貴賓席
闘技場の上層。
観客席から少し離れた場所には、王族や重要な客人のための貴賓室が設けられていた。
正面は大きく開かれており、そこから闘技場全体を見下ろすことができる。観客たちの歓声は届くが、一般席ほど騒がしくはない。
室内には柔らかな絨毯が敷かれ、飲み物や軽食の置かれた小さな卓も用意されていた。
そして舞台へ向けて、三脚の大きな椅子が並んでいる。
どれも身体が沈み込むほど、ふかふかの椅子だった。
中央には第一王子テル。
その隣にアルティナ。
もう一つの椅子には、メメメ伯が腰掛けている。
シンディだけは座らず、アルティナの少し後ろに立っていた。
護衛の騎士たちは室内にはおらず、扉の外で待機している。
王族がいる以上、本来なら室内にも騎士を置くところだ。
だが今日はメメメ伯がいる。
王国側から見れば、冒険者として長く名を上げ、その実力も十分に知られている人物である。そのため、室内まで騎士で固める必要はないと判断されていた。
そもそも、なぜ外国から来た使者であるアルティナが、第一王子のすぐ隣に座っているのか。
理由は単純だった。
王国は、北の国についてあまりにも知らない。
三つの壁に囲まれた街があること。
第一層には、王城に匹敵するほどの大きな城があること。
そして、ブルーやアルティナといった者たちが国の上層部にいること。
分かっているのは、その程度だった。
国土がどこまで広がっているのか。
人口がどれほどいるのか。
兵士が何人いるのか。
そもそも、どの程度の国力を持っているのか。
ほとんど分かっていない。
だからこそ王国側も、アルティナをどの程度の待遇で迎えるべきなのか判断に苦慮していた。
結果として、本人が「二番目くらいに偉い」と言った以上、第一王子と同格に近い客人として扱うことになったのだ。
「…………」
テルは舞台を見つめていた。
つい先ほどまで、そこには大柄な剣士が立っていた。
今、その剣士は舞台の外にある壁へめり込んでいる。
一方のピーチは、桃色の光を背負いながら決めポーズを取っていた。
「……強いですね」
テルがようやく口を開く。
アルティナは少し考え、手にしていた扇子を口元へ持っていった。
赤を基調とした扇子で、縁には柔らかな毛皮があしらわれている。
「えっと……強いといいますか」
一度言葉を切る。
「独特な選手ですよね」
「……まあ、そうとも言いますね」
テルも否定できなかった。
あれを普通の強さと表現していいものなのか、少し迷う。
「私も一応、剣の鍛錬は続けている身ですが、正直、彼女が何をしたのか追えませんでした」
「土煙も上がっていましたからね」
「ええ。それもありますが……」
本当に、それだけだろうか。
テルはもう一人の男へ視線を向けた。
「メメメ伯は見えましたか?」
「私ですか?」
突然話を振られ、メメメ伯が一瞬だけ止まる。
その時。
カチッ。
アルティナの扇子が閉じた。
「…………」
メメメ伯はわずかに間を置いた。
「まあ……ぎりぎり、といったところでしょうか」
「やはり、相当速かったのですね」
「そうですね」
カチッ。
アルティナが扇子を開く。
メメメ伯は横目でそれを見る。
先ほどから、ピーチが何かするたびに、アルティナの手元から音が鳴っていた。
自己紹介を始めた時。
カチッ。
派手な演出魔法を使った時。
カチッ。
ステッキを舞台の端へ置いた時。
カチッ。
ブモを一瞬で場外へ飛ばした時。
カチッ。
そして。
『愛の勝利です!』
そう叫んだ時には、
カチカチカチ。
三回鳴った。
「…………」
メメメ伯は、誰にも気づかれないよう額の汗をぬぐった。
できれば、もう少し大人しくしてほしい。
心の底からそう思った。
「ただ」
メメメ伯は話題を変えるように口を開く。
「今回の優勝候補は、やはりオオーカ選手でしょう」
「やはり、そう思いますか」
テルが頷いた。
「彼の強化魔法は、この国でもトップクラスです」
ただでさえ規格外の巨体。
そこへ身体能力をさらに引き上げる強化魔法を重ねる。
昨年も決勝まで進んでいる以上、優勝候補と呼ばれるのは当然だった。
