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小さな国の勇者

 決勝戦までは、少し時間があった。


 準決勝までに負った傷は、用意されていた回復薬ですっかり消えている。


 腕を回し、軽く身体を動かしてみる。


「よし」


 問題ない。


 剣を腰に差し、控室を出た。


 次が最後だ。


 決勝戦。


 相手は――ピーチ。


「本当に来たんだな……」


 思わず笑ってしまう。


 初戦を終えたあと。


 俺たちは、決勝で会えたらいいですねと話した。


 まさか、本当にそうなるとは思っていなかった。


 ピーチの準決勝は、控室から少しだけ見ることができた。


 あの大男を相手に何度も攻撃を受け、それでも立ち上がって。


 最後には、舞台を囲っていた結界まで壊して勝った。


「すごかったな……」


 正直。


 どうやって勝てばいいのか、まだ分からない。


 でも、不思議と怖くはなかった。


 むしろ。


 楽しみだった。


 ピーチがここまで勝ってきた。


 俺もここまで勝ってきた。


 だったら、あとは決勝で思い切り戦うだけだ。


 腰の剣に手を置く。


 じいさんが、俺のために打ってくれた剣。


「……行くか」


 決勝の舞台へ向かう。


 その途中だった。


「あら」


 聞き覚えのある声がした。


 振り返る。


「あ」


 踊り子さんだった。


「決勝進出、おめでとう」


「ありがとうございます!」


 俺は頭を下げた。


「ここまで来られたの、踊り子さんのおかげです」


「私?」


「はい。参加費も宿代も出してもらいましたし」


 あの日。


 この人に声をかけてもらえなかったら、俺は大会に参加することすらできなかった。


「そう」


 踊り子さんは、いつものように笑った。


「でも、まさか本当に決勝まで行くとは思わなかったわ」


「俺もです」


 苦笑する。


「相手は、北の街から来たピーチ選手でしょ?」


「はい」


「勝てそう?」


「分かりません」


 これは素直に答えた。


「ものすごく強いですから」


「そうね」


「でも」


 剣の柄に手を添える。


「約束したんです」


「約束?」


「決勝で会えたらいいですねって」


 だから。


 ちゃんと戦いたい。


 勝てるかどうかは、そのあとだ。


「…………」


 踊り子さんが、じっと俺を見る。


 その時。


 ふと、違和感を覚えた。


「あれ?」


「どうしたの?」


「踊り子さん……なんでここにいるんですか?」


「…………」


 ここは、選手の控室から舞台へ向かうための通路だ。


 大会が始まってからは、選手と大会関係者しか入れないはずだった。


「ここって、選手とか関係者しか入れないはずじゃ……」


 踊り子さんは少しだけ笑った。


「そうね」


「じゃあ、どうやって――」


「ユウト」


「はい?」


「ありがとう」


「え?」


「ピーチの成長を助けてくれて」


「…………?」


 意味が分からなかった。


 なんで。


 踊り子さんが、ピーチのことを。


 そう思った瞬間だった。


 胸に、何かが入った。


「…………え?」


 何が起きたのか分からない。


 ゆっくりと視線を下げる。


 踊り子さんが、すぐ目の前にいる。


 その手には。


 ナイフ。


 刃が、俺の胸に刺さっていた。


「…………」


 痛みは、少し遅れてやってきた。


「ぐっ……!」


 息が詰まる。


 足から力が抜け、その場に膝をついた。


「どう……して……」


 踊り子さんを見る。


 この人は。


 俺を助けてくれた人だった。


 参加費を払ってくれた。


 宿も用意してくれた。


 少し変わった人だとは思った。


 でも。


 悪い人だと思ったことは、一度もなかった。


「どうして……俺を……」


 踊り子さんは答えない。


 胸に刺さったナイフを引き抜いた。


「ぐっ……!」


 身体が大きく揺れる。


 傷口から熱が広がっていく。


 そして。


 もう一度。


 ナイフが胸へ突き立てられた。


「――っ!」


 今度は、声すら出なかった。


 身体から急速に力が抜けていく。


 それでも。


 剣を。


 剣さえあれば。


 そう思った時だった。


 腰が、急に軽くなった。


「……?」


 剣がない。


 顔を上げる。


 すぐ横に。


 巨大な男が立っていた。


 いつからいた?


