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それぞれの勘定

 それから数か月後。


 都市国家の港は、以前にも増して活気に満ちていた。


 岸壁には荷車が並び、倉庫からは忙しなく人が出入りしている。積み上げられた麻袋の間を荷役人たちが行き交い、海風に混じって穀物の香りが漂っていた。


「いやあ、王国との貿易は儲かりますな」


 港を見下ろす商館の2階で、恰幅のよい商人が帳面を閉じた。


 向かいに座る男も、満足そうに頷く。


「まったくです。あちらは相場というものを知らんのでしょうな」


「長らく国を閉ざしていたそうですからな。自分たちの作物が、ほかの国でどれほどの値をつけるかも知らんのでしょう」


 商人は窓の外へ目を向けた。


 倉庫には、王国から運ばれてきた麦が山のように積まれている。


「あの麦は素晴らしい。粒が揃い、香りもよい。あれほど上質な麦は、どの国を探してもそうはありませんぞ」


「しかも、あの仕入れ値ですからな」


 2人は顔を見合わせ、笑った。


 王国の麦は、都市国家で高値がついた。


 そのまま売っても十分な利益になるが、製粉してパンにすれば、さらに値が上がる。他国へ運べば、いっそう大きな利益が見込めた。


 それだけではない。


 あの麦から作ったパンを食べた冒険者は、不思議と力が湧くという。


 初めは酔狂な冒険者の噂話だと思われていたが、同じことを口にする者が相次いだ。今ではダンジョンへ向かう前に、わざわざ王国産のパンを買い込む者までいる。


「味がよく、そのうえ冒険者にも人気とくれば、いくらあっても足りませんな」


「聖女様から王国との取引を勧められたときは、正直、半信半疑でしたが……」


「いやはや、大当たりでしたな」


 商人の口元に、不敵な笑みが浮かんだ。


「まさに、鴨が葱を背負って来るとはこのことですな」


 しかも、王国はこちらの商品を欲しがっている。


 今まで倉庫に眠っていた品まで、喜んで引き取ってくれるのだ。


 こちらは売れ残りを片づけ、あちらからは上質な麦が届く。


 これほど都合のよい取引も、そうあるものではなかった。


「しかし、これだけ儲かるとなれば、ほかの国も黙ってはいないでしょうな」


「それが、そう簡単にはいかんのですよ」


 商人は、窓の向こうに広がる海へ目を向けた。


 陽光を受けた海面はきらきらと輝き、沖合まで穏やかな波が続いている。


 何も知らない者が見れば、絶好の航海日和だと思うだろう。


 だが、王国へ向かう海域には、巨大な魔物が棲んでいるという噂があった。


 ひとたび遭遇すれば、船も人も積み荷さえも残さず呑み込まれる。


 そんな話が、すでに各国の商人たちの間に広まっていた。


 王国との取引に興味を示す者は多い。だが、実際に船を出そうという者はほとんどいなかった。


「腕利きの護衛を何人雇おうと、命には代えられませんからな」


「船を失えば、積み荷も乗組員もすべて失う。いくら儲けが大きくとも、割に合わんというわけですか」


「ええ。もっとも、そう考えない命知らずもおりましたがね」


 これまでにも、王国を目指して船を出した者はいた。


 自慢の船を用意し、屈強な護衛を乗せ、十分な備えをして出港した者もいた。


 都市国家のダンジョンで名を上げた冒険者が同行したこともある。


 だが、帰ってきた者は1人もいない。


 船が戻らない以上、何が起きたのか確かめようもなかった。


「それなのに、カイ殿だけは違う」


 商人は感心したように笑った。


「あの男は毎回、船はもちろん、積み荷1つ損なわずにやって来るのですからな」


「まったく、どうやっているのでしょう」


「さあ。聞いても、海が穏やかだったとしか言いませんからな」


 2人は顔を見合わせた。


 あの海域を何度も越えてくるのだから、相当な腕の持ち主なのだろう。


 少なくとも、自分たちが試すつもりはなかった。


