戦端
ブルーがカイとの面会を許されたのは、会談の翌日だった。
都市国家の役人に案内され、建物の奥へと進む。
階段を下りるにつれ、空気は湿り気を帯び、明かりも乏しくなっていった。
やがて、重い扉の前で役人が足を止めた。
「こちらです」
扉の向こうは、薄暗い地下室だった。
石壁には染みが広がり、床の隅には汚れた水がたまっている。寝台と小さな机が置かれているだけで、外の光はほとんど入らなかった。
「……ここは牢獄ではありませんか」
ブルーが尋ねる。
「身柄を預かるための施設です」
役人はそう答え、奥へ進んだ。
禁制品を運んだかどうか、まだ分かっていない。
それなのに、カイはすでに犯人として扱われているようだった。
「カイ」
寝台に腰掛けていた男が、顔を上げた。
「おう、大将! 久しぶりだな!」
声はいつもどおりだった。
しかし、ブルーは思わず足を止めた。
「……おい。ずいぶん痩せたな」
かつてのたくましい体は、見る影もなかった。
頬はこけ、服の下の肩も細くなっている。
見える範囲に拷問の痕はない。
だが、この部屋に閉じ込められ、十分な食事も取らずに2週間を過ごしたのであれば、拷問と大差ないように思えた。
「食べていないのか?」
「まあ、ぎりぎりだな。ガハハハッ!」
カイは大きく笑った。
「大将も言ってただろ。出された食い物に、何が入ってるか分からねえってな」
「それはそうだが……」
ブルーは痛々しそうに、その姿を見つめた。
隣では都市国家の役人が、2人の会話を記録する準備をしていた。
「少し、確認させてください」
ブルーはカイの向かいに座った。
「すでに2週間が経っています。あの花を、お前が王国から運んだのですか?」
「違う。あれは俺が持ってきたもんじゃねえ」
カイは即座に答えた。
「積荷は全部確認した。あんなものは載せてねえ。着いてから誰かが入れたんだろうよ」
「そうですか」
ブルーは小さく息を吐いた。
「私はお前を信じています」
「おう」
「ならば、すべきことは分かっていますね」
ブルーは立ち上がり、カイへ右手を差し出した。
カイはその手を握る。
「ああ。任せとけ」
2人が手を離しかけた、そのときだった。
「おい。何をしている」
役人が声を上げた。
ブルーは振り向いた。
「ただ、握手をしただけですが」
「余計な接触は控えてもらいたい」
「承知しました」
ブルーは手を引き、カイへ一礼した。
「それでは。また」
「おう。気をつけてな、大将」
ブルーは役人に伴われ、地下室をあとにした。
重い扉が閉まる。
カイはしばらく扉を見つめてから、自分の手をそっと握り直した。
◇
建物を出たブルーは、港へ向かった。
次は交易船の乗組員たちの様子を確かめたかった。
彼らには十分な食料が残されていると聞いていたが、2週間もの間、船から自由に出ることを許されていない。
せめて直接会い、ねぎらいの言葉をかけておきたかった。
役人を伴って岸壁へ近づいたところで、1人の男が行く手を遮った。
「おい。お前、王国の人間だな?」
港で働く船乗りらしい男だった。
「ええ。そうですが」
「あの船の関係者か?」
「私は船長の上司に当たります」
男の顔が険しくなった。
「お前らが持ち込んだ花のせいで、俺の息子は家から出られなくなったんだ」
ブルーは足を止めた。
「毎日毎日、俺には見えねえ何かに怯えてる。夜もろくに眠れねえ。前はあんな子じゃなかったんだぞ!」
「……それは、お気の毒に」
「お気の毒に、だと?」
男が詰め寄った。
「お前らのせいだろうが!」
次の瞬間、男の拳が飛んできた。
ブルーは身を引き、拳をかわした。
すると男は、自らよろめくように後ろへ倒れた。
「いてえっ! こいつ、俺を殴りやがった!」
「……私は殴っていません」
ブルーが答えるより早く、周囲の視線が集まった。
「何だ、どうした?」
「王国の奴が殴ったんだとよ!」
「また王国か!」
次々と人が足を止め、人垣ができ始める。
花によって家族が以前の暮らしを失った者。
交易船が留め置かれたことで仕事を失った者。
新聞を読み、王国が薬物を持ち込んだと信じている者。
それぞれが、抱えていた不満を口にした。
だが、王国が花を持ち込んだという確かな証拠は、まだなかった。
群衆の中には、王国への非難や、男が殴られたという話を疑う者もいた。
「本当に殴ったのか? 俺にはそう見えなかったぞ」
「花だって、王国から来たと決まったわけじゃないだろ」
しかし、その声は周囲の怒号に埋もれていった。
「説明してください。私は何も――」
「うるさい!」
「王国の奴を帰すな!」
役人が人々を押しとどめようとする。
「下がってください! この方は正式な使者です!」
