積荷の底
王国産の麦で作られた菓子は、都市国家では高級品として扱われていた。
値は張るが、買い手は絶えない。
菓子だけではない。茶葉や乾燥果実など、王国から運ばれる品々は、この10年で品質のよい「王国ブランド」として人々に知られるようになっていた。
かつて疫病によって国を閉ざしていた王国は、今では都市国家にとって欠かせない交易相手となっている。
その玄関口となる港では、今日も人夫たちが忙しく行き交っていた。
「王国の船は、まだ着かんのか?」
港の倉庫で、1人の商人が尋ねた。
「予定では、今日中に入るはずです」
「予定、予定か。いつも向こうの都合ばかりだな」
商人は窓の向こうの海へ目を向けた。
窓枠に置かれた手には、10年前にはなかった宝石の指輪がいくつも光っている。
王国との貿易が始まってから、10年。
船が運んでくる品は、どれもよく売れた。
そのおかげで、彼も随分と財産を築いた。今では都市国家の商業代表にまで上り詰めている。
だが、取引が大きくなるにつれ、不満も膨らんでいた。
王国からやって来る船は、決まってカイの船だった。
こちらから買い付けの船を出しても、戻ってこない。海の怪物に襲われるのだという噂もあるが、確かなことは分かっていなかった。
あるいは、王国へたどり着いた船乗りたちは、そのまま向こうで豊かな暮らしを送っているのかもしれない。
商人は、そんなことを考えることさえあった。
いずれにしても、欲しい品があれば王国の船を待つほかない。
向こうが運んできた品を買い、向こうが求める品を売る。
その繰り返しだった。
王国がとりわけ欲しがったのは、ダンジョンから持ち帰られる屑鉄だった。
都市国家では加工することさえできず、値段もつかなかった品を、王国は喜んで買い取っていく。
倉庫を占める厄介な品が財産に変わるのだから、ありがたい取引ではある。
ただ、なぜ王国がそれほど欲しがるのかは分からなかった。何度尋ねても、カイは詳しいことを話さない。
王国から届く品は高く売れ、利益も十分に出ている。
それでも、相手の条件を受け入れるばかりの取引に、商人の不満は日に日に募っていた。
こちらにも資金がある。船も、人も用意できる。
それなのに、取引の主導権を握るのは、いつも王国だった。
「……例の包みは?」
商人が声を落とすと、部下は倉庫の扉を確かめ、小さな布袋を差し出した。
中には、油紙に包まれた乾燥した花が入っていた。
「失敗するなよ」
「はい。手はずどおりに進めます」
商人は包みを開かず、そのまま部下へ返した。
都市国家で禁制品とされている花だった。
燃やして煙を吸えば、強い幸福感に包まれ、痛みも和らぐという。
命懸けの探索から戻った冒険者たちの間で密かに広まり、今では裏の市場で高値がついていた。
王国から流れてきたという噂もあったが、確証はない。
少なくとも、カイの船の取引記録に、その花の名前が載ったことは1度もなかった。
「荷役の者を通じて、船倉へ運びます」
「余計な者に見せるなよ」
「承知しております」
部下が袋を懐へしまう。
商人は机の上に置かれた書類を引き寄せた。
そこには、王国の交易船に関する匿名の密告が記されていた。
港の警備を担当する者には、すでに話を通してある。
「検査は、荷が下りきる前だ」
「はい」
「船長には、逃げる隙を与えるな」
◇
昼を過ぎた頃、港の見張り台から声が上がった。
「王国の船だ!」
沖合に帆が見える。
港にいた商人や人夫たちが、一斉に海へ目を向けた。
見慣れた船だった。
何年もこの港と王国を往復し、食料品や茶葉を運んできた交易船。
その甲板の上に、船長のカイが立っていた。
つばの広い帽子をかぶり、胸元を開いた服に剣を下げている。腰にはいつもの酒瓶もあった。
見た目だけなら、交易船の船長というより海賊に近い。
だが、入港の手続きも荷の引き渡しも、彼はいつも正確だった。
「おう、久しぶりだな!」
船が岸壁へ寄ると、カイは人夫たちに手を上げた。
「今回は茶葉が多いぞ。箱を海水で濡らすんじゃねえぞ!」
「分かってますよ、船長!」
人夫たちが笑って応じる。
係留を終えると、人夫たちが船へ乗り込み、積荷を岸壁へ運び始めた。
王国産の小麦。
茶葉。
乾燥させた果物。
その他、都市国家の商人たちから注文を受けていた品々。
引き換えに積み込む予定の金属類も、すでに港の倉庫へ集められていた。