 まったく気づかなかった。


 髪は、ねずみ色。


 髭も、ねずみ色。


 太い腕を覆う毛まで。


 何もかもが、ねずみ色に見えた。


 そして。


 その男の手には。


 じいさんの剣があった。


「……触るな」


 かすれた声が漏れる。


 男がこちらを見る。


「それに……触るな……」


 手を伸ばす。


 届かない。


 ねずみ色の男は、じいさんの剣を持ち上げた。


 刃を傾け、何度か眺める。


「これが聖剣か」


 聖剣?


 違う。


 じいさんの剣だ。


 じいさんが、俺のために作ってくれた剣だ。


「普通の剣にしか見えんな」


 踊り子さんが首を横に振った。


「間違いないわ」


「そうなのか?」


「ええ」


 踊り子さんは俺を見る。


 いや。


 俺ではなく、その周りを見ているようだった。


「この子には、光が集まっている」


「光……?」


「勇者に現れる光よ」


 意味が分からない。


 俺が。


 勇者?


 ねずみ色の男が、もう一度じいさんの剣を見る。


「なら、まだ目覚めていないだけか」


「たぶんね」


「だから殺すのか」


「ええ」


 踊り子さんは、迷わず答えた。


「勇者になる前に」


 ようやく。


 少しだけ分かった。


 俺が何かしたからじゃない。


 この人たちは。


 俺が勇者になるから。


 その前に殺そうとしている。


 胸が熱い。


 息が浅い。


 視界の端が、少しずつ暗くなっていく。


 ねずみ色の男は、じいさんの剣を片手に持ったまま、自分の剣を抜いた。


「二度刺している。まず助からん」


 大きな剣が持ち上がる。


「だが」


 男の目が細くなった。


「勇者なら話は別だ」


「…………」


「念のためだ」


 待って。


 まだ。


 決勝が。


 ピーチが待っている。


 じいさんの剣も。


 返してもらっていない。


 まだ――。


 剣が振り下ろされた。


 そこで。


 俺の意識は途切れた。


     ◇


 ねずみ色の男は、倒れた青年を見下ろした。


 念のため。


 首まで落とした。


 しばらく待つ。


 動かない。


「……これなら大丈夫だろう」


 男は、手にした剣へ視線を落とした。


「これは持っていく」


「ええ」


 踊り子は頷く。


「死体は?」


「部下に回収させる」


「ここに残しておけば、すぐ騒ぎになるものね」


「ああ」


 ねずみ色の男は、闘技場の方角へ一度だけ目を向けた。


「まだ騒がれるには早い」


 通路の奥へ視線を向ける。


「出てこい」


 物陰から、一人の男が姿を現した。


 いつからそこにいたのか。


 物音一つ立てていなかった。


「これを運べ」


「はい」


「痕跡も残すな」


「分かりました」


 男は短く答えると、すぐに動き始めた。


 踊り子は。


 最後に一度だけ、ユウトを見る。


「…………」


 決勝で会う。


 ついさっき。


 そう言っていた。


 その約束が果たされることはない。


 やがて。


 ユウトの身体は、その場から運び出された。


 彼が着ていた鎧も回収される。


 その背中には。


 彼が最後まで、踊り子の芸名だと信じていた文字が残っていた。


 特殊なインクで書かれた文字。


 水でも。


 汗でも。


 消えることはない。


 そこには。


 こう書かれていた。


『勇者』


『必ず殺すべし』


 闘技場では。


 誰もまだ知らない。


 決勝戦に出るはずだった勇者が。


 もう、この世にいないことを。

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