気づかぬ者、気づく者
第四層。
白は、届いた報告書へ静かに目を通していた。
国王――死亡。
第一王子――確保。
勇者――排除。
「…………」
最後の一行まで確認すると、白は報告書を閉じた。
これで、王国の頂点は押さえた。
国王は死んだ。
本物の第一王子は、すでにこちらの手の中にいる。
その代わりとなる人形も、問題なく王子の席へ収まった。
そして、新たに現れた勇者も。
力に目覚める前に排除された。
予定していた大きな障害は、ほぼ取り除かれたことになる。
「……思っていたより、弱かったですね」
白は小さく呟いた。
もちろん。
王国の兵が弱いという意味ではない。
騎士もいる。
多くの貴族がいて、それぞれが兵を抱えている。
広い土地と、大勢の人間を持つ国だ。
真正面から戦争をすれば。
こちらにも相応の被害が出ただろう。
だが。
その必要はなかった。
国王。
第一王子。
国を動かす中心。
そこを押さえてしまえば。
残された者たちは、これまでと同じように上からの命令へ従う。
王が死んだことにも。
王子が入れ替わったことにも気づかずに。
「上を押さえてしまえば、それで終わりですか」
少し、拍子抜けするほどだった。
人間の国というものは。
白が思っていた以上に、上から下へ綺麗につながっているらしい。
なら。
その仕組みを壊す必要などない。
むしろ。
そのまま利用した方がいい。
王国そのものを、今すぐ変える必要もなかった。
王国の旗も。
国の名前も。
城も。
貴族も。
今まで通りでいい。
急に変えれば、人間は警戒する。
奪われたと感じれば、反発もする。
ならば。
奪われたことにすら気づかない速度で変えていけばいい。
交易を増やす。
北の商品を広める。
人を行き来させる。
今はまだ珍しい北の商人も。
やがて、街にいて当たり前になる。
北の商品を使うことも。
北へ働きに行くことも。
北から来た者と一緒に働くことも。
珍しいことではなくなる。
こちらから王国へ移り住む者も増えていくだろう。
それが長く続けば。
やがて。
交流しているという意識すらなくなる。
ただの日常になる。
「…………」
白は、机の上へ指先を置いた。
人間の寿命は短い。
今、この王国を動かしている者たちも。
いつまでも同じ場所にはいない。
年を取り。
仕事を退き。
やがて。
次の世代へと入れ替わっていく。
その次の世代にとって。
北との交易が、生まれた時から存在していたとしたら。
北の商品が、幼い頃から身近にあったとしたら。
北の人間と働くことが、当たり前だったとしたら。
それを拒絶する理由は。
今より、ずっと少なくなる。
「メメメも……一世代付き合えば十分でしょう」
今は。
あの王子のそばに、メメメが必要だ。
王国の常識。
貴族たちの性格。
王族の振る舞い。
誰と親しく。
誰を警戒し。
誰に、どこまで話していいのか。
長い年月をこの国で過ごしてきたメメメなら、すべて分かっている。
偽物の王子が、本物として生きるには。
これ以上の相談役はいない。
だが。
永遠に、あの場所へ置いておく必要もない。
一つの世代が入れ替わる頃には。
王国の中へ、十分に根を張れているだろう。
その先は。
もっと簡単だ。
「後継ぎを用意すればいいだけですね」
幸いにも。
本物の王子は、こちらで確保している。
王家の血が必要なら。
それを使えばいい。
次の王が必要なら。
次の王を用意する。
ただ、それだけのことだった。
その頃には。
メメメを王子のそばへ置き続ける必要もない。
王国の旗も。
国の名前も。
王家も。
そのまま残せばいい。
税を集めるのも。
街を治めるのも。
道を直すのも。
これまで通り、王国の人間たちにやらせればいい。
こちらが。
すべてを管理する必要などない。
王国は、王国のまま。
これまで通り動いてもらえばいい。
変えるのは。
その国が向かう先だけでいい。
人間たちは。
自分たちの国が、ずっと続いていると思っていればいい。
誰が本当に国を動かしているのかなど。
知らなくていい。
急ぐ必要はない。
少しずつ。
ゆっくりと。
気づかれないように。
取り込んでいけばいい。
やがて。
王国の人間たちが北を見て。
それを外国だとすら感じなくなれば。
十分だ。
白は、次の報告書へ手を伸ばした。
「順調ですね」
王国は。
今日、滅びたわけではない。
明日も。
王国の人間たちは、昨日と同じように暮らしていくだろう。
仕事をして。
食事をして。
家族と笑う。
何も変わっていないと思いながら。
ただ。
彼らが気づかないところで。
少しずつ。
王国は。
こちら側へ変わり始めていた。
◇
遠く離れた場所。
勇者育成機関。
その最奥。
外から隔絶された一室で。
一人の老人が、ゆっくりと目を開いた。
「…………」
胸騒ぎがする。
理由は分からない。
何かを見たわけではない。
報告が届いたわけでもない。
それでも。
長い年月を生きてきた老人の感覚が。
何かを告げていた。
「……近づいているのか」
小さく呟く。
脳裏に浮かんだのは。
魔王。
今では。
子どもたちに語られる、おとぎ話の中の存在だ。
魔王。
そして。
それを倒した勇者。
そんな出来事が本当にあったのか。
疑う者さえいる。
だが。
この場所では違う。
勇者を育てる者たちは。
それを、ただのおとぎ話だとは考えていなかった。
「魔王が……近づいているのか」
老人は、もう一度呟く。
しかし。
すぐに首を横へ振った。
「いや……」
確信はない。
魔王なのか。
それとも。
まったく別の何かなのか。
分からない。
ただ。
何も起きていないとは思えなかった。
これまで静かだった何かが。
動き始めた。
そんな感覚だけが。
胸の奥に残っている。
老人は、ゆっくりと立ち上がった。
机の上に置かれていた小さな鐘へ手を伸ばす。
澄んだ音が。
静かな部屋に響いた。
しばらくして。
扉が開く。
「お呼びでしょうか」
「ああ」
老人は短く答えた。
「招集をかけろ」
入ってきた男が、わずかに目を見開く。
「招集……ですか?」
「そうだ」
「どこまで?」
「…………」
老人は少し考えた。
まだ。
何が起きているのかは分からない。
すべてを動かすには、早すぎる。
「まずは、上の者だけでいい」
「理由は、何と?」
「まだ何も言うな」
「……承知しました」
「ただ、集めろ」
「はい」
男が頭を下げる。
そして。
部屋から出ていった。
扉が閉じる。
再び。
老人は一人になった。
「…………」
目を閉じる。
胸の奥にある。
嫌な感覚。
それは。
まだ消えていない。
「魔王……なのか」
答える者はいない。
魔王など。
今では、おとぎ話の向こう側にいる存在だ。
老人自身も。
それが本当に現れたとは、まだ信じ切れない。
だが。
何かが。
確かに動き始めている。
その感覚だけは。
消えなかった。