「今回も、いつもどおりだな」
カイは取引記録を確認し、船員へ渡した。
そのとき、港の入口から数人の兵士を連れた検査官が歩いてきた。
「船長、カイだな」
「ああ。何かあったか?」
「少し、話を聞かせていただきたい」
「おう。何だ?」
検査官は荷を運ぶ人夫たちに目を向けた。
「最近、都市国家である花が出回っていることをご存じか?」
「ある花?」
「燃やして煙を吸うものだ。痛みが和らぐといって、冒険者たちの間で広まっている」
「いいじゃねえか。痛みが取れるんなら、便利なもんだろ」
「それが、そうもいかないのです。使いすぎると幻覚に苦しみ、家から出られなくなる者もいる。今では都市国家で禁制品として扱われています」
検査官は声を落とした。
「問題は、その出どころがいまだに分かっていないことです」
「……それで?」
「王国から運ばれてきたのではないか、という話が出ているのです」
「うちの船が運んでるってのか?」
「いえ。確かな証拠があるわけではありません」
検査官は言葉を選ぶように続けた。
「我々も出どころを突き止めたいと思っています。根拠のない噂で王国との関係が悪くなることは、望んでおりません」
「それで、俺に何をしてほしいんだ?」
「船内を確認させていただけないでしょうか。何も出なければ、少なくとも今回の積荷に問題がないことは示せます。王国への疑いを晴らすためにも、ご協力いただきたいのです」
カイはしばらく検査官を見ていた。
それから、取引記録を差し出した。
「積荷は全部ここに書いてある。出港するときにも確認済みだ」
「拝見します」
「調べたいなら好きにしてくれ。こっちも妙な噂を立てられるのは困るからな」
「ご協力、感謝します」
検査官は記録を受け取った。
「では、船倉を確認させていただきます」
「おう。ただし、荷は丁寧に扱ってくれよ」
カイは船員に声をかけ、検査官たちを船倉へ案内した。
◇
検査が始まると、荷下ろしはいったん中断された。
木箱が開かれ、袋の口がほどかれ、積荷が1つずつ調べられていく。
カイは船倉の入口で、その様子を見ていた。
やがて、奥の方にいた兵士が声を上げた。
「検査官! こちらを!」
兵士の手には、小さな油紙の包みがあった。
船倉の底に積まれた縄や帆布の間から出てきたという。
検査官は包みを受け取り、中身を確かめた。
その表情が険しくなる。
「船長。これは何だ」
「……知らねえな」
「この船から見つかったものだ」
「見りゃ分かる。だが、俺が積んだ覚えはねえ」
カイは兵士の手元を見た。
「何だ、その花は」
「先ほどお話しした禁制品の疑いがあります」
「……おいおい。冗談だろ?」
検査官は包みを兵士へ渡した。
「確認を」
兵士が足早に船倉を出ていく。
カイは取引記録を指さした。
「そこに載ってるものが今回の荷だ。出港前に俺が確認してる。そんな包みはなかったぞ」
「それについても調べる」
「だったら、今日この船に入った人間にも聞いてくれ」
検査官がカイを見た。
「どういう意味だ?」
「着岸してから、そっちの人夫も船倉に入ってる。俺たち以外が荷に触る機会はあったってことだ」
「……分かった。確認しよう」
しばらくして、兵士が戻ってきた。
「禁止された花に間違いありません」
その言葉が、船倉の入口にいた人夫たちにも聞こえた。
「えっ、あの花か?」
「王国の船から出たのか?」
「本当に王国から来ていたんだ……」
ざわめきが岸壁へ広がっていく。
カイは検査官に向き直った。
「待ってくれ。俺は潔白を証明するって話だから調べさせたんだぞ」
「協力には感謝している」
「だったら、誰がいつ置いたものなのか、そこまで調べてくれ。見つかっただけで俺たちが運んだことになるわけじゃねえだろ」
「当然、関係者には話を聞く」
検査官は包みを持つ兵士に目を向けた。
「ただし、禁制品がこの船から見つかった以上、船長にも事情を聞かなければならない」
「ここで話せばいいだろ」
「正式な聴取が必要だ。同行してもらう」
カイは、検査官の後ろに立つ兵士たちを見た。
「……俺を捕まえるってのか?」
「嫌疑が晴れるまで、身柄を預かる」
船員たちが甲板で動きを止めた。
岸壁でも、人夫たちが遠巻きにこちらを見ている。
「王国との正式な交易船だぞ」
「承知している」
「俺がここで暴れりゃ、ただの船長同士の喧嘩じゃ済まねえ。それも分かってるんだろうな」