「我々は安全な港で、あの男の帰りを待っていればよいのです」


 商人は机の上の帳面を指先で叩いた。


「危険な海を越えて、上質な麦を運んできてくれる。まったく、ありがたいことですな」


 そのとき、窓際に立っていた男が声を上げた。


「おお、噂をすれば!」


 沖合に、1隻の大きな船が姿を現していた。


 高い帆を張り、ゆっくりと港へ近づいてくる。


「カイ殿の船ですな」


 商人は立ち上がった。


「さて、今日も忙しくなりますぞ」


     ◇


 大型の貿易船が岸壁に着くと、港の人々が一斉に動き出した。


 太い綱が投げ渡され、船が固定される。甲板では船員たちが積み荷の確認を始めていた。


「おい、そっちの荷車をどけろ!」


「麦の袋はあっちだ! 茶葉の箱には触るなよ!」


 荷役人たちの声が飛び交う。


 やがて、船から1人の男が降りてきた。


 使い込まれた海賊帽に、胸元の開いたシャツ。厚手の上着を羽織り、腰には剣と酒瓶を下げている。


 日に焼けた顔つきは険しく、初めて見る者なら、商人よりも海賊の頭目だと思うだろう。


 カイ。


「カイ殿! 今回もご無事で何よりですな!」


 商人が笑顔で歩み寄った。


「ああ。海も穏やかだった」


 カイは短く答え、船員へ荷下ろしの指示を出した。


 愛想のよい男ではない。


 だが、商人は彼を気に入っていた。


 見た目は恐ろしいが、約束を破らず、取引の数字もごまかさない。こちらが誠実に接すれば、それにきちんと応えてくれる。


 商売の相手としては、実に付き合いやすい男だった。


「いやはや、今回も見事な麦ですな。見ただけで質のよさが分かります」


「それはよかった」


「ところで、今回お願いしていたものは……」


「ああ。これか」


 カイは腰の袋から、小さな布袋を取り出した。


「今回は1ダースしか持ってこられなかった。まずは、これを確かめてくれ」


 商人が受け取り、そっと口を開く。


 途端に、ふわりと甘く爽やかな香りが広がった。


「おお……!」


 商人は思わず顔を近づけた。


「なんとよい香りでしょう!」


「気に入ったか?」


「もちろんですとも! こんな香りの茶葉は、こちらの大陸ではお目にかかれません」


 商人は指先で茶葉をつまみ、何度も香りを確かめた。


「これは貴族連中が欲しがりますぞ。1ダースしかないのが惜しいくらいです」


「次も用意できるとは限らん。売り方は任せる」


「ええ、大切に扱わせていただきます」


 商人は布袋の口を丁寧に結び直した。


 茶葉の方も、相当な値がつくだろう。


 誰に売るべきか。


 競りにかけるか、それとも馴染みの貴族へ直接持ち込むか。


 香りを楽しみながらも、頭の中では早くも計算が始まっていた。


「それで、積み荷の精算は?」


 カイが尋ねた。


「ああ、もちろんですとも。すぐに書類を――」


「急いでくれ。次の荷を積まなければならん」


 カイは腰の酒瓶を手に取り、ひと口飲んだ。


「この船を待っている連中もいるからな」


 王国からは麦や珍しい品を運び、都市国家では代金と次の積み荷を受け取る。それが終われば、また王国へ戻る。


 取引を望む商人は増えているが、船を長く待たせる余裕はない。


「分かりました。荷の確認を急がせましょう」


 商人は近くの部下を呼び止めた。


「おい、取引の書類を持ってこい! 麦の荷下ろしが済んだら、すぐに代金を運ばせるんだ」


「はい!」


「例の鉄も忘れるなよ」


 部下は頷き、倉庫へ走っていった。


     ◇


 王国が取引の対価として欲しがるものは、少し変わっていた。


 金。


 それから、都市国家では加工できない屑鉄だった。


 都市国家の倉庫には、長年売れずに残っている金属の塊がある。


 都市国家にあるダンジョンから、冒険者たちが持ち帰ったものだ。


 見た目は黒ずんだ鉄にしか見えない。


 だが、炉に入れても溶けず、鍛冶師がどれほど槌を振るっても曲がらなかった。