「今年は昨年以上に鍛えてきたとも聞いています」
「そうですか」
アルティナが答え、扇子をゆっくりと開く。
「では、楽しみですね」
その顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
◇
それからも、試合は滞りなく進んでいった。
百人いた参加者は、一人、また一人と姿を消していく。
そして、ユウトも勝ち残っていた。
二回戦。
三回戦。
準々決勝。
そして、準決勝。
相手が変われば、当然戦い方も変わる。
槍使い。
盾を持つ騎士。
二本の短剣を使う男。
だが、どの試合にも一つだけ奇妙な共通点があった。
『まただぁぁぁっ!』
実況の声が響き渡る。
折れた武器が、石の舞台を転がった。
『ユウト選手! またしても相手の武器を破壊しました!』
最初は偶然だと思われていた。
だが、二度。
三度。
試合を重ねるたびに、相手の武器が壊れていった。
剣。
槍。
盾。
そのたびにユウト自身も驚いたような顔をしていたが、それでも勝ちは勝ちだった。
そして準決勝。
激しい攻防の末、最後に立っていたのはユウトだった。
『勝者――ユウト選手!』
大歓声が上がる。
ユウトが剣を掲げた。
これで決勝進出。
あと一勝。
とうとう、そこまで来ていた。
◇
『さあ! いよいよ、もう一つの準決勝です!』
観客席の熱気が一段と高まる。
『まず登場するのは――北の街からやってきた愛の戦士!』
その瞬間、会場の一角から声が上がった。
「ピーーチ!」
別の場所からも続く。
「ピーーチ!」
やがて、その声は会場全体へ広がっていった。
「ピーーチ! ピーーチ! ピーーチ!」
いつの間にできたのだろう。
完全にピーチ専用のコールになっていた。
最初の試合では、観客たちも戸惑っていた。
長い自己紹介。
派手な演出魔法。
戦闘には到底向いていない、ひらひらとした衣装。
そして試合が始まれば、一瞬で相手を場外へ押し出す。
次の試合でも同じ。
その次も同じ。
登場している時間の方が、戦っている時間より長い。
そんな試合を繰り返すうちに、観客たちはすっかり彼女の登場を待つようになっていた。
『愛は足りているかぁぁぁっ!』
実況役まで、すっかり乗っている。
「足りてるぞー!」
「ピーチちゃーん!」
大歓声の中、ピーチが姿を現す。
当然のようにステッキを掲げると、いつもの長い自己紹介が始まった。
◇
『対するは――!』
実況の声が、さらに大きくなる。
『前回大会準優勝! 今大会最大の優勝候補!』
反対側の門が開いた。
『オオーカ選手ぅぅぅぅっ!』
今度は会場を揺らすような歓声が上がる。
二百二十六センチ。
百八十キロ。
巨大な身体が、ゆっくりと舞台へ上がった。
しかし、ここまでの大会でオオーカが本来の実力を見せる機会はほとんどなかった。
名が知られすぎているのだ。
対戦相手が最初から勝負を諦め、棄権した試合すらあった。
実際に戦った試合でも、強化魔法を本格的に使う前に決着している。
昨年からどれほど強くなったのか。
それを知る者は、まだ誰もいなかった。
◇
「これは面白い組み合わせになりましたね」
貴賓室。
テルが、舞台に立つ二人を見比べる。
巨大な男。
そして、その半分ほどにしか見えない桃色の少女。
「どちらが勝つと思いますか?」
テルがアルティナへ尋ねる。
「そうですね」
アルティナは少し考え、扇子を口元へ寄せた。
「今回は、さすがに分が悪いでしょうね」
「やはり?」
「はい」
アルティナは笑顔で答える。
「オオーカ選手でしょう」
テルは舞台へ視線を戻した。
「私もそう思います」
昨年準優勝。
国内でもトップクラスの強化魔法。
圧倒的な体格。
対して、ピーチはまだ修業中だと、アルティナ自身が言っていた。
「ようやく、オオーカ選手の本当の力が見られそうですね」
「そうですね」
アルティナは、にこやかに答えた。
その後ろで、シンディがほんの少しだけ首を傾げる。
メメメ伯は何も言わず、ただ舞台を見つめていた。




