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帰りの馬車

 会談も終わりに近づいた。


「あ、そうでした」


 アルティナが鞄を開く。


 中から何枚かの封筒を取り出した。


「これをお渡ししておきます」


「手紙用ですか?」


「はい」


「メメメ伯へ?」


「いえ」


 アルティナが首を振る。


「メメメを通さなくても大丈夫です」


「しかし、北の国へ届けるなら使者を――」


「必要ありません」


「では商人に?」


「それも必要ありません」


 テル王子には意味が分からない。


 アルティナは当たり前のように言った。


「手紙を書いて、この封筒に入れてください」


「はい」


「そうしたら飛んできます」


「……何が?」


「封筒が」


 沈黙。


「封筒が?」


「はい」


「空を?」


「はい」


 アルティナは笑顔だった。


 冗談を言っているようには見えない。


「直接こちらまで飛んできますので」


「…………」


 この国には、まだ理解していない技術が相当あるらしい。


 テル王子は封筒を丁寧に受け取った。


「急な予定変更などがあれば、こちらを使ってください」


「分かりました」


     ◇


 帰る客人を玄関まで送る。


 王家の人間として当然の礼儀だ。


 そこで初めて。


 テル王子は北の国の馬車を間近で見ることになった。


「……これは」


 目についたのは車輪だった。


 木ではない。


 車輪の外側が、見たことのない黒い素材で覆われている。


 しかも内部の構造も妙に複雑だ。


 複数の金属部品が組み合わされている。


 その金属自体、テルには見覚えがなかった。


「お気をつけて」


「今日はありがとうございました」


 アルティナが頭を下げる。


「来月の武闘大会には、また伺います」


「お待ちしております」


「では、その時に」


 アルティナが馬車へ乗り込む。


 灰色がかった髪のメイドも続いた。


 扉が閉まる。


 先頭を走るメメメ伯の馬車に続き、赤と黒の馬車がゆっくりと動き始めた。


 やがて城門の向こうへ消える。


「ふう……」


 テル王子は息を吐いた。


 ひとまず。


 国交断絶という最悪の事態にはならなかっただろう。


「誰か」


「はっ」


 近くにいた者が頭を下げる。


「アルティナ殿が話していた、迫害された者たちについて調べてくれ」


「承知しました」


「かなり昔の話かもしれない。古い記録も含めてだ」


 この国では聞いたことのない歴史だった。


 だが北に存在する国なのだから、王国の記録に何か残っている可能性はある。


 命令を終え、テル王子は城の中へ戻る。


 次は父王への報告だ。


     ◇


「アルティナ様」


「んー?」


「いけませんよ」


 赤と黒の馬車の中。


 灰色の髪のメイド――シンディは、呆れた声を出した。


「いくら外から見えないからといって、その格好は」


 向かいを見る。


 アルティナはすでにドレスを脱ぎ捨てていた。


 楽な服になり、座席いっぱいに横になっている。


「だって、もう仕事終わったんだもん」


「まだ王国の領内です」


「馬車の中じゃん」


「そういう問題ではありません」


 アルティナは聞いていない。


 小さな棒を一本持ち、寝転んだまま振っている。


 右。


 左。


 突く。


 どうやら何かの動きを確認しているらしい。


「私としては、かなり頑張ったと思うの」


「それは認めます」


「でしょ?」


 アルティナが嬉しそうに笑った。


「礼儀作法、いっぱい練習したし」


「白様に何度もやり直しを命じられていましたね」


「最後はちゃんとできてたでしょ」


「本番では」


「じゃあいいじゃん」


 そこは否定できない。


 本当によく頑張った。


 だからこそ、シンディは出発前のことを思い出す。


     ◇


『あなたが同行する理由を、よく考えなさい』


 白様はそう言った。


『オレンジでも、ブラッドでもありません』


 そしてシンディを見る。


『あなたを私が選んだのです』


『はい』


『アルティナが何かしようものなら、その前に止めなさい』


     ◇


 無理です。


 シンディは心の中だけで答える。


 目の前で寝転んで棒を振っている女性を見る。


 アルティナ。


 七人の中でも、純粋な一対一の戦いなら最強。


 そんな者を。


 自分が止めろと?


