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第九章 金沢にて

年貢算用という地味な役目と、切支丹への秘めた入信という、公と私の対比を軸にした章です。家紋に十字を忍ばせるという子孫からの家伝を、本作のクライマックスの一つとして丁寧に扱いたいと考えました。

加賀藩に出仕してからのわしの役目は、年貢の算用と、寺社への取次役であった。派手な役目ではないが、これがわしの性に合っておった。


慶長末期、わしは名乗りを「中村次郎兵衛」から「中村刑部丞」に改めた。新しい名と共に、新しい心持ちで役目に励もうという思いがあった。石高も二千石を頂戴し、ようやく落ち着いた暮らしを営めるようになった。


金沢の城下は、備前や大坂とはまた違う趣があった。冬には雪が深く積もり、川の水も冷たく澄んでおる。わしは若い頃に播磨で、そして備前で培った水にまつわる知恵を、この地でも生かした。もっとも、雪国ならではの難しさもあり、一から学び直すことも多々あったがな。


年貢の算用というのは、地味な仕事のようでいて、実は家中の暮らし向きの全てを支える、根幹の役目じゃ。田畑の実りを正しく計り、無理のない年貢を定め、それでいて藩の財政も保つ。数字を扱う仕事というのは、時に人の情を欠くように見られがちじゃが、わしはそうは思わぬ。数字の向こうには、必ず人の暮らしがある。それを忘れずに算盤を弾くこと、それがわしの信条であった。


寺社への取次役としても、わしは多くの人と関わった。神主や僧侶たちの願い事を聞き、藩へ取り次ぐ。時に難しい交渉もあったが、宇喜多家での経験――家中の様々な立場の者と渡り合ってきた経験――が、ここでも役に立った。


孫よ、どのような役目であれ、そこに誠実に向き合えば、必ず得るものがある。わしは大坂屋敷の家老という重い役目から、金沢での算用役という、より地味な役目に移った。だが、そのどちらにも、わしは全力を尽くした。役目の大小に、人としての値打ちが左右されるわけではないのじゃ。


もう一つ、この頃のことで、記しておかねばならぬことがある。慶長十二年の頃であったか、豪姫様は、南蛮の教えに深く帰依されるようになった。切支丹の教え――デウスの教えじゃ。かつて、豊臣の御世に狐憑きと騒がれたあの病を経て、豪姫様の御心は、目に見えぬものへの信仰へと向かわれたのやもしれぬ。マリアという洗礼名を受けられたと聞く。


わしは、豪姫様がこの道をお選びになったとき、迷わず、共にその教えを受けることにした。これは、誰に命じられたことでもない。わしの、心からの選びであった。豪姫様が信じるものを、わしもまた信じたい――ただそれだけの思いであった。


しかし、この選びは、決して人に明かせるものではなかった。切支丹への風当たりは、年を追うごとに強まっておった。前田の家に累が及んではならぬ。わしはこの信仰を、生涯、胸の内に秘めることに決めた。


ただ、どうしても、この信を形にして残しておきたいという思いが、わしの中に消えなんだ。そこでわしは、中村の家紋に、誰にも気づかれぬよう、十字を忍ばせることにした。表向きは、ただの文様にしか見えぬよう、幾重にも図案を練った。この紋を、わしは表立って用いることはなかった。代わりに、戦働きの旗印には、「勝ち虫」と呼ばれる蜻蛉を掲げた。真の家紋は、奥深く仕舞い込んだまま、誰の目にも触れさせなんだのじゃ。


孫よ、これは、そなたにだけ明かす、中村の家の、隠された印じゃ。決して表沙汰にしてはならぬ。しかし、いつの日か、切支丹への禁が緩む時が来たなら、そなたたちの代で、この印を日の下に出すことも、あるやもしれぬ。その時まで、この印の謂れを、心の内だけで語り継いでおくれ。


この章で明かされる隠し紋は、終盤の「現在に伝わるもの」で回収される伏線です。史実と家伝の境界を、なるべく誠実に書き分けることを心がけました。

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