居場所
小さな光が、ふっと消えた。
「……もう一回」
ユウカは両手を重ね、再び魔力を集めた。
指先に淡い光が灯る。消えないように、そっと息を止めたが、やはり長くは続かなかった。
「うーん……」
何度目だろう。
光を灯しては消し、また両手を重ねる。
青年は白い椅子に座ったまま、そんなユウカをずっと見守っていた。
「あと一回だけ!」
ユウカは小さく気合いを入れた。
再び光が灯る。
今度は、ほんの少しだけ長く輝いた。
「あっ、できた!」
嬉しくなって青年の方を向くと、彼は静かにうなずいていた。
ユウカも笑い返そうとしたが、いつの間にか、まばたきが長くなっていた。
身体はまだ元気なのに、一度目を閉じると、次に開くまでが少し長い。
「……もう、いっかい……」
ユウカは両手を重ねた。
けれど、光が灯るより先に、また目を閉じてしまった。
◇
「……ん?」
目を開けると、豪華な天井が見えた。
王国から与えられた、あの客室だった。
ユウカは布団の中にいた。
「……あれ?」
慌てて起き上がる。
周りでは、四人の見習いたちが眠っていた。窓の向こうは、少しずつ明るくなっている。
確か、鏡の中に入って、草原へ行った。
大きな木があって、お兄さんがいて、お菓子を食べて。それから魔法の練習をして……。
「……どうやって帰ったんだろう?」
帰ってきた覚えがなかった。
気がついたら、布団の中にいたのだ。
もしかして、全部夢だったのだろうか。
あんなにおいしかったお菓子も、大きな木も、お兄さんも。
「……夢だったのかな」
そう思うと、少し残念だった。
けれど、お菓子の甘い味も、草原を吹き抜ける風も、まだはっきり覚えていた。
ユウカは布団の上で両手を重ねた。
昨夜より、少しだけ長く光を出せた気がする。
もう一度、あの場所に行けたらいいのに。
◇
その日の夜。
ほかの見習いたちが眠ったのを確かめてから、ユウカはそっと布団を抜け出した。
向かったのは、昨夜の鏡があった場所だった。
廊下をいくつか曲がると、見覚えのある大きな鏡が現れた。
「あった……!」
ユウカは駆け寄り、そっと手を伸ばした。
指先が鏡に触れる。
そのまま、向こう側へ沈んでいった。
「……やっぱり!」
夢じゃなかった。
ユウカは嬉しくなって、鏡の中へ足を踏み入れた。
次の瞬間、目の前には草原が広がっていた。
青い空。
柔らかな風。
遠くに見える大きな木。
そして、その下にある白い椅子。
「お兄さん!」
青年がこちらを向いた。
ユウカは走り寄り、嬉しそうに笑った。
「また来ちゃった!」
青年は少し驚いた顔をしたあと、静かにうなずいた。
「昨日ね、気がついたらお布団の中にいたの。どうやって帰ったのか、ぜんぜん覚えてなくて」
青年はユウカを見つめている。
「夢だったのかなって思ったんだけど、また来られた!」
ユウカが笑うと、青年も少しだけ表情を和らげた。
そして、昨日と同じように手を叩いた。
ぱん、ぱん。
ほどなくして、テーブルにはお茶とお菓子が用意された。
「わあ! 今日は違うお菓子だ!」
ユウカは嬉しそうに椅子へ座った。
◇
それから、ユウカは夜になると大樹の下を訪れるようになった。
昼間は聖女のための仕事を手伝い、修行を受ける。
夜になり、ほかの見習いたちが眠ると、そっと布団を抜け出した。
鏡の向こうには、いつもあの草原があった。
大きな木の下には、青年が座っていた。
お菓子を食べ、お茶を飲む。
それから少し離れたところで、魔法の練習をする。
青年は一言も話さなかったが、ユウカが振り返ると、いつもこちらを見ていた。
小さな光が灯れば、一緒にその光を見つめてくれる。
消えてしまっても、嫌な顔一つしない。
「もう一回やってみるね!」
そう言えば、青年は静かにうなずいた。
魔法が急に上手になったわけではない。
相変わらず光は弱く、すぐに消えてしまう。
