第四章 軋轢
惣国検地と知行地の割り替えという、宇喜多騒動の核心となる史実を、家正の視点から丁寧に追う章です。彼の裁定を単純な善悪では描かず、正しさが恨みを生む逆説を軸にしています。
宇喜多家の家中には、様々な出自の者がおった。古くから宇喜多家に仕える譜代の家臣、他家から流れてきた者、わしのように前田家から豪姫様に従ってきた者。それぞれが己の立場と誇りを持ち、時に互いを認め合い、時にいがみ合っておった。
文禄三年、わしは長船紀伊守殿、浮田太郎左衛門殿と共に、領国内の惣国検地という大役を仰せつかった。田畑の実りを隅々まで測り直し、年貢を正しく定め直すという、途方もない仕事であった。わしの算用の腕を見込んでのご下命であったろう。しかし、この検地こそが、後々わしの身を、そして宇喜多家そのものを揺るがす種になろうとは、その時は思いもよらなんだ。
検地を進める中で、わしはある不公平に気づいた。戸川達安殿をはじめとする古参の重臣たちは、城下に近い、実り豊かな土地を、代々当然のごとく領しておられた。一方で、禄の少ない小身の家臣たちは、遠く、実りの乏しい土地しか与えられておらず、日々の暮らしにも困窮する者が少なくなかった。
小身の者たちから、わしのもとへ、幾度も訴えが寄せられた。
「中村様、我らの田畑では、家族を養うことすら難しゅうございます。どうか、お取り計らいを」
わしは、これを見過ごすことができなんだ。算用を扱う者として、また、かつて播磨の小さな邑で育った身として、力なき者たちの苦しみを、他人事とは思えなんだのじゃ。わしは長船殿、浮田殿とも諮り、知行地の割り替えを断行した。城下に近い豊かな土地の一部を、困窮する小身の家臣たちにも分け与え、遠国の乏しい土地は、より多くを負える者たちに割り振り直したのじゃ。
この裁定に、戸川殿ら古参の重臣たちが激しく反発したのは、無理からぬことであったろう。代々受け継いできた土地を取り上げられるのじゃ。彼らの怒りは、わしという、他家から来た新参者へと向けられた。
「中村次郎兵衛、身の程を弁えぬ振る舞いよ」
そのような声が、家中に満ちるようになった。わしの中に前田家との繋がりがあることへの疑いも、こうした怒りに油を注いだやもしれぬ。しかし、わしは己の裁定が誤りであったとは、今でも思うておらぬ。数字の向こうには、必ず人の暮らしがある――その信条に従うたまでじゃ。ただ、その信条を貫くことが、これほど大きな禍根を残すとは、わしもまだ若く、見通せておらなんだ。
秀家様は、家中のこうした軋轢に気づいておられたであろう。しかし、若き当主が、古参の重臣たちと新参の者たち、そして富める者と貧しき者との間を、完全に調和させるというのは、並大抵のことではない。わしもまた、家中の和を保とうと努めはしたが、力及ばぬところが多かった。
今にして思えば、あの頃のわしは、己の正しさを信じるあまり、それが他者にどう映るかを、深く考えておらなんだのかもしれぬ。正しいと信じる道であっても、急ぎすぎれば恨みを買う。
わしの懸念は、やがて現実のものとなった。
直接的な教訓の一文を削り、簡潔に凝縮したのは、この章の主眼が教訓ではなく家正自身の後悔の色合いだと考えたためです。




