修業中
「私も、そろそろお暇しようと思います」
アルティナがそう告げると、テルは素直に頷いた。
「分かりました。明日は武闘大会ですからね」
会場の奥では、先ほど紹介された参加者たちも何人か歓談している。
テルがその方角へ視線を向けた。
「そういえば、先ほどのピーチ殿も明日のことを心配されているのでしょうか」
「ピーチが?」
「ええ。これだけ大きな大会ですから」
テルは穏やかに笑う。
「我が国の騎士たちも鍛えていますし、国民の中にも腕の立つ者は多い。他国と比べても遜色はないと思っています」
「…………」
「せっかく来ていただいたのです。大きな怪我をして帰ることにならなければいいのですが」
アルティナは少し悩んだ。
先ほど紹介した時のピーチを思い出す。
桃色の髪。
ひらひらとした服。
可愛らしい杖。
明るい声。
この国の騎士や、会場で見かけた大会参加者たちと比べれば、あまりにも戦いそうに見えない。
テルが心配するのも無理はなかった。
弱い。
そう言ってしまうのは簡単だ。
実際、自分たちの中ではまだ未熟な方だ。
だが。
これは自分たちの国の中での話だ。
「ピーチは、まだ修業中です」
「修業中でしたか」
「そうです」
アルティナは少しだけ笑った。
「ただ」
テルを見る。
「本気で彼女の相手をしないと、痛い目を見るかもしれませんよ」
「そこまでですか?」
「はい」
少なくとも。
見た目だけで判断する相手ではない。
◇
ピーチが武闘大会へ出る。
それを聞いた時。
アルティナはすぐにシキのもとへ向かった。
「本当にピーチを出すの?」
シキはいつもの場所にいた。
何も答えない。
ただ、穏やかに笑っている。
「あの子、まだ弱いよ」
反応はない。
「朱だって出られる」
アルティナは指を折る。
「それに、まだシンディの方が向いてると思う」
それでもシキは笑っていた。
そして。
机に置かれた名前の中から、桃色を指で示す。
ピーチ。
やはり変える気はないらしい。
「何か考えがあるの?」
シキは小さく頷いた。
「もう計画が進んでる?」
もう一度。
今度は、はっきりと頷く。
「……私でもいいよ」
アルティナは胸に手を置いた。
「役に立てる」
シキはアルティナを見る。
そして少し困ったように、それでも優しく笑った。
首を横に振る。
「でも――」
言いかけたところで。
頭の上に手が置かれた。
「…………」
二度。
優しく撫でられる。
心配してくれてありがとう。
そんなふうに言われた気がした。
「……分かった」
アルティナはそれ以上、何も言わなかった。
◇
「修業中でしたか」
テルの声で、意識が戻る。
「それなら、なおさら明日が楽しみですね」
「はい」
「先ほどは少し失礼なことを言いました」
「気にしてませんよ」
アルティナは笑う。
「でも、本気で相手をした方がいいですよ」
「覚えておきます」
その時。
テルの後ろから、シンディがゆっくり歩いてきた。
ようやく戻ってきた。
アルティナは、その手を見る。
空だった。
「…………」
頼んだ料理がない。
さっきから何をしていたのだろう。
シンディはアルティナの前まで来ると、いつも通りの顔で一礼した。
「アルティナ様」
「なに?」
「お薬の時間です」
「…………」
テルが少し心配そうな顔をする。
「どこかお悪いのですか?」
「いえ」
アルティナは即答した。
「いつもの薬です」
それだけ言って、軽く頭を下げる。
「それでは、今日はこれで失礼します」
「分かりました。明日は会場で」
「はい」
アルティナはシンディとともに会場を後にした。
もちろん。
最後まで、頼んだ料理のことは聞けなかった。
◇
馬車へ乗り込む。
扉が閉まった。
「薬」
「はい」
シンディが小さな包みと水を差し出す。
アルティナは薬を口に入れた。
「…………にがい」
「薬ですから」
「この味、どうにかならないの?」
「以前も同じことを言っていましたね」
「緑にも言った」
「何と?」
「無理だって」
アルティナは顔をしかめながら水を飲む。
「飲むの私だけだから、面白がってるんじゃないかな」
「そんなことはないと思います」
「どうだろ」
シキ様が命じれば、きっと味くらいどうにでもできる。
甘くも。
果物の味にも。
何にでも。
でも。
そんなことでシキ様の手を煩わせるほどでもない。
「……我慢する」
「偉いですね」
「子供扱いしてない?」
「していません」
アルティナは窓の外を見る。
王城の灯りが、少しずつ遠ざかっていく。
今日会った人々の顔が、何人か頭に浮かんだ。
商人。
貴族。
騎士。
テル王子。
悪い人間ばかりなら、もっと簡単だったのに。
そんなことを思う。
けれど。
それと、これとは別の話だ。
シキ様が進むなら、自分も進む。
迷う理由はない。
しばらくすると。
薬が効いてきたのか、思考がゆっくりになる。
さっきまで次々と浮かんでいた考えが、一つずつ間を空けるようになった。
「アルティナ様?」
「ん?」
「大丈夫ですか?」
アルティナは座席にもたれた。
「ああ」
ゆっくり息を吐く。
「大丈夫」
窓の向こう。
王都の灯りが流れていく。
明日は。
武闘大会だ。