それでも、あの場所での練習は嫌ではなかった。
最初は、お菓子がおいしいから通っていたのかもしれない。
けれど、今はそれだけではなかった。
草原を吹き抜ける風は心地よく、大きな木の下にいるだけで、胸の奥が軽くなった。
何より、お兄さんに会うと嬉しくなった。
昼間の修行で失敗しても、お兄さんの顔を見ると、また頑張ろうと思えた。
今日は何を話そう。
昨日より少し長く光を出せたことを、見てもらおう。
そんなことを考えていると、自然と足取りも軽くなった。
いつの間にか、ユウカは夜になるのを楽しみにするようになっていた。
◇
五日目。
「ユウカさん。今日はもう大丈夫ですよ」
「……え?」
朝の仕事を終えたユウカは、思わず聞き返した。
「あの、ほかに何かありませんか?」
「今のところはありません。何かあれば呼びますから、休んでいてください」
「……はい」
この数日で、館の中の仕事はずいぶん手際よく進むようになっていた。
誰が何を運び、どこに片付ければいいのか。皆、すっかり覚えてしまったらしい。
もともと仕事の少なかったユウカには、とうとう任されることがなくなっていた。
聖女様は毎日のように王国のあちこちへ出かけている。館に戻れば、今度は訪ねてくる客人たちの相手をしていた。
神官たちも、ほかの見習いたちも、それぞれ忙しそうだった。
ユウカは修行場へ向かった。
仕事がないなら、魔法の練習をしよう。
そう思ったのだ。
修行場には、今日もたくさんの光が浮かんでいた。
奥では神官たちが治癒術に取り組み、手前では見習いたちがそれぞれの課題を進めている。
ユウカもいつもの場所へ向かおうとした。
「ユウカさん」
指導役に呼び止められた。
「はい!」
「少し、お話ししましょうか」
ユウカは足を止めた。
指導役は、いつもと変わらない穏やかな顔をしていた。
「これまで、毎日よく頑張っていましたね」
「……はい」
「ただ、なかなか成果が出ていません。今は無理に続けるより、一度休んだ方がいいかもしれません」
「お休み、ですか?」
「ええ。しばらく修行はお休みにしましょう。こちらから声をかけるまでは、ゆっくり過ごしてください」
ユウカは思わず、自分の手を見た。
「あの……わたし、まだできます」
「頑張っていることは分かっていますよ。だからこそ、少し休みましょう」
「でも、わたし……」
「焦らなくても大丈夫です。今日は戻ってくださいね」
優しい声だった。
怒られたわけではない。
それでも、ユウカにはそれ以上何も言えなかった。
「……はい」
小さく頭を下げ、修行場を後にした。
背後では、見習いたちの声が聞こえていた。
「もう一度、やってみましょう」
「はい!」
いくつもの光が、明るく輝く。
今日も、みんなの修行は続いていた。
お休みになったのは、ユウカだけだった。
◇
廊下に出ると、何をすればいいのか分からなくなった。
朝の仕事は、もうない。
修行も、お休みになった。
ほかの人たちは、みんな自分の役目を持っている。
ユウカは廊下の端に立ち、行き交う人々を眺めた。
今から、どこへ行けばいいんだろう。
お昼は、何をしていればいいのかな。
夜になったら……。
考えようとしても、何も浮かばなかった。
わたしは、何のためにここへ来たんだろう。
治癒魔法を覚えて、怪我をした人や病気の人を助けたかった。
聖女様みたいに、優しい人になりたかった。
だから、聖女見習いになれて嬉しかった。
でも、仕事もなくなって、修行もできなくなった。
ユウカは自分の手を見つめた。
小さな光しか出せない手。
何度練習しても、うまくできなかった。
このまま、ずっとできなかったら。
聖女見習いも、やめさせられるのかな。
そうなったら、どこへ行けばいいんだろう。
父親も母親も知らない。
帰る家だって、ない。
拾われた先では、ほかの子供たちと食事を分け合っていた。
