第八章 加賀への道
五箇山から金沢への帰還という、家正の人生の転機を描く章です。豪姫の口添えという史実と、前田家の内通役への「無言の応え」という創作を、はっきり区別して書き分けています。
慶長七年、五箇山の雪深い村里に、わしについに一つの報せが届いた。豪姫様が、この中村家正を、金沢へ召し出してくださるというのじゃ。
その報せを携えてきた使者の顔を、わしは今でも忘れぬ。長い雪道を越えてきたであろう、その者の息は白く、疲れも見えたが、告げる言葉は何よりの光であった。これは、単なる旧臣への情けだけではなかった。豪姫様は、わしが宇喜多家中で命を狙われ、逃げ延びたことを、ずっと気にかけてくださっておった。ようやく前田の家の情勢が落ち着きを見せた頃合いを見計らい、豪姫様御自らが、兄・利長様にお口添えくださったのだと聞く。備前様となられた豪姫様は、金沢にお戻りになってからも、かつて宇喜多家に従った旧臣たちのことを、決してお忘れにはならなかった。五箇山という谷底に沈められたままのわしを、御自らの手で拾い上げてくださったこと、その御恩は、生涯忘れることはできぬ。
しかし、わしを迎え入れてくださったのは、単なる旧臣への情けだけではなかったように思う。前田家にとって、わしは長きにわたり、宇喜多家中の様子を陰ながら伝え続けてきた者であった。表向きは宇喜多家臣、しかし心の一線は前田家に繋げたまま過ごした歳月――それを、前田家は決して忘れてはおられなんだ。わしが思いのほか高い禄をもって迎えられたのは、その積年の務めへの、無言の応えであったのかもしれぬ。もっとも、これは誰かが口にして言うたことではない。わしの胸の内だけの、密やかな得心であった。
五箇山を発つ朝、わしは世話になった村人たちに深く頭を下げた。彼らもまた、雪の中でひっそりと信じるものを守り続ける民であった。わしがこの谷で過ごした歳月を、彼らは決して忘れぬであろう。わしもまた、この地で学んだ「表に出せぬ信を胸に抱きながら、なお日々を丁寧に生きる」ということを、生涯忘れはすまい。
加賀へ、いや金沢へと向かう道すがら、わしの胸には様々な思いが去来した。かつて若き日に、豪姫様の御供として意気揚々と旅立った、あの備前への道。そして今、老いを感じ始めた身で、雪深い谷を抜け、城下へと辿る、この道。同じ旅路のようでいて、まるで違う旅であった。
金沢の地に立ったとき、わしはようやく肩の荷が下りたような心地がした。ここでもう一度、一から始めることができる。宇喜多家での経験――経理の腕、川筋を扱う普請の心得――それらを、この地でまた役立てることができるかもしれぬ。
前田家に戻ったわしは、以前のように槍働きをする若武者ではなかった。しかし、宇喜多家での経験、そして五箇山での歳月を経て、わしは以前よりも多くのものを身につけておった。人の和を保つことの難しさ、家を離れることの辛さ、そして、それでもなお生き延びていく強さ。これらは、若い頃のわしには持ち得なかったものじゃ。
人は、順風満帆な道だけで成長するわけではない。宇喜多家での栄華と没落、浪々の歳月、五箇山での日々――それらがあったからこそ、わしは加賀の地で、以前よりも深みのある働きができたのじゃ。
章末の教訓を短縮したのは、同じ「挫折は無駄ではなかった」という主旨がすでに前章までで語られていたためです。繰り返しを避け、要点だけ残しました。




