尋ねる。
「王国からです。都市国家との件について、正式な通知が届いております」
事務官が答えた。
「……次の政権が決まってから対応しよう」
「承知しました」
事務官は書状を脇へ寄せた。
封は切られないままだった。
王国と都市国家が戦争へ向かう中、共和国では、誰が次に国を動かすのかを決めることが優先されていた。
◇
新興国にも、王国の書状が届いていた。
帝国から独立して、まだ間もない国である。
国としての形は整いつつあったが、経済も軍事も、かつての宗主国である帝国には遠く及ばなかった。
かつて独立運動を率いた指導者は、書状を読み終えると、側近に尋ねた。
「帝国は、どう動いている?」
「今のところ、支援を表明したという情報はありません」
「そうか……」
独立指導者は、もう一度書状へ目を落とした。
王国につくか。
都市国家につくか。
あるいは、両国の間に立つか。
どちらかに恩を売ることができれば、独立したばかりのこの国にとって、大きな財産になるかもしれない。
「ここで、どちらかに借りを作らせることができれば……」
小さな国だからこそ、大国と同じ動きはできない。
だが、大国が動き出す前だからこそ、取れる道もある。
独立指導者は側近を呼び寄せ、各国の動向をさらに詳しく調べるよう命じた。
◇
それらの書状が各国へ届くよりも前。
王国の執務室には、判を押す音が響いていた。
ぽん。
シキは机に積み上げられた書類を1枚取り、目を通しては判を押していく。
ぽん。ぽん。
書類の山は、まだ半分ほど残っていた。
そこへ、扉を叩く音がした。
「シキ様。白です。イチョウを連れてまいりました」
シキが顔を上げる。
扉が開き、白とイチョウが入ってきた。
イチョウは鮮やかな黄色い髪に、厚いレンズのぐるぐる眼鏡をかけていた。
背中には、ぜんまい式の大きな巻き鍵がついている。
机の前まで進むと、イチョウは深く頭を下げた。
「ご報告いたします。カイ様とブルー様の姿をしたゴーレムが、どちらも動かなくなりました」
シキの手が止まった。
判を机に置き、2人を見上げる。
「はい」
白が静かに頷いた。
「始まります」
シキは顎に手を当て、考えるような仕草をした。
「各国への書状は、すでに発送しております」
白は手にした書類を開いた。
「聖教国、帝国、共和国、新興国には、今回の事件の経緯を伝えております。王国の船長が拘束されたこと、使者が港で襲撃されたこと、そして都市国家の魔法によって王国の船が沈められたことです」
紙を1枚めくる。
「また、都市国家へは別の書状を送りました」
白はシキの目を見た。
「王国からの、宣戦布告です」
シキは書類に目を落とし、ゆっくりと頷いた。
「軍の準備も整っております。シキ様のお許しがあれば、いつでも動けます」
それを聞いたシキは、にっこりと笑った。
「ありがとうございます。それでは、すぐに準備を――」
白が言いかけたところで、シキは片手を上げた。
「……え? よろしいのですか?」
シキは椅子から立ち上がり、イチョウのもとへ歩み寄った。
そして、その肩にそっと手を置いた。
イチョウは一瞬、驚いたように目を見開いた。
シキは机の端に置かれていた予定表を指さし、その中の空いている時間を示す。
それから、両手を静かに重ねた。
白は、その仕草の意味に気づいた。
「……あの2体を弔う時間を設ける、ということですね」
シキは頷いた。
イチョウは、厚い眼鏡の奥で何度か瞬きをした。
やがて、深々と頭を下げる。
「……ありがとうございます、シキ様」
声が少し震えていた。
「彼らはゴーレムです。それでも、私にとっては時間をかけて作った、大切な子たちです」
イチョウは一度、息を整えた。
「最後までカイ様とブルー様として役目を果たしました。きっと、誇りに思っているはずです」
シキは、イチョウの肩を軽く叩いた。
その横で、白が静かに口を開いた。
「ただ……今回の作戦については、振り返る必要があります」
シキが白を見る。
「カイ様とブルー様のゴーレムは、どちらも失わずに済む可能性がありました。ブルー様を迎えに行った船の乗組員たちも、あそこで命を落とす必要はなかったはずです」
白は少し間を置いた。
「私は、都市国家があそこまで強硬な手段に出ることを想定できませんでした。作戦を考えた私にも――」
シキが首を横に振った。
そして、自分の胸を指さした。
白は、その仕草をしばらく見つめた。
「……今回のシキ様の判断は、間違いだった」
シキは、ゆっくりと頷いた。
「そういうことですね」
もう一度、シキが頷く。
白は頭を下げた。
「承知いたしました」
そして顔を上げる。
「では、次は同じ間違いを繰り返さないようにいたしましょう。ゴーレムも、必要のない命も失わずに済む作戦を考えます」
シキは微笑んだ。
イチョウも、小さく頷いた。
「弔いの準備は、私にさせてください」
シキはその言葉にも頷き、イチョウの肩をもう一度軽く叩いた。
◇
「それでは、カイ様とブルー様をお呼びしてまいります」
白は書類をまとめた。
「ブルー様は隣室でお仕事をされているはずですので、すぐにお連れできるかと」
シキは頷いた。
「カイ様は……おそらく、今頃は酒場でしょうね」
白はわずかに目を伏せた。
「今朝から、ずいぶん騒がしい声が聞こえておりましたので」
シキは小さく笑った。
白とイチョウが退出すると、執務室に静けさが戻る。
机の上には、まだ書類の山が残っていた。
シキは椅子へ戻り、判を手に取った。
ぽん。
遠く離れた都市国家では、王国の船長と使者が死んだと報じられている。
その一方で、本物のブルーは隣の部屋で仕事を続け、本物のカイは酒場で騒いでいた。
そして、動かなくなった2体のゴーレムのためには、今日、ささやかな弔いの時間が設けられる。
シキは次の書類を手元に引き寄せた。
王国からの宣戦布告は、すでに都市国家へ向かっている。
ぽん。




