第五章 宇喜多騒動
宇喜多騒動の顛末を、史実の記録の食い違いをそのまま活かして描いています。「戸川殿方の記録」と「加賀藩の記録」という二つの見方を並べたのは、家正自身にも正解が分からないという誠実さを表したかったからです。
慶長四年の暮れから、家中の空気は、日に日に張り詰めていった。そして年が明けた慶長五年正月、ついに事が起こった。
正月五日の夜であった。わしは、戸川達安殿、浮田左京亮殿、岡越前守殿、花房正成殿らが、わしの命を狙っておるという報せを、間一髪のところで受け取った。知行地の割り替えへの恨みが、ついに刃となって、わしに向けられたのじゃ。
わしは、生きた心地がしなかった。しかし、幸いにも事は未然に発覚し、わしは屋敷を脱し、逃げ延びることができた。
後になって知ったことじゃが、京や上方の間では、わしがこの夜、殺されたという噂が広まったという。ある記録には、中村次郎兵衛なる者が宇喜多家中で専横を働いたために誅殺され、七十人もの家臣が家を離れたと記されておるそうな。わしは、己が死んだことになっておるという話を聞いて、何とも奇妙な心地がしたものじゃ。生きておるのに、死んだことにされておる――そのような妙な巡り合わせも、人の世にはあるのじゃな。
わしが逃げ延びたことに、秀家様は激しくお怒りになったと聞く。わしを亡き者にせんとした戸川殿を、今度は秀家様御自身が討たんとされ、大谷吉継殿の屋敷に呼び寄せられたそうな。しかし戸川殿は、左京亮殿によって危うく救い出され、岡殿、花房殿らとともに大坂玉造の屋敷に立て籠もられたという。
わしは、この一連の出来事を、身を隠しながら、伝え聞くばかりであった。己の行いが正しかったのか、否か――幾度も己に問うた。困窮する小身の家臣たちを救おうとした裁定であった。しかし、その裁定が、これほどの血腥い騒ぎを呼び、家中を真っ二つに割ることになろうとは。
後に、加賀に戻ってから耳にしたところでは、この一件について、様々な見方があるという。戸川殿方の記録では、わしと長船殿、浮田太郎左衛門殿の三人が理不尽な検地を行ったことこそが諸悪の根源とされておる。しかし、加賀藩で記された別の記録には、達安殿ら重臣が城に近い豊かな土地を独占し、困窮した小身の家臣たちの訴えを受けて、わしが知行地の割り替えを行ったのだとして、わしに道理があったと記されておるそうな。孫よ、同じ出来事でも、語る者によって、これほど姿を変えるものなのじゃ。わし自身、どちらが正しいと言い切ることはできぬ。ただ、わしは己の信じるところに従うたまでじゃ。
大谷吉継殿、榊原康政殿、津田秀政殿らが調停に入られたが、事は収まらず、最後には徳川家康公の裁断を仰ぐこととなった。戸川殿は武蔵国岩付へ移され、左京亮殿、岡殿、花房殿は一旦備前へ下られたが、程なくして宇喜多家を去られたと聞く。
この頃、わしはあることに気づいて、背筋が冷えるような思いをした。前田の家からの後ろ盾を、この期に及んでまるで感じられぬのじゃ。それもそのはず、加賀では利長様が、徳川家康公からの謀反の疑いという、御家存亡の危機に直面しておられた。前田の家全体が、己の身を守ることに手一杯で、遠く離れた宇喜多家中の内輪揉めに構っておる余裕など、どこにもなかったのであろう。
わしは、この時ほど、豪姫様お一人の孤独を思い知らされたことはない。実家である前田の家は、己の危機に呑まれ、豪姫様と、その嫁ぎ先である宇喜多家のことを顧みる余力を失っておった。聞くところによれば、豪姫様はこの騒ぎの直後、御祈祷をお命じになったという。あれは、わしのためというより、まことは秀家様お一人の御身の無事を、お祈りになったものであったやもしれぬ。豪姫様は、頼るべき大きな後ろ盾を失ったまま、目の前で崩れゆく宇喜多家中を、ただお一人で見つめておられたのじゃ。わしにできることは、あまりにも少なかった。
天下を揺るがす大きな戦の足音が近づく中で、家中の重臣たちが争い、血を流しかけているというのは、何とも痛ましい話じゃ。しかし、渦中にある者には、それがどれほど愚かしいことか、なかなか見えぬものでな。わしもまた、その渦から抜け出すことができずにおった。
わしは、身を隠しながら、ついには大坂の屋敷を去らねばならぬ日を迎えた。
秀家様に最後にお目にかかったのは、まだ騒ぎの熱も冷めやらぬ頃であった。多くを語らぬお方であったが、あの日の秀家様の瞳には、家中をまとめきれなかった無念と、命を狙われながらも去りゆくわしへの、複雑な思いが浮かんでおったように見えた。
「家正、これまでの働き、大儀であった。しかし、もはやこの家に、そなたの身の安全を守るだけの力が、わしにはない」
それだけを仰せになり、あとは言葉少なに、わしを見送ってくださった。わしは深く頭を下げ、大坂の屋敷を後にした。振り返れば、かつて意気揚々と入った門であった。それが今は、命からがら逃げ出す門となっておった。
人の世は、かくも儚い。正しかれと思うてなしたことが、これほどの禍を呼ぶこともある。栄華を極めた家も、内なる争いによって傾く――わしはこの目でそれを見た。家を守るとは、外敵と戦うことだけではない。家中の和を保つこと、それが最も難しく、最も大切な務めなのじゃ。
章末の教訓部分を短く整理したのは、この章がすでに十分な重みを持っているため、あとがき的な一文は最小限に留めたいと考えたためです。