お腹がすいても、もっと欲しいとは言えなかった。自分の分があるだけで、ありがたかったから。
魔法の力があると分かったときは、嬉しかった。
自分にも、できることがある。
誰かの役に立てる。
そう思ったのに。
もし、魔法が使えなかったら。
わたしは、ここにいてもいいのかな。
今は毎日お腹いっぱい食べられる。
温かい布団で眠ることもできる。
でも、聖女見習いでいられなくなったら。
また、捨てられるのかな。
ユウカは首を横に振った。
そんなこと、まだ誰にも言われていない。
少し休みましょうと言われただけだ。
なのに、頭の中では同じ考えがぐるぐると回っていた。
修行場の方から、見習いたちの声が聞こえてくる。
楽しそうな声。
魔法の光が、廊下までこぼれていた。
その中に、ふと別の声が混じった気がした。
「あの子、来なければよかったのに」
「……っ」
ユウカは振り返った。
誰が言ったのか、分からなかった。
本当に聞こえたのかも、分からない。
ただ、自分の胸の奥にあった言葉を、誰かに言われたような気がした。
そこに立っているのが、急に怖くなった。
ユウカは走り出した。
◇
どこへ行こう。
行く場所なんて、ない。
そう思ったとき、大きな木が頭に浮かんだ。
あの草原。
白い椅子。
そこに座っている、お兄さん。
「……あの場所なら」
ユウカは顔を上げた。
お兄さんに会いたい。
あそこへ行きたい。
気がつけば、鏡のある廊下へ向かって走っていた。
◇
「あった……!」
鏡は、いつもの場所にあった。
立派な額縁も、そこに映る自分の姿も、昨夜と変わらない。
ユウカは迷わず手を伸ばした。
こつん。
「……え?」
指先が、冷たいガラスに当たった。
もう一度、触れてみる。
こつん。
手は入らなかった。
「……あれ?」
今度は手のひらを当ててみた。
鏡は、ただの鏡だった。
向こう側へ沈んでいく感触もない。
ユウカは困った顔で、自分の手を見つめた。
「夜じゃないと、だめなのかな……」
そういえば、いつもここへ来るのは夜だった。
みんなが眠ってから鏡に触れて、あの場所へ行く。
昼間に来たことは、一度もなかった。
「……そっか」
夜まで待とう。
そう思って、ユウカは鏡から手を離した。
一度は振り返り、廊下を歩き始めた。
けれど、すぐに足が止まった。
まだ、朝だった。
夜までは、ずっと長い。
部屋へ戻っても、誰もいない。
ほかの見習いたちは、今も修行を続けている。
今日、何をしていたのか聞かれたら、何と答えればいいんだろう。
ユウカは振り返った。
鏡は、変わらずそこにあった。
「……もう一回だけ」
戻って、そっと手を当てる。
やはり、通れなかった。
待てばいい。
夜になれば、また会える。
分かっているのに、どうしても待てなかった。
早く、あの場所へ行きたかった。
あの草原で、風に吹かれたかった。
お兄さんに、会いたかった。
「……お願い」
ユウカは鏡に両手を当てた。
「行かせて……」
指先に力を込める。
けれど、鏡はびくともしなかった。
「お願い。もう一回、あそこに行きたいの」
目を閉じる。
大きな木を思い浮かべた。
白い椅子。
お菓子の並んだテーブル。
そして、こちらを見て静かにうなずく、お兄さん。
「お願い……!」
何度も、何度も願った。
今、あの場所へ行きたい。
お兄さんに会いたい。
ユウカは、ぎゅっと目を閉じた。
そのとき。
手のひらに触れていた硬い感触が、ふっと消えた。
「……あっ」
身体が前へ傾く。
慌てて目を開けた。
そこには、もう鏡も廊下もなかった。
頬を撫でる、柔らかな風。
足元には、一面の草原。
遠くには、大きな木が見えている。
「……来られた」
ユウカは自分の手を見つめた。
それから、ぱっと顔を上げた。
大樹の下に、白い椅子が見えた。
「お兄さん!」
ユウカは笑顔になった。
そして、草原の中を駆け出した。




