前夜祭
武闘大会を翌日に控えた夜。
王城では、王国主催の前夜祭が開かれていた。
大広間には多くの貴族や騎士、それに大会の関係者が集まっている。
アルティナが会場へ入った時は、それなりの騒ぎになった。
第一王子テルが自ら紹介したこともある。
北の国から来た使者。
鮮やかな赤い髪。
そして、普段の彼女を知る者からすれば信じられないほど綺麗に着こなした赤いドレス。
耳には大きな赤い宝石。
胸元にも、それよりさらに大きな赤い宝石が輝いている。
会場の視線が一斉に集まった。
最初こそテル王子が隣にいてくれた。
だが王子には王子の役目がある。
しばらくすると別の客のもとへ向かい、残されたアルティナの周囲には次々と人が集まってきた。
王国式の礼儀作法までは知らない。
仕方がないので、自分の国で教えられた礼で乗り切っている。
自分は招待された客なのだ。
作法が多少違ったくらいで、追い出されるようなことはないだろう。
ただ。
相手の反感を買うのは困る。
今回は遊びに来たわけではないのだから。
「北では、どのような作物が採れるのでしょう?」
「ミカン以外にも、いろいろありますよ」
「ぜひ我が商会とも取引を――」
「そうですね。これから交流が増えれば、そういう機会もあるかもしれません」
すると隣にいたメメメ伯が、ごく自然に口を挟んだ。
「北との商取引についてでしたら、まずはこちらで窓口をまとめた方がよろしいでしょう。後ほど詳しくお話ししましょうか」
「おお、それはぜひ」
いつの間にか、会話の中心がメメメ伯へ移っている。
アルティナは笑顔のまま、ほんの少しだけ息を吐いた。
助かった。
少しして、また別の男がやって来る。
「北のお酒にも興味がありましてな」
「お酒ですか」
「ええ。こちらの葡萄酒なども、ぜひお持ち帰りいただければ」
「北にも酒はいくつかありますよ」
「ほう。どのような?」
答えようとしたところで、メメメ伯が横から笑った。
「酒の話でしたら長くなりますよ。私もずいぶん試しましたから」
「それはぜひ聞かせていただきたい」
「では、向こうに良い酒があります。飲みながらでも」
二人はそのまま話しながら離れていった。
さすがだった。
自分が無理に話を切らなくても、メメメ伯がうまく間に入り、相手を不快にさせることなく会話を回してくれる。
先ほどから、こんなことの繰り返しだ。
商売につなげたい者。
北の食べ物について知りたい者。
酒の話をする者。
少しでも自分と親しくなろうとする者。
別に嫌な人たちではない。
むしろ皆、驚くほど普通だった。
話してみれば、自分の領地を良くしたいと考えている者もいる。
国の将来を心配している者もいる。
民の暮らしを良くしたいと口にする者もいた。
悪い人間ばかりなら、もっと分かりやすかったのに。
そんなことを少しだけ思う。
今も政務を行っているという王。
そして、先ほどまで自分の隣にいた第一王子。
あの二人の影響なのだろうか。
それとも、単純にこの国の人間がそういう性格なのか。
「アルティナ様」
「はい」
反射的に笑顔を作る。
もう限界だった。
あと一人。
あと一人だけ相手をしたら、今日は終わりにしよう。
そう決めて振り返る。
「少し、お疲れですか?」
金色の髪。
見慣れた顔だった。
「テル王子」
「やはり」
テルが苦笑する。
「顔には出ていませんでしたが、何となく」
「まだ大丈夫ですよ」
「それなら良かった」
テルはアルティナの姿を改めて見る。
「それにしても、本当によくお似合いですね」
「これですか?」
アルティナは自分のドレスを見る。
「いつも着ているものより、少し重いですけど」
「宝石も含めれば、かなり重そうですね」
「耳が特に」
アルティナは赤い宝石のついた耳飾りに触れる。
「無理やりつけさせられました」
「ですが、よくお似合いですよ」
「そうですか?」
「はい」
テルが笑った。
そして、広間へ目を向ける。
ちょうど曲が変わった。
先ほどまでより、ずっとゆっくりとした音楽だ。
男女が二人一組になり、中央へ集まり始めている。
「一曲、いかがですか?」
「ダンスですか?」
「はい」
テルはすぐに付け加えた。
「もちろん、あなたの国では異性同士で触れることを避けると聞いています。ですから、無理にとは言いません」
アルティナは少し首を傾げた。
「それなら、どうして誘うんです?」
「半分は礼儀です」
「半分?」
「ええ」
テルは少し笑った。
「先ほどから、少し退屈しているように見えました」
「…………」
「せっかく遠い国から来ていただいたのです。この国での思い出が、ずっと誰かと話をしていたことだけというのも寂しいでしょう」
テルは踊っている人々へ目を向ける。
「せっかくなら、一つくらい楽しい思い出を持って帰っていただければと思っただけです」
「思い出ですか」
「はい」
悪気はないらしい。
それどころか、純粋に気を遣っている。
「私、踊れませんよ」
「今の曲なら、それほど難しくありません」
「そうなんですか?」
「簡単な足運びだけです。ゆっくりですし、慣れていなくても十分踊れますよ」
「…………」
アルティナは中央を見る。
確かに、難しい動きには見えない。
右へ。
左へ。
少し前へ。
少し後ろへ。
やろうと思えば、できるはずだ。
だが。
どうにも、あの戦闘に向かない足運びを覚える気になれなかった。
それに。
あんなに近くに人間がいる。
手を取り。
肩に触れ。
息がかかりそうな距離で踊る。
自分には、そちらの方が問題だった。
白からも、何度かダンスを覚えるよう言われたことがある。
結局、まともには覚えなかった。
もっとも。
白のことだ。
本当に覚える必要があると判断したなら、何としてでも覚えさせただろう。
どうしても必要なら。
シキ様にでもお願いしたのかもしれない。
「…………」
シキ様と。
手を取って。
あの音楽に合わせて。
二人で踊る。
想像する。
アルティナの口元が、ほんの少し緩んだ。
何と幸せなことだろう。
「アルティナ殿?」
「え?」
「どうしました?」
「……何でもありません」
危ない。
少し考えすぎた。
「やっぱり、やめておきます」
「そうですか」
「相手の足を踏んだら大変なので」
「そこまで心配しなくても」
「それに、こちらの習慣にまだ慣れていませんから」
「分かりました」
テルはそれ以上、勧めなかった。
「では、次の機会があれば」
「その時までに覚えていたら」
「楽しみにしておきます」
無理強いしない。
やはり悪い人間ではない。
アルティナは、もう一度だけ華やかな会場を見渡した。




