第六章 浪々
史実にはほとんど記述のない浪々の歳月を、あえて短い章として構成しています。詳細を書き込みすぎず、次章の五箇山への布石として機能させることを優先しました。
大坂を去ったわしを待っていたのは、当てのない浪々の日々であった。
かつては大坂屋敷の家老として、多くの家臣を束ねる立場にあった身が、一夜にして寄る辺なき浪人となる。武士という身分の危うさを、わしはこのとき骨身に染みて知った。
行く先々で、わしは様々な人の情けに触れた。かつての知己が、ひそかに米や銭を融通してくれることもあった。しかし、多くの場合、浪人というのは世間から冷たい目で見られるものじゃ。かつての栄華を知る者ほど、そのぶん今の落魄ぶりを憐れみ、あるいは嘲る。
この歳月、わしが何を思って過ごしておったか、正直に語ろう。悔いがなかったと言えば嘘になる。もっと立ち回りようがあったのではないか、もっと家中の和を保つ努力をすべきではなかったか――そのような自問を、幾度となく繰り返した。
しかし同時に、わしの中には、まだ消えぬ灯火があった。豪姫様への忠義の心じゃ。豪姫様は、宇喜多家が改易された後も、加賀へお戻りになり、備前様と呼ばれてお暮らしになっておられると聞いた。あの、輿入れの道中で見た御輿の姿、大坂の屋敷の庭を歩まれるお姿が、幾度もわしの脳裏に浮かんだ。
いつか、もう一度、豪姫様にお仕えする機会があれば――そのような、儚い望みを胸に抱きながら、わしは浪々の日々を耐え忍んだ。
やがて、京の都にも身の置き所がなくなり、わしは思い切って、加賀へ向かうことにした。前田の家に、まだわずかでも縁が残っているならば、それに縋るほかない。豪姫様がお戻りになっているという、その地へ。
この浪人の歳月は、わしにとって谷底であった。もっとも、その道が、すぐさま平坦になったわけではなかった。
当初はこの章末にも「谷底」の教訓を書いていましたが、次章と内容が重なるため大幅に削りました。同じ比喩を連続させないための調整です。




