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第4層

 その国の地下。


 第三層よりも、さらに深い場所。


 そこは第四層と呼ばれていた。


 地下であるはずなのに、頭上には青い空が広がっている。


 どこまでも続く草原。


 風に揺れる草。


 そして、その中心に一本の巨大な木が立っていた。


 見上げても頂上はほとんど見えない。


 太い根は地面を這い、遠くまで伸びている。


 かつて、シキが目を覚ました場所だった。


 その巨大な木の近くに、白いパラソルが立っている。


 白いテーブル。


 四つの椅子。


 四つのカップ。


 そのうち三つの椅子には、人が座っていた。


 一人だけ立っている。


「ブルー」


 赤い髪の女性が頬杖をついた。


 二十代ほどに見える。


 アルティナだった。


「座ればいいじゃん。シキ様も気にしないって」


 ブルーはシキを見る。


 シキは何も言わない。


 ただ一度、空いている椅子へ視線を向けた。


「ほら。座れって」


「いえ。報告が終わってからにします」


「あー、そう」


 アルティナは呆れたように紅茶を飲む。


「相変わらず真面目」


「ブルーですから」


 白い髪の少女が静かに言った。


 十五歳ほどに見える小柄な少女。


 白い髪。


 白い服。


 整えられた姿勢で、カップを両手に持っている。


 シキがブルーへ視線を戻した。


「続きを、ということですね」


 ブルーが頭を下げる。


「はい。シキ様」


「王国側は、今後もメメメ伯を窓口として使う方針です」


 その名前を聞いた瞬間。


「……メメメ」


 アルティナが吹き出した。


「何度聞いても変な名前」


 白い少女も口元に手を添える。


「ピオーネから、ずいぶん変わりましたね」


「変わりすぎでしょ。なんでメメメなのよ」


「最初に王国へ入った頃は、向こうの文字を書けなかったそうですよ」


「うん?」


「名前を書けと言われて、見よう見まねで適当に書いたものが、そのまま名前として登録されたとか」


 一瞬の沈黙。


 アルティナが声を上げて笑った。


「それでメメメ!?」


「本人も後になって直そうとしたそうですが、冒険者としてすでに名前が広まっていたらしく」


「もう遅かったんだ」


「はい」


 ブルーまでわずかに目を伏せた。


 笑いを堪えているように見える。


 シキの口元も、ほんの少しだけ緩んだ。


「あ」


 アルティナが指を差す。


「シキ様も笑った」


 白い少女も小さく微笑んだ。


「ピオーネには内緒にしておきましょう」


「いや、次会ったら絶対メメメって呼ぼ」


「アルティナ」


「だって今はメメメ伯なんでしょ?」


 ブルーが小さく咳払いをした。


「……それで、メメメは王国側から一定の信用を得ています」


「はいはい。メメメね」


 まだ笑っているアルティナを無視して、ブルーは報告を続けた。


「王子と公爵は警戒しています。ただ、こちらとの関係を断つつもりはありません。商人の往来もそのまま認められます」


 白い少女がシキを見る。


 シキはカップを持ち上げ、静かに一口飲んだ。


「予定通り、とお考えのようですね」


 シキは何も言わない。


 ただ、ブルーへ視線を戻す。


「はい」


 ブルーが続けた。


「王国側には、第一層まで案内したことも報告されています。城の規模、私の名、海と空の存在も伝わりました」


「海と空まで?」


「護衛として同行しましたので」


「目立ったでしょ、あの二人」


「非常に」


 アルティナが笑う。


「そりゃそうよね。海なんか城の中でも酒瓶ぶら下げてるし」


「本人にとっては正装に近いそうです」


「絶対うそ」


 白い少女がシキへ目を向ける。


 シキの口元が、ほんの少しだけ動いた。


「シキ様も、そう思われています」


「でしょ?」


 アルティナが嬉しそうに笑った。


 ブルーは小さく息を吐き、話を戻した。


「ともかく、王国側はこちらを一つの国家として扱い始めました」


 その言葉に、空気が少し変わった。