「抵抗するつもりか?」
カイは少しの間、黙っていた。
そして腰の剣を外し、甲板へ置いた。
「しねえよ。俺は暴力が嫌いなんだ」
兵士の1人が近づく。
カイは両手を差し出した。
「ただし、船員には手を出すな。荷も勝手に持っていくなよ。全部、記録がある」
「船は検査が終わるまで留め置く。乗組員にも事情を聞く」
「それは構わねえ。王国への連絡だけはさせてくれ」
検査官は答えなかった。
「……連絡もできねえってか」
カイは小さく息を吐いた。
その手首に拘束具がかけられる。
港に集まった人々が、道を開けた。
何年もこの街へ品を運んできた船長は、兵士たちに挟まれ、岸壁を歩いていった。
◇
その様子を、商人は倉庫の窓から見ていた。
「拘束したようです」
背後で部下が言った。
「ああ。見えている」
「このあとは、どうされますか?」
商人は机の上の取引記録に目を落とした。
王国から運ばれる品は、どれも高値で売れる。
今後も取引を続けたい商人は、都市国家にいくらでもいた。
カイの船が来なくなれば、困る者も多い。
だからこそ、王国にもこちらの要求を無視することはできないはずだった。
「まずは調査の結果を待つ」
「執政官には?」
「報告は上がるだろう。だが、禁制品が見つかったのは事実だ」
商人は書類をそろえた。
「それに、今の執政官に我々の決定を覆せるとは思えん」
都市国家の執政官は、商業、ダンジョン、軍事の3人の代表によって選ばれる。
商人はその1人である商業代表の座を手にし、さらに軍事代表とも深い関係を築いていた。
王国との交易によって得た財産と人脈は、港だけでなく、都市国家の政治にも影響を及ぼすほどになっている。
執政官といえど、彼の意向を簡単には退けられなかった。
「我々は、公正な調査を求めればいい」
「王国が抗議してきたら?」
「そのときに、話し合いの席を用意すればいい」
商人は窓の外を見た。
カイの船は、まだ岸壁につながれたままだった。
「10年も待ったんだ。そろそろ、こちらの条件も聞いてもらわんとな」
部下は一礼し、倉庫を出ていった。
商人は再び椅子に腰掛けた。
机の端には、都市国家の軍事代表から届いた短い書簡が置かれていた。
港の保安に関する案件として、必要な兵を動かす。
そこには、そう記されていた。
◇
石造りの部屋で、カイは椅子に座っていた。
剣も酒瓶も取り上げられ、両手には拘束具がついている。
机を挟んだ向こうで、役人が記録を取っていた。
「禁制品について、改めて確認する。あの花を船に積んだ覚えはないのだな?」
「何度聞かれても同じだ。ねえよ」
「王国で、その花を見たことは?」
「今回の積荷にはねえ」
「質問に答えろ」
カイは役人を見た。
「俺が責任を持って運んでる荷に、あんなものはない。積荷を調べりゃ分かるだろ」
役人は筆を止めた。
「船倉から現物が見つかっている」
「だから、誰が入れたのか調べてくれって言ってるんだ」
カイは身を乗り出した。
「着岸してから船倉に入った人間もいる。荷役の記録もあるはずだ。そこは確認したのか?」
「調査中だ」
「だったら、俺の話もちゃんと書いといてくれ」
役人はしばらくカイを見てから、記録へ筆を走らせた。
やがて扉が開き、兵士が入ってきた。
「本日の聴取はここまでだ」
「船へは戻れるのか?」
「まだだ」
「王国に連絡は?」
「上の判断を待て」
カイは息を吐き、椅子の背にもたれた。
兵士が彼を立たせ、奥の部屋へ連れていく。
重い扉が閉じられた。
港では、王国の交易船が出航を禁じられていた。
いつもなら次の航海へ向けて積み込まれるはずの荷も、倉庫に残されたままだった。
王国と都市国家を結んできた船は、その日、港から動くことがなかった。
◇
翌朝、都市国家の街角に新聞売りの声が響いた。
「号外! 号外! 王国の交易船から違法薬物が見つかったぞ!」
刷り上がったばかりの新聞が、次々と人々の手に渡っていく。
商店の店先にも、酒場のテーブルにも、冒険者たちが集まるギルドにも、同じ見出しが並んでいた。
『違法薬物、王国交易船の船底から発見!』
『船長カイを拘束、現在も取り調べ中』
記事には、港で行われた検査の経緯と、禁制の花が発見されたことが記されていた。
薬物の出どころは、いまだ調査中。
だが、新聞は都市国家の隅々まで配られ、事件の噂は人々の間に広がっていった。




