初戦
舞台に上がる。
足元は、大きな石を組み合わせて作られた四角いステージだった。周囲には柵も壁もなく、一歩外へ出れば、そのまま地面へ落ちる。
ただし、舞台と観客席の間には透明な結界が張られていた。
結界の内側で放たれた攻撃は、外へ漏れないらしい。
剣の一撃でも、魔法でも。
もし観客席に飛んでいけば大事故になる。そのための結界なのだろう。
『それでは、改めて勝利条件を確認します!』
実況の声が闘技場に響く。
『一つ! 相手を舞台の外へ落とす!』
『二つ! 相手が降参する!』
『そして三つ! 相手に降参を勧告し、三十秒以内に返答がない場合!』
『このいずれかで勝敗が決定します!』
僕は正面を見る。
そこに立っていたのは、若い男だった。年齢は僕より少し上だろうか。
細身だが、背は高い。
そして何より目につくのが、手に持っている杖だった。
本人の背丈よりも長い。先端には青い石が取り付けられている。
剣士には見えない。
たぶん、魔法使いだ。
『両者、準備はよろしいですか!』
僕は剣を抜いた。
相手も杖を構える。
『それでは――開始!』
合図と同時だった。
相手の周囲に、三つの火の玉が浮かび上がった。
「っ!」
来る。
そう思って横へ飛ぶ。
その瞬間、頬に鋭い痛みが走った。
「……え?」
指で触れると、少しだけ血がついていた。
火の玉は、まだ相手の周囲に浮かんでいる。
今のは。
「風……?」
見えなかった。
でも、何かが横を通り抜けた。
風の刃だ。
火は囮。
もし横へ飛ぶのが少し遅れていたら、まともに受けていた。
「危な……」
考えている暇はなかった。
今度こそ火の玉が飛んでくる。
僕は走り、横へ避ける。
直後、また見えない何かが通り過ぎた。
火。
風。
火。
風。
近づきたい。
でも。
「くそっ!」
近づけない。
火の玉は見える。だから避けられる。
厄介なのは風の刃だった。
見えない。
音もほとんどしない。
頬についた傷が、じんじんと痛む。
僕は一方的に逃げ続けた。
『ユウト選手、近づけない!』
実況の声が聞こえる。
『対する魔法使い、完全に間合いを支配しています!』
その通りだった。
僕は攻撃すらできていない。
一方、相手にはまだ余裕がある。
息も乱れていない。
杖を振り、次々と魔法を放ってくる。
「魔力って……なくならないのか?」
これだけ撃っている。
そのうち疲れると思っていた。
でも、そんな様子はない。
このまま逃げ続けたら、先に僕の体力がなくなる。
どうする。
どうすれば。
その時。
じいちゃんの声を思い出した。
『よく見ろ』
何度も言われた言葉。
『相手は生きてるんだ。何かしようとすれば、その前に必ず何かが動く』
目。
肩。
腕。
足。
呼吸。
『いきなり何もせずに動ける奴なんていない。よく見れば、次に何をするか分かる』
「よく見る……」
火の玉を避ける。
次は風の刃。
身を沈める。
また火。
僕は逃げながら、相手を見た。
杖。
腕。
肩。
足。
目。
呼吸。
「…………」
おかしい。
さっきから、こんなに魔法を撃っている。
本当に、こんなに簡単にぽんぽん撃てるものなのか?
それに、僕もおかしい。
風の刃は見えない。
なのに。
どうして、さっきから避けられている?
「……あ」
もう一度。
火。
避ける。
少し間があって。
風。
しゃがむ。
火。
風。
火。
風。
種類は違う。
でも。
「一緒だ」
間隔が同じだ。
相手はずっと、同じリズムで魔法を撃っている。
火だから遅い。
風だから速い。
そんなことはない。
杖を振る。
一拍。
魔法。
杖を戻す。
一拍。
次の魔法。
ずっと同じ。
理由は分からない。
魔法には、そういう制約があるのかもしれない。
でも。
分かるなら。
「行ける」
次の火の玉を避けた。
今度は、後ろへ下がらない。
前へ出る。
「なっ――」
初めて、相手の顔が変わった。
驚いている。
でも、止まらない。
次が来るタイミングは分かっている。
一歩。
二歩。
杖が動く。
来る。
風か。
火か。
分からない。
でも、タイミングは同じだ。
横へ飛ぶか。
剣で受けるか。
今回は。
「こっちだ!」
剣を前へ出した。
ガンッ!
何もない空間に、剣がぶつかった。
「っ!」
腕が痺れる。
風の刃。
見えなくても、剣なら受けられる。
その瞬間、相手がはっきりと目を見開いた。
「今のを……剣で?」
僕自身も驚いていた。
でも、止まらない。
距離が縮まる。
三歩。
二歩。
一歩。
「来るな!」
相手が杖を大きく振り上げた。
青い石が強く光る。
今までより大きい魔法。
たぶん。
でも、もう遅い。
「うおおっ!」
剣を振る。
相手も反射的に杖を横へ出した。
剣と杖がぶつかる。
ガキンッ!
「――っ!」
止められた。
硬い。
ただの木じゃない。
金属か何かが入っている。
相手が口元を上げる。
「この杖は魔鉄を――」
ミシッ。
「え?」
小さな音。
僕も相手も、杖を見る。
次の瞬間。
バキンッ!
長い杖が、真ん中から折れた。
「…………」
「…………」
二人とも動きを止めた。
折れた杖の先端が石の舞台へ転がる。
カラン。
青い石の光が消えた。
青年は折れた杖を持ったまま、呆然としていた。
「俺の……杖が……」
しばらくして、ゆっくり両手を上げる。
「……降参だ」
一瞬。
会場が静まり返った。
そして。
『決着ぅぅぅぅぅっ!』
実況の絶叫。
『ユウト選手! 初戦突破です!』
「うおおおおおおおおっ!」
観客席から、大きな歓声が降ってきた。
「…………勝った」
その瞬間。
ようやく、自分がどれだけ緊張していたのか分かった。
「はぁ……はぁ……」
息が上がっている。
走り回ったから。
それだけじゃない。
額。
首。
背中。
いつもの訓練とは違う汗が流れていた。
手にも汗をかいている。
剣を握っていた手を開く。
わずかに震えていた。
「緊張してたんだな……」
初めての大会。
初めての大勢の観客。
そして、初めて本気で戦う相手。
怖くないと思っていた。
でも、体は正直だったらしい。
それでも。
勝った。
ちゃんと相手を見て。
考えて。
前へ進んで。
勝てた。
「……次は、大丈夫そうだ」
僕は息を整える。
そして、観客席へ向かって剣を高く掲げた。
「うおおおおおおっ!」
再び歓声が上がる。
その音を聞きながら、僕は少しだけ笑った。