 火を強くしても駄目だった。


 高名な鍛冶師を呼んでも、傷1つつけられない。


 魔法による加工も試されたが、結果は変わらなかった。


 結局、使い道のない屑鉄として倉庫の隅に積まれていたのだ。


 それを王国が欲しがっている。


 商人たちにとっては、願ってもない話だった。


「しかし、あれを何に使うつもりなんでしょうな」


 倉庫から鉄塊を運び出しながら、部下が首をかしげた。


「さあな。向こうには腕のよい鍛冶師でもいるんだろう」


「ですが、こちらの職人が何年もかけて、何も作れなかったものですよ?」


「欲しいと言うなら渡せばいい。こちらには、場所を取るだけの荷物だ」


 商人は笑った。


「それであの麦が手に入るのなら、安いものさ」


 鉄塊は木箱に詰められ、次々と船へ運び込まれていった。


 金貨の入った箱も、その後に続く。


 カイは船上で受け取った荷を確かめ、受け取り伝票に目を通した。


「……この箱、数が1つ多いぞ」


「おや?」


「書類では20箱になっているが、積まれたのは21箱だ」


 商人が部下に確認させると、確かに1箱多かった。


「いやはや、申し訳ありません。すぐに下ろさせます」


「ああ。数はきっちり合わせてくれ」


 カイは余分な箱が運び下ろされるのを見届け、伝票を閉じた。


 商人はますます満足そうに頷く。


 この男は、こういうところが信用できる。


 黙って受け取れば得をする場面でも、当然のように申告するのだ。


「カイ殿。今後とも、よい取引ができるといいですな」


「ああ。こちらこそ」


 2人は握手を交わした。


 商人の頭の中では、すでに次の麦の売り先と茶葉の値段が決まりかけていた。


 今回も十分な利益が出る。


 聖女様の勧めに従って、本当によかった。


 一方、カイは積み込まれた木箱へ目を向けた。


「出港の準備を」


 船員たちが動き出す。


 まもなく、大きな船は再び港を離れた。


 岸壁では、商人がいつまでも笑顔で手を振っていた。


 倉庫に残っていた使い道のない鉄は、また少し減った。


 その鉄を王国が何に使うのか、商人は知らない。


 知る必要もないと思っていた。


 彼にとって大切なのは、帳簿に並ぶ数字だけだった。


     ◇


 第0層の一角。


 そこには、広大な研究所があった。


 壁際には見慣れない器具が並び、作業台には金属片や鉱石が積まれている。棚には正体の分からない液体の入った瓶が並び、奥の机には書きかけの研究資料が山を成していた。


 その中央で、白衣を着た老人が1人、作業を続けていた。


 グリーンである。


 鼻の上には、渦巻き模様の分厚い眼鏡。


 その奥の目を細めながら、彼は作業台に置かれた黒い金属塊を見つめていた。


「さて、次ですな」


 グリーンは両手をかざした。


 指先から、細い糸のような魔力が流れ出す。


 黒い金属の表面に、淡い光の筋が浮かび上がった。


 この金属は、強い魔力を1度に注ごうとすると、すべて弾き返してしまう。


 どれほど強力な魔法をぶつけても、金属はびくともしない。


 だが、弱い魔力をゆっくりと、途切れさせずに注ぎ続けると、わずかずつ内部へ染み込んでいく。


 その力加減は、少しでも間違えれば最初からやり直しになるほど繊細だった。


「……そうそう。そのまま、ゆっくりと……」


 グリーンは眼鏡の奥で目を細める。


 魔力を強めすぎず、弱めすぎず。


 金属の反応に合わせ、注ぎ込む量を細かく調整していく。


 やがて黒い塊が、低く唸るような音を立てた。


 表面に浮かんだ光が内部へ広がり、硬い金属がゆっくりと形を失っていく。


 それまでどれほど熱しても、叩いても変形しなかった塊が、少しずつ柔らかくなっていった。


 十分に魔力が行き渡ったところで、グリーンは金属を型へと流し込む。


 しばらくして型を外すと、そこには整った形のインゴットが残っていた。