 それでも。


 出発前。


 シンディはシキ様のもとへ挨拶に行った。


 今回、アルティナ様に同行すること。


 無事に役目を果たせるよう努めること。


 そう伝えると。


 シキ様は何も言わず、シンディの頭に手を置いた。


 二度。


 優しく撫でてくれた。


 その瞬間。


 絶対に役目を果たそうと思った。


 白様に任された。


 シキ様にも認めてもらえた。


 だから今日も、アルティナ様が何かやらかさないかと、ずっと神経を尖らせていたのだ。


「一番危なかったのは……」


 シンディは思い出す。


 王城で出された茶と菓子。


 毒が入っていれば論外だ。


 だから自分が先に口をつけた。


 問題は。


 毒ではなかった。


 味だった。


 自分たちの国で普段食べているものと比べると、どうしても大きく劣る。


 もしアルティナ様があれを口いっぱいに入れていたら。


 吐き出すことはしないだろう。


 だが。


 殺気くらいは漏れていたかもしれない。


 少量だけで済ませてもらえて、本当によかった。


「シンディ」


「はい」


「お菓子」


「どうぞ」


 アルティナは姿勢を正した。


 ほんの一瞬だけ。


 胸の前で手を合わせる。


 目を閉じる。


 いつもの感謝を済ませると。


「ん!」


 袋を開けた。


 バリバリ。


 ボリボリ。


 先ほどまでの上品な使者はどこへ行ったのか。


 シキ様公認。


 アルティナ様お気に入りの菓子を、猛烈な勢いで食べ始める。


「お茶も」


「はい」


 シンディは水筒を取り出した。


 出国前に入れておいた茶だ。


「薬もいりますか?」


 もう片方の手に、小さな薬包を取り出す。


 アルティナは一目見るなり顔をしかめた。


「いらない」


「よろしいのですか?」


「もう自分の国に帰るだけでしょ?」


「まだ王国の領内ですが」


「もう仕事しないし」


 アルティナは菓子を一つ口に放り込んだ。


「それに、あれ苦いし」


「薬ですから」


「苦いものは苦いの」


「……分かりました」


 シンディは薬をしまい、お茶だけを渡す。


「うんうん」


 アルティナは満足そうに飲んだ。


 ようやく、いつものアルティナ様に戻った。


「あとでブルー様に怒られますよ」


「なんで?」


「まだ王国から出ていません」


「誰も見てないじゃん」


「そういう問題では――」


「大丈夫大丈夫」


「シキ様にも――」


 瞬間。


 アルティナがこちらを見た。


 鋭い。


「…………」


「いえ」


 シンディは即座に訂正した。


「シキ様には、アルティナ様がいかに立派にお役目を果たされたかをお伝えします」


「うん」


 アルティナは満足そうに菓子へ戻った。


 単純で助かる。


「白様とブルー様には、すべてご報告しますけれど」


「何か言った?」


「いいえ」


     ◇


 しばらくして。


 シンディは先ほどの会談を思い出す。


「ところで」


「んー?」


「武闘大会には、いったい誰を出すのでしょう?」


 アルティナの手が止まる。


 少し考えるような顔。


「さあ?」


「……はい?」


「それ決めるのブルーでしょ?」


「アルティナ様が約束されたのですよね?」


「参加させるって言っただけ」


「ですが」


「大丈夫大丈夫。誰かいるって」


 また菓子を食べ始める。


「…………」


 シンディは深くため息をついた。


 自分の主人。


 白様の顔を思い浮かべる。


 早く帰りたい。


 そして。


 早くこの任務から解放されたい。


     ◇


「どうやら、アルティナはうまくやったみたいね」


 第四層。


 白いパラソルの下。


 白はシンディから届いた報告を読み終えた。


「おまけに、武闘大会の約束までしてきたそうよ」


 向かいに座るシキへ報告する。


 シキは何も言わない。


 ただ静かに聞いている。


「本当に見た目だけはいいんだから」


 白が少し呆れたように笑う。


「黙って座っていれば、立派な使者にしか見えないもの」


 シキの口元がわずかに緩んだ。


「ええ。今回は褒めてあげてもいいと思います」


 アルティナは本当によくやった。


 白から何度も礼儀作法を教えられた。


 剣を置いた。


 慣れないドレスを着た。


 長い時間、椅子に座った。


 相手の話を聞いた。


 必要な情報も持ち帰った。


 想像以上だった。


 シキは素直に嬉しかった。


 アルティナも変わった。


 昔なら、こんな役目を最後までこなすことは難しかっただろう。


「問題は武闘大会ね」


 白が紙を一枚取り出した。


「誰を出す?」


 シキが紙を見る。


「手加減ができる者となると、かなり限られるわよ」


 白が何人かの名前を書いていく。


 赤。


 青。


 灰。


 桃。


 そこで。


 シキの視線が一つの名前で止まった。


 白もそれに気づく。


「……え?」


 もう一度、名前を見る。


「ピーチにするのですか?」


 シキは動かない。


「彼女は……」


 白は何か言いかけた。


 少し考える。


 そして。


「いえ」


 紙を置いた。


「呼んでまいります」


 白が立ち上がる。


 しばらくして戻ってきた。


 その後ろに、一人の少女がいる。


 鮮やかな桃色の髪。


 ひらひらとした服。


 場違いなほど可愛らしい杖。


 少女はシキの姿を見つけると、目を輝かせた。


 そして胸を張る。


「シキ様、お呼びですか?」


 杖を高く掲げる。


「愛の戦士、ピーチちゃん! ただいま参上しました!」

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