「だから何だ!」
誰かが叫んだ。
「王国は敵だ!」
小石が1つ、ブルーの足元に落ちた。
「やめてください」
続けて、別の石が飛んでくる。
それを見た誰かが、また石を拾った。
「やめろ!」
ブルーの声は届かなかった。
四方から石が飛び交い始めた。
小さな石から、両手で持ち上げるような大きなものまで。
ブルーは腕で頭をかばいながら、役人を投石から守るように壁際へ誘導した。
「あなたは下がってください!」
その瞬間だった。
こつっ、と硬い音がした。
ブルーの頭に石が当たった。
体が傾き、そのまま石畳へ倒れる。
それでも、石は止まらなかった。
「やめろ! もう倒れてるぞ!」
「誰か兵士を呼んでこい!」
人々の声が入り乱れる。
港の警備兵たちは、少し離れた場所からその様子を見ていた。
止めに入ろうと思えば、いつでも入れた。
だが、先頭に立つ兵士は動かなかった。
石がブルーに当たるのを、ただ見ていた。
やがて投石の勢いがひととおり収まると、兵士は口を開いた。
「……そろそろか」
部下たちに合図し、人垣を押し分けていく。
そして、倒れたブルーの顔を見た。
「おい……!」
ブルーは動かなかった。
「まずいぞ! 神官を呼べ!」
怒鳴り声が港に響いた。
投石していた者たちは後ずさり、逃げ出す者も現れた。
兵士が群衆を押しのけ、神官を呼ぶ声が飛び交う。
岸壁は、もはや収拾のつかない騒ぎになっていた。
◇
その騒ぎは、係留された交易船からも見えていた。
「……ブルー様じゃないか?」
甲板にいた船員が、岸壁の方を指さした。
兵士たちが人々を追い払い、その中央に誰かが倒れている。
青い髪が見えた。
「おい、まさか……」
船員たちの顔色が変わった。
船長は拘束されたまま。
今度は、王国から来た使者まで襲われた。
「ここにいたら、俺たちも殺されるぞ」
誰かが言った。
「出航だ。今すぐここを離れる!」
港の警備は騒ぎに人を取られ、船の周囲からも兵士が減っていた。
船員たちは係留索を外し、錨を上げる。
「全員、持ち場へ!」
帆が開かれた。
「魔力を込めろ!」
風が帆へ集まり、交易船が動き出す。
岸壁にいた兵士が気づいたときには、船はすでに港の出口へ向かっていた。
「止まれ! 出航は許可していない!」
叫び声が飛ぶ。
だが、船は速度を増していく。
港の兵士たちが魔法を放とうとしたときには、すでに射程を離れつつあった。
◇
「交易船が逃げた!」
その知らせは、沖合に錨を下ろしていたブルーの船にも届いた。
小舟で戻ってきた従者が、甲板へ駆け上がる。
「ブルー様が襲われた! こちらも狙われるかもしれん!」
「何だと……!」
「すぐに出航しろ!」
船員たちは錨を上げ、帆を開いた。
しかし、交易船とは違い、こちらはまだ動き始めたばかりだった。
岸壁から放たれた魔法が、帆を引き裂いた。
「帆が!」
船が大きく傾き、速度を失う。
続けて、別の魔法が船腹を貫いた。
木片が飛び散り、海水が流れ込む。
「穴を塞げ!」
「いや、火だ!」
船内から炎が噴き出した。
火は瞬く間に甲板へ広がり、逃げ場を奪っていく。
沖合に赤い炎が立ち上った。
それを見た港の人々が、悲鳴を上げた。
カイの交易船は、すでに水平線の向こうへ姿を消そうとしていた。
ブルーを乗せてきた船は、炎に包まれながら海へ沈んでいった。
◇
同じ頃。
地下室に戻されていたカイは、寝台の上で手を開いた。
掌には、小さなカプセルがあった。
「……早かったな」
カイはそうつぶやき、口の中へ放り込んだ。
そして、何事もなかったように寝台へ潜り込んだ。
しばらくして、見回りの兵士が地下室の扉を開けた。
「おい。起きろ」
返事はなかった。
「……おい?」
兵士が寝台へ近づく。
カイは、もう動かなかった。
◇
翌朝。
都市国家の街角に、再び新聞売りの声が響いた。
「号外! 号外! 王国の船長と使者が死亡!」
新聞は商店へ、酒場へ、冒険者ギルドへと運ばれていった。
大きな見出しが、紙面を埋めていた。
『王国交易船による違法薬物密輸、決定的証拠を発見!』
『船長カイ、証拠を突きつけられ服薬自殺』
『王国使者ブルー、逃走を図り、拘束時に服薬自殺』
『王国船2隻が逃走 1隻を撃破、1隻は逃走』
記事には、王国側が違法な花を運んでいたことを認めず、追及を逃れるために自ら命を絶った、と記されていた。
港でブルーが投石を受けたことについては、触れられていなかった。
紙面の最後には、今後の都市国家の方針が大きく印刷されていた。
『王国に対し、事件の責任を追及へ』
カイの拘束から始まった事件は、もはや1隻の交易船だけの問題ではなくなっていた。




