EP 3
限界集落ポポロ村の日常。パンの耳をかじる人魚姫と、狂気の野菜たち。
巨大なS級魔獣デス・ボアを、血の一滴も流さずに完璧な精肉ブロックへと解体した牧野タダシ。
彼は現在、ウサギ耳の少女キャルル・ムーンハートの案内により、三国が睨み合う緩衝地帯――限界集落『ポポロ村』へと足を踏み入れていた。
「タダシ様! こちらが村の畑になります。新鮮な野菜ならいくらでもありますよ!」
キャルルは、自分の身長ほどもある巨大なデス・ボアの肉塊を軽々と背負いながら(月兎族の身体能力は規格外らしい)、胸を張ってポポロ村の農耕区画を指差した。
一見すると、のどかな田園風景だ。
青々とした葉が茂り、土の豊かな匂いが風に乗って運ばれてくる。だが、プロの料理人であるタダシの目は誤魔化せなかった。この村の生態系は、地球のそれとは根本的に狂っている。
「ギャァァァァ! 放せェェ! 喰われるゥゥ!」
視線の先で、オーバーオールを着た農家のおじさんが、二本足で猛ダッシュする『人参』を全力で追いかけていた。人参は器用に畝を飛び越えながら、鼓膜を劈くような悲鳴を上げている。
「アレは『人参マンドラ』です。引っこ抜くとああやって叫びながら脱走するので、毎朝の収穫が追いかけっこになっちゃうんですよね」
「……なるほど」
さらに隣の畑では、丸々と太ったキャベツが、人間の顔のような不気味なシワを寄せてペラペラと喋り散らしていた。
「奥さん! 聞きましたぁ!? 隣の小隊の副官、奥さん以外に愛人が3人もいるらしいですよぉ! だから私を収穫しないでぇぇ!」
「あれは『ネタキャベツ』ですね。収穫されそうになると、近所の三面記事レベルのゴシップを喋って命乞いをするんです。美味しいネタを言う個体ほど、甘みがあって美味しいと言われていて……」
キャルルが苦笑いしながら説明する。
喋るキャベツに、走る人参。他にも、甘い声で「私を食べて……」と農家を誘惑して家庭崩壊を引き起こす『メロロン』なる魔性果実まで栽培されているらしい。
ここは魔界か何かか、とタダシは頭痛を覚えそうになった。
「まぁ、いい。肉の保存場所も確保できたことだし、賄いの時間にするか」
タダシは首をコキッと鳴らすと、腰の牛刀を抜いた。
どれだけ狂った生態系だろうが、異世界だろうが関係ない。まな板の上に立てば、全てはただの『食材』だ。
「食材が、厨房で騒ぐな」
タダシが一歩踏み込み、手首を返す。
――シュパァァァンッ!!
銀閃が空気を裂いた。
「ギャァァ――」
「愛人が実ハ――」
うるさかった悲鳴とゴシップが、ピタリと止む。
逃げ回っていた人参マンドラは一瞬で皮を剥かれ、美しいいちょう切りとなって宙を舞い、ザルの中へ。ネタキャベツもまた、芯を完璧にくり抜かれ、食べやすい一口大のざく切りとなってボウルに収まった。
タダシの【絶対解体調理】の前に、食材の持つ異常性など無意味。彼はただ「これは食材である」と認識し、完璧な下ごしらえを完了させたのだ。
「す、すごいですタダシ様……! あの暴れる野菜たちを、一瞬で……!」
「豚汁を作る。あっちで火を焚いてくれ」
タダシは手際よく調理を開始した。
大鍋に、先ほど解体したデス・ボアのバラ肉(極上の豚肉代わり)を放り込む。
ジジジジジッ! と小気味よい音が鳴り、分厚い赤身から雪のように白い脂が溶け出していく。魔獣特有の臭みなど一切ない。あるのは、脳髄を直接揺さぶるような暴力的なまでの肉の旨みの香りだ。
そこへ、下ごしらえした人参マンドラと、タローマン(村のホームセンター)で仕入れた月見大根、そして最後に大量のネタキャベツを投入する。
油が全体に回り、野菜の甘い香りが引き立ったところで、出汁を注ぎ込む。最後に、村の特産である『醤油草』をタダシのスキルで発酵・強制変換させた『特製味噌』を溶き入れる。
フワァァァ……ッと。
極上の味噌の香りが、ポポロ村の広場一帯に広がっていった。
デス・ボアの濃厚な脂、人参マンドラの野性味溢れるコク、ネタキャベツの驚異的な甘みが、味噌というキャンバスの上で完璧な調和を奏でている。
「ごくり……っ」
鍋を見つめるキャルルの喉が、再び大きく鳴った。
だが、その強烈な『飯テロ』の匂いに引き寄せられたのは、彼女だけではなかった。
――ズリッ、ズリッ、ズリッ。
広場の茂みの奥から、まるでゾンビのような足取りで、ふらふらと近づいてくる人影があった。
「……ん? 誰だ?」
