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始まる

 第四層。


 巨大な木の下。


 緑が空中に映し出した大きな映像の中で、ピーチがステッキを高く掲げていた。


『勝者――ピーチ選手ぅぅぅぅぅぅぅっ!!』


『愛の勝利です!』


 桃色と白の光が弾ける。


 その周囲では、大勢の人間たちが立ち上がっていた。


『ピーーチ!』


『ピーーチ!』


『ピーーチ!』


 その光景を。


 ブルー、緑、白、黄が静かに見つめていた。


 誰も何も言わない。


 何を思っているのか。


 その表情からは、よく分からなかった。


 ただ。


 四人とも、空中の映像から目を離さなかった。


 そして。


 シキも白い椅子に座ったまま、その光景を眺めていた。


 本当なら。


 もっと早く始めるつもりだった。


 準備は、すでに整っている。


 王城の構造。


 兵士たちの配置。


 王族の予定。


 貴族同士の関係。


 武闘大会当日の警備体制。


 必要な情報は、ほとんど手元にあった。


 ここまで順調に準備を進められたのは、ピオーネの働きが大きい。


 この国では、メメメ伯と呼ばれている。


 何十年も前から王国へ潜り込み、冒険者として名を上げ、やがて貴族となった。


 その間も、ずっとこちらへ情報を送り続けてくれている。


 王国は、こちらのことをほとんど知らない。


 だが。


 こちらは王国のことを知っている。


 王がいつ執務室にいるのか。


 第一王子が誰と親しいのか。


 城のどこに、どれだけの兵がいるのか。


 今日。


 武闘大会のために、警備がどこへ移されたのか。


 知っている。


 だから。


 もっと早く動くこともできた。


 それでも。


 シキは合図を出さなかった。


 ピーチを見ていた。


「…………」


 空中の映像では、ピーチが観客へ手を振っている。


 彼女を、人間を殺せない存在として作ったのは自分だった。


 人類を滅ぼしたい。


 ずっと、そう思ってきた。


 そのために国を作り。


 力を蓄え。


 長い時間をかけて準備してきた。


 なのに。


 自分は、人間を殺せない仲間を作った。


「…………」


 なぜ、そうしたのか。


 自分でも、うまく説明できない。


 そんな仲間が一人くらいいてもいい。


 ただ。


 その時は、そう思った。


 当然。


 仲間たちは心配した。


 人間を滅ぼそうとしているのに。


 その人間を殺せない者を作って、どうするのか。


 戦場で役に立てるのか。


 敵を前にして、迷わないのか。


 実際。


 ピーチは、その性質のせいで何度も苦労してきた。


 それも知っている。


 ただ。


 ピオーネと白だけは。


 少し違った。


 二人は、その理由をなんとなく分かっているようだった。


 人類を滅ぼしたいと願う自分が。


 なぜ、人間を殺せないピーチを作ったのか。


 時々。


 ピーチと自分を見比べて。


 少しだけ、分かったような顔をする。


 けれど。


 二人は、その理由を口にしたことがなかった。


 たぶん。


 言葉にする必要がないと思っているのだろう。


 だから。


 シキも何も聞かなかった。


 もしかすると。


 自分よりも。


 二人の方が、その理由を分かっているのかもしれない。


『ピーーチ!』


『ピーーチ!』


 人間たちが、彼女の名前を呼んでいる。


 最初は戸惑っていた。


 奇妙な服を着て。


 長い自己紹介をして。


 戦いが終わるたびに、派手な光を出す少女。


 それを面白がっていただけだったのかもしれない。


 だが。


 今は違う。


 ピーチが倒れれば、声援が飛ぶ。


 立ち上がれば、歓声が上がる。


 勝てば。


 人間たちも一緒になって喜んでいる。


「…………」


 シキは静かにそれを見ていた。


 人間を殺せない。


 人間を傷つけることを嫌う。


 戦う者として見れば、それは弱点だった。


 そのせいで。


 本人が悩み。


 周囲を困らせ。


 何度も立ち止まってきた。


 それでも。


 シキは、その性質を消そうとは思わなかった。


 そして今。


 弱点だと思われていたものが。


 別の形で、花開いた。


 ピーチは、成長したのだ。


 人間を殺せるようになったわけではない。


 人間を傷つけることを平気になったわけでもない。


 そのままで。


 自分なりの戦い方を見つけた。


 自分が守りたいものを見つけて。


 そのために、強くなった。


『ピーーチ!』


『ピーーチ!』


 人間たちは、そんなピーチの名前を叫んでいる。


 恐れていない。


 むしろ。


 笑っている。


 応援している。


 彼女の勝利を、自分たちのことのように喜んでいる。


 そして。


 ピーチを通して。


 北の国そのものまで、少しずつ受け入れられようとしていた。


 力で従わせたわけではない。


 脅したわけでもない。


 ピーチは。


 ただ、ピーチのままで。


 人間たちの中へ入っていった。


 シキの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。


 その姿を。


 最後まで見ていたかった。


 だから。


 計画を少しだけ遅らせた。


 でも。


 もう十分だ。


 シキは椅子から立ち上がった。


 その瞬間。


 ブルーがシキを見る。


 白も。


 黄も。


 そして緑も、空中に映していた光景から視線を外した。


 誰も言葉を発しない。


 シキはゆっくりと右手を上げる。


 そして。


 静かに振り下ろした。


 白が頭を下げる。


「承知しました」


 ブルーも静かに頷く。


 黄は何も言わない。


 緑だけが一度、空中の映像へ視線を戻した。


 そこでは。


 まだ人間たちが、ピーチの名を呼んでいる。


『ピーーチ!』


『ピーーチ!』


『ピーーチ!』


 白が顔を上げた。


「それでは――」


 一拍。


「始めましょう」


 人類を滅ぼそうとしている者たちの国が。


 今。


 人間たちから受け入れられようとしている。


 その歓声の裏で。


 長い時間をかけて準備してきた計画が。


 静かに。


 動き始めた。

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