 アルティナもカップを置く。


 白い少女もブルーを見る。


「ついに、ですね」


 ブルーがシキを見る。


 シキは答えない。


 ただ、ゆっくりと視線を上げた。


 青い空。


 その何もない場所へ。


 ブルーがそれに気づく。


「お見せします」


 ブルーが片手を上げた。


 空中に光が集まる。


 一人の青年の姿が浮かび上がった。


 金色の髪。


 まだ若い。


「第一王子、テル」


 ブルーが説明する。


「今回の件について、公爵とともに判断を下した人物です」


 シキは黙って青年を見る。


「この人が王子?」


 アルティナが立体像を眺める。


「思ったより若い」


「第一王子ですからね」


「強い?」


「確認できていません」


 シキがわずかに指を動かした。


 ブルーがもう片方の手を上げる。


 テル王子の隣に、新たな像が浮かんだ。


 今度は初老の男。


 王冠をかぶっている。


「現国王です」


 白い少女が二人を見比べる。


「王と、その後継者」


 シキの視線は王へ。


 次に王子へ。


 そして再び王へ戻った。


「どちらも調べる必要がある、と」


 シキが一度だけまばたきをする。


「承知しました」


 ブルーが頭を下げた。


 アルティナが腕を組む。


「でもさ。本当にここから始めるの?」


 シキがアルティナへ顔を向ける。


「世界の端の、小さな島なんでしょ?」


「はい」


 ブルーが答える。


「この王国があるのは、世界全体から見れば小さな島です。その島の中にある国の一つにすぎません」


「もっと大きなところからでもいいんじゃない?」


 シキは動かなかった。


 ただ静かに、テル王子の像を見る。


 少しの沈黙。


 白い少女が先に理解した。


「だから、なのでしょう」


「え?」


「最初だからこそ、小さな国を選ぶ」


 アルティナがシキを見る。


「……失敗しても、やり直しやすい?」


 シキの指がテーブルを一度だけ叩いた。


「正解みたいですね」


 白い少女が微笑む。


「それだけではないでしょう」


 ブルーが言った。


「この国にはメメメがいます。すでに内部へ根を張っている。外から接触するだけの国よりも動きやすい」


「メメメがね」


 アルティナがまた少し笑う。


「そうです。メメメが」


 ブルーは真顔だった。


 それが余計におかしかったのか、白い少女も小さく笑った。


 しばらくして、場が静かになる。


 白い少女がカップを置いた。


「長かったですね。シキ様」


 草原を風が抜ける。


 巨大な木の葉が揺れる。


 街を作った。


 人を増やした。


 食料を作った。


 武器を作った。


 商人を受け入れる第三層を作った。


 何十年もかけて。


 少しずつ。


 外へ出るための準備を進めてきた。


 そして今。


 初めて、一つの国がこちらを見た。


 シキがゆっくりと立ち上がった。


 三人の視線が集まる。


 シキは空中に浮かぶ国王を見る。


 次に、テル王子。


 そして指先を、その二人へ向けた。


「ここから、ですね」


 アルティナが笑う。


「承知しました。シキ様」


 白い少女も静かに立ち上がる。


 ブルーが深く頭を下げた。


「準備は整っています」


 アルティナが椅子から立ち上がった。


「じゃあ、次は私?」


 シキの視線が、ゆっくりとアルティナへ向く。


 一瞬の沈黙。


 アルティナの口元が大きく上がった。


「了解」


 白い少女が少し心配そうにアルティナを見る。


「くれぐれも、勝手なことはしないように」


「分かってるって」


 ブルーも念を押す。


「王国へ行くのは外交のためです」


「はいはい」


「アルティナ」


「分かったってば!」


 そんな三人を、シキは黙って見ていた。


 風が吹く。


 巨大な木の葉が、ざわざわと音を立てる。


 長い時間をかけて整えた準備は、もう終わった。

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