タダシが目を向けると、そこには信じられないほどみすぼらしい格好をした少女がいた。
色あせた芋ジャージに、すり減った健康サンダル。年齢はキャルルより少し下、十六歳くらいだろうか。しかし、その顔立ちは驚くほど整っており、人間離れした神秘的な美しさを秘めている。彼女は海中国家シーランの姫君であり、自称・絶対無敵のスパチャアイドル『リーザ』だった。
だが、現在彼女が握りしめているのは、マイクではない。
スーパー(タローマート)の裏口でもらった『パンの耳』の入ったビニール袋と、公園で必死に摘み取った『雑草(食べられると判断したもの)』だった。
「クンクン……はふぅ……これしゅき……いいにおいぃ……」
リーザは虚ろな瞳で、タダシの鍋から立ち上る湯気を吸い込んでいた。
アイドルのプライドなど、とっくに限界を迎えていた。手元のパンの耳と雑草サラダでは、彼女の胃袋を満たすことなど到底できない。月末の経済格差は、少女から正気を奪うのに十分だった。
「お、おい。大丈夫か、お前」
「リーザちゃん!? また雑草なんか食べてるんですか!?」
キャルルが慌てて駆け寄る。どうやら知り合いらしい。
リーザはタダシの顔を見ると、芋ジャージの膝から崩れ落ち、ズザザザァッ! と勢いよく土下座を決めた。
「お、お願いじまず! 事務所のNGとか、もうどうでもいいんでず! ひと口……その神様みたいな匂いのお汁を、ひと口だけ恵んでくだざいぃぃ!! 歌います! なんでも歌いますからぁ!」
「……待て待て、泣くな。メシならいくらでもある」
タダシは深々とため息をついた。
ガリガリに痩せ細り、パンの耳を握りしめて号泣する少女。料理人として、こんな惨状を見過ごせるわけがない。
「ほら、食え」
タダシはお椀にたっぷりと豚汁を注ぎ、湯気を立てるそれをリーザの前に置いた。
デス・ボアの肉がゴロゴロと入り、野菜がたっぷり煮込まれた、栄養満点の究極の一杯。
「あ……ぁぁ……っ!」
リーザは震える手でお椀を受け取ると、火傷も気にせず、ズズゥッと一気に汁をすすった。
「――っ!!!」
リーザの瞳孔がカッと見開かれた。
細胞の隅々にまで染み渡る、味噌と出汁の深い旨み。
デス・ボアの暴力的なまでの脂の甘みが、極限まで飢えていた胃袋を優しく、力強く包み込んでいく。
キャベツは口に入れた瞬間にトロリと溶け、人参はホクホクと崩れる。
それは、彼女のこれまでの貧しい生活の苦労を全て洗い流してくれるような、圧倒的な『温もり』だった。
「おいひぃ……おいひぃれずぅ……!」
ポロポロと、大粒の涙がリーザの頬を伝って落ちた。
パンの耳をかじり、野良犬と廃棄弁当を奪い合っていた日々。その冷たい孤独が、一杯の豚汁によって完全に溶かされていく。
さらに、タダシの【絶対解体調理】によって引き出された魔獣のエネルギーが、リーザの体内に『超回復バフ』として駆け巡り、彼女の顔に健康的な赤みが戻っていく。
「ゆっくり食え。おかわりはあるからな」
「うわぁぁぁん! タダシざまぁぁぁ! 一生ついていきまずぅぅ!」
芋ジャージの裾で涙と鼻水を拭いながら、一心不乱に豚汁をかき込むリーザ。
その隣では、キャルルもまた幸せそうな顔でお椀に口をつけていた。
「美味しい……タダシ様の料理を食べると、本当に生きてて良かったって思えます……」
「大げさだ。ただの豚汁だろ」
タダシはエプロンで手を拭きながら、二人の少女の食べっぷりを見て、小さく口角を上げた。
ブラック企業で上司に罵倒されながら作っていた料理とは違う。自分が作ったメシを、美味いと言って無心に食べてくれる者がいる。
ただそれだけのことが、タダシの荒んでいた心を少しだけ満たしてくれていた。
「(まあ、異世界も悪くないかもな)」
タダシがそう思いながら、鍋の火加減を調整していた、その時だった。
――ウィィィィィン……。
はるか上空。
タダシたちの頭上の雲間から、音もなく『一つ目のレンズ』を持った小さな機械が覗き込んでいた。
天界の神々が管理し、全世界の運命と予算を左右する巨大配信ネットワーク【ゴッドチューブ】。
その次元観測用ドローンカメラが、S級魔獣を瞬殺し、狂気の野菜を御した『異端の料理人』の姿を、全世界の神々に向けて密かに生配信し始めていたのだった。
迫り来る大国の陰謀も、神界のPV至上主義も、タダシはまだ知らない。
だが、彼の持つ【絶対解体調理】の包丁が、この世界の常識を根本から三枚におろしていくのは、もう時間の問題だった。