「……ふう」


 グリーンは額を拭い、椅子の背にもたれた。


 横の台には、同じ形のインゴットが何本も並んでいる。


「だいぶ溜まりましたなあ」


 満足そうに眺めたあと、グリーンは深いため息をついた。


 この加工に必要なのは、単に強大な魔力ではない。


 弱い魔力を、金属が受け入れるぎりぎりの強さに保ち続けること。


 しかも、1本のインゴットを作るまで、その制御を1度も乱してはならない。


 1度に流す魔力はごくわずかでも、長時間かけて注ぎ込む総量は膨大になる。


 そして、その繊細な作業をこなせる者は、今のところグリーンしかいなかった。


「しかし……」


 彼は目の前に残る鉄塊の山を見た。


「これをまた最初からですか。どうにも、もう堪えますな」


 1つ仕上げるたびに、途方もない時間と魔力を費やす。


 作業が終わる頃には次の船が到着し、新たな鉄塊が運ばれてくる。


 そしてまた、同じことの繰り返しだ。


「研究がしたい……」


 グリーンは机の上に積まれた資料へ手を伸ばした。


「新しい魔法に、未知の鉱物。調べたいものは山ほどあるというのに……もっと、もっと別のことを知りたいのですぞ!」


 だが、資料に触れた手は止まった。


 今はシキ様から、この金属の加工を命じられている。


 命令を後回しにするわけにはいかない。


「分かっております。分かってはおりますとも……」


 グリーンは未練がましく資料を見つめた。


 特に腹立たしいのは、イチョウのことだった。


 あちらは現在、この金属を加工できるゴーレムを開発しているらしい。


 それだけではない。


 加工した金属を使い、新たなゴーレムを造る研究まで進めているという。


 どちらもシキ様の命令だ。


「ずるいですなあ……」


 思わず本音が漏れた。


「わしだって、そちらの研究をしたいのですぞ。未知の金属でゴーレムなど、どれほど面白いことか!」


 グリーンは椅子の上で身を乗り出した。


 硬度はどうなる。


 魔力の伝導率は。


 その金属で関節を造った場合、従来のゴーレムと比べてどれほどの性能差が生まれるのか。


 考え始めると、次々に試したいことが浮かんでくる。


「……いや、いっそ今から見に行って――」


 そこで、視界の端に緑色のものが映った。


 作業台の隣。


 小さな鉢植えが置かれていた。


 葉の多い、ごく普通の植物に見える。


 だが、グリーンは知っていた。


 あれは、森の目だ。


 グリーンの部下である森は、植物を通じて周囲の様子を知ることができる。


 つまり、自分が作業をさぼれば、すぐに伝わってしまう。


「……まったく」


 グリーンは鉢植えを睨んだ。


「部下の分際で、上司を売ることに何のためらいもないとは。少しは遠慮というものを覚えてほしいですな」


 葉が、さわりと揺れた。


「聞こえておりますな?」


 返事はない。


 それが、かえって腹立たしかった。


「そもそも、わしが研究をしたがって何が悪いのです。成果はすべてシキ様のためになるというのに!」


 今度は、枝先がゆっくりと作業台の方を向いた。


 まだ加工していない鉄塊の山。


 まるで、仕事を続けろと言わんばかりだった。


「……はいはい。分かりましたぞ」


 グリーンは渋々立ち上がった。


 イチョウがゴーレムを完成させるまでは、自分がこの作業を続けるしかない。


「早く完成させてくだされよ、イチョウ。わしの研究時間が、あなたの腕にかかっておりますからな……」


 次の鉄塊へ両手をかざす。


 細く、弱い魔力が流れ込んだ。


 黒い塊の表面に淡い光の筋が走り、ゆっくりと内部へ染み込んでいく。


 グリーンはその反応を慎重に見守りながら、ぼそりと呟いた。


「……ああ、研究がしたい」


 隣の鉢植えが、また小さく揺れた